30 自己紹介
「リヴィア様、ええ、とてもお綺麗ですわ」
メイリンは、いつものように微笑みながら彼女の言葉にそう返した。
「本当ですか? ハリードとも似合っています?」
「ええ、とても。ふふ、お似合いの二人ですわ!」
そこには当然、嫉妬も何もない。
メイリンには夫が居る。それどころか、本当は……。
彼女は、ハリードのことなど男性としては見ていなかった。
「嬉しいわ! ハリード! 私、エレクトラ様がこう言ってくださるのが、本当に嬉しい!」
また。彼女は『エレクトラ』の名を口に出した。
「……あ、あの。カールソン夫人? 少しよろしいかしら」
そこで困惑していたファルス伯爵夫人ミゼッタが、声を上げる。
「え、なんですか?」
そこには伯爵夫人に対する礼儀などはない。
だが、今はその点を気にする者は居なかった。
「何故、こちらの女性を、貴方は『エレクトラ』と呼ばれるのです?」
「え、なぜって。何を言っているの? だって」
リヴィアは困惑した表情を浮かべる。質問の意味が理解できなかったのだ。
だが、その問いの意味を理解できるハリードは焦りを覚える。
「ああ、その! ご、誤解で……リヴィア、今は!」
「申し訳ございません! リヴィア様!」
ハリードが誤魔化そうとした矢先。
メイリンは、周囲に聞こえるような大きな声で謝罪した。
「え、なに? エレクトラ様……」
「実は私、リヴィア様に大きな嘘を吐いておりました」
「嘘……?」
「はい。嘘、です」
「おい! 何を言い出すんだ、お前は!」
ハリードは、メイリンの言葉を止めようとする。
だが、近くには公爵夫妻もおり、強引なことなど出来なかった。
「私の本当の名は、メイリン・オルブライトと申します。オルブライト商会、会長バイツの妻でございます」
そう名乗り、メイリンは綺麗なカーテシーをして見せる。
「…………え?」
リヴィアは言われた意味が分からず、言葉を失った。
「実は、私は『エレクトラ・ヴェント』ではないのです。今まで、ハリード・カールソン子爵に雇われ、彼女のフリをしておりました。ですので、これまで嘘を吐いていたことを謝罪致します、リヴィア・カールソン子爵夫人」
「は……? え、なに? どういうこと? だって、エレクトラ様は……」
リヴィアの混乱する声。
そして真っ青な顔をするハリードと、焦りと困惑の表情を浮かべるジャック。
メイリンは彼らの反応を見ても動じず、微笑みを絶やさずに続けた。
「リヴィア様とカールソン子爵が戦場で縁を結ばれた時。カールソン子爵と『既に結婚されていた』エレクトラ様は、確かにカールソン家の屋敷で領地の運営を担い、領民を助け、使用人たちに慕われながら生活しておりました。……ですが!」
声に抑揚をつけ、大きく通る声でメイリンは続ける。
周囲の参列客たちは、彼女らのやり取りに耳を傾けていた。
「エレクトラ様は、戦場で『夫』が『自分とは別の女性』と懇意にしていると聞いて、カールソン家の運営を信頼できる使用人たちに託してから、屋敷を出ていかれました。その際、使用人たち全員に、いつでも出ていけるように紹介状を渡していたと、使用人たちから聞いております」
「紹介状……!?」
ハリードは初耳だと目を見開いた。
「そうして、夫と『別の女性』が連れ立って、そして離縁状を用意してから! 屋敷へ帰ってきた時には、既に本物のエレクトラ様は、カールソンの屋敷にはいらっしゃいませんでした。もちろん、エレクトラ様の署名入りの離縁状を残してから、彼女は屋敷を出られたと聞いています。それ以降! 誰も! 本物のエレクトラ様のお姿は見ていないのです! ですから! ……リヴィア様。貴方は、本物のエレクトラ様とは、お会いしたことがありません。だって私は偽者ですから」
メイリンは『何故、自分がエレクトラのフリをしていたのか』の説明をせず。
たっぷりと前置きの説明をして聞かせた。
