29 公爵夫人と会長夫人
現ファーマソン公爵夫人である、ノーラリア・ファーマソンは、当時の王女から生まれた女性だ。
ファーマソン家自体にも王家の血は入っていたものの、降嫁した王女を娶ったことで、より王族の血が濃くなった。
正当に『ファーマソン公爵』の血と、王族の血を継いでいるのは妻のノーラリアであり、夫であるジャックは入り婿だった。
ジャック自体も侯爵家の出であり、けして元からの身分は低くない。
しかし、王族と公爵家の血を引くノーラリアとは比べることも出来ない差があった。
そのため、すべてにおいて優先されるのは当然の如く、ノーラリアの方で。
そんな境遇が原因だったのか、ジャックは20年近く前、外に女を作った。
それがリヴィアの母である平民、ファティマだった。
ファティマは、とても美しい女性で、リヴィアと同じ金色の髪をしていた。
もちろん、ノーラリアとて美貌が劣っていたわけではない。
ただ、当時のジャックは、その血によって受ける境遇に多少なり不満を抱いていたのだ。
だから平民の女に溺れた。彼女に自分の子供を孕ませて……。
だが、当然の如く、ジャックの不貞はノーラリアに気付かれてしまう。
そうして、大きく追い詰められることになるのだが……。
当時は、まだノーラリアとの間に子供が生まれたばかりで離婚となると外聞が悪い。
子供にも悪影響があると判断された。
そこでジャックの不貞行為については秘密裏に処理し、ジャックには二度とファティマに関わらないように誓わせ、二人の婚姻関係は継続することになった。
ジャックがファティマに会うことが出来なくなり、やがて教会でリヴィアを生んだ彼女は、産後の肥立ちが悪く、亡くなってしまった。
ジャックは、そのことを後悔していた。
自分がそばに居れば、ファティマは死ななかったのではないかと。
その後悔が、よりリヴィアを目に掛けることに繋がったのだ。
今度は、ノーラリアにバレることのないように、と。
今まで上手くいっていると思っていた。
妻にはバレてなどいない。
それに、リヴィアの結婚式が王都で開かれるように仕向け、移動時間も短くして。
この時期、妻のノーラリアは王都を離れている予定だった。
だからこそジャックは、リヴィアのバージンロードでのエスコートを買って出て。
何もかもが上手くいっているはずだった。
ノーラリアにバレてなどいないはずだったのだ。
「……ノーラ……、なぜ、いつから」
「ジャック。今は、二人の挙式の最中よ。貴方、二人の門出を邪魔する気?」
「う、違……」
「では、大人しく座りなさい。お二人とも、どうかお気になさらず、続けて? 今日は、とてもめでたい日なのですから」
ジャックは滝のような冷や汗を流しながら、フラフラとノーラリアの隣の席へ向かう。
隣に座る黒いドレスの女も目に入ったが……そのことに注意する気力もなかった。
「ええと」
ハリードとリヴィアは、公爵夫妻のやり取りを呆然と眺めていた。
二人は、自分たちの結婚を祝福しに来てくれたはずだ。
だが、それにしては……何やら妙な雰囲気がある。
ファーマソン公爵の、あの狼狽した態度は、どういうことなのだろうか、と。
「コホン! お二人とも、よろしいですか?」
「は、はい!」
「はい、もちろんです!」
二人の挙式は再開された。
結婚を誓い合う言葉。婚姻歴のあるハリードだが、初めて誓うことになる。
「──貴方は、誓いますか?」
「はい、誓います」
こうして、ようやく、ハリードとリヴィアは結ばれた。
披露宴の準備が始まると、参列客の注目は当然、公爵夫妻に集まる。
何故か花嫁のエスコート役をしていたジャック