当然、それを周囲の人々も聞いている。ざわざわとした声が広がっていった。
「分かっていただけましたか、リヴィア様。私が本物のエレクトラ様ではないことが」
「な……え? わ、分からないわ……! 今更、そんなこと……!」
「あら、これでは説明になっていなかった? ふふ」
メイリンは、とぼけるように微笑みを浮かべる。
「カールソン子爵が、私を雇われたのです。正確に言えば『水色の髪の女』を、カールソン子爵は求められました。珍しい求人でしたので、私は興味を惹かれ、カールソン家に雇われたのです。ええ、どんなことがオルブライト商会の商売に繋がるか分かりませんから。夫であるバイツの許可を得て、またファーマソン公爵夫人の支援を受けて。ハリード・カールソン子爵が求められたように、リヴィア・カールソン子爵夫人の前でだけ、離縁された彼の元妻、エレクトラ・ヴェントのフリをしておりました」
仔細に至るまで、メイリンは語って聞かせる。
常に周囲に聞こえるように。
誰が聞いても伝わるように。
「ああ、ですが、ご安心を。リヴィア様。貴方が私を『元奥様』と思われていたからこそ、警戒されていたでしょう? 私とカールソン子爵の間には、何の関係もございません。それはカールソン家の使用人たちも徹底して、管理しておりましたので、証明できるでしょう。元より、私はカールソン子爵に対して、何の恋情も抱いておりませんし、私には愛する夫もおりますから」
「…………」
呆然と、言われたことを聞くしかないリヴィア。
まだ理解が追いつかない。そんな様子だ。
だが、彼女の様子に構わず、メイリンは畳みかけていく。
「この私、メイリン・オルブライトは……半年間。リヴィア・カールソン子爵夫人に対して、離縁された元妻エレクトラ・ヴェントのフリをして……『話し相手』にならせていただきました。ええ、とても楽しかったですよ? いつも、いつも。何度も、何度も。離縁された元妻に、如何にリヴィア様とカールソン子爵がお似合いかと、訴え、問い掛けられることは。はい、とても可愛らしいことではありませんか。お二人がお似合いであることは今日、ここで皆さんの前で証明され、とうとう結婚されたのです。私も、晴れやかな気持ちで、お二人の門出をお祝いすることができ、カールソン家の屋敷を去ることが出来そうで何よりです」
そこまで言い切り、再びカーテシーをするメイリン。
……そこに。
「メイリン! ようやく終わったのか?」
別の男性が現れた。
「ああ、バイツ。ようやく長いお仕事が終わりましたよ」
駆け寄ってきた男性は、黒いドレスを着たメイリンに近付き、そして抱き締めた。
「良かった。キミに会えない時間が、どれほど辛いものか。思い知った。愛しているよ、メイリン」
「ふふ、ありがとう。私の愛する旦那様。変わったお仕事でしたけれど、いい経験になりました。新しい従業員も雇えましたので、私は今日からオルブライトに帰ります」
「ああ、帰ってきてくれ、メイリン。とても嬉しいな」
白々しいような、それでも本心からのような台詞を吐きながら、夫婦は仲睦まじい様子を見せる。
「……メイリン? オルブライト……。妻、本当に……エレクトラ様じゃ……ない、の?」
「はい、リヴィア様。私は、貴方にそう名乗るように、そちらのカールソン子爵に雇われ、貴方を騙しておりました。ですが、聖女リヴィア様とお話しできる機会を賜ったこと、とても幸せにございます。今までありがとうございました」
「ありがとうございました、カールソン子爵夫人。今まで妻のメイリンがお世話になりました」
「…………」
メイリンと共に頭を下げる夫バイツ・オルブライト。
そして、ニコニコと微笑みながら、それ以上を語るのを止めた。
残ったのは沈黙と……そして。
「……どういうこと、ハリード」
騙し、騙されていたという関係の残った新婚夫婦だけだった。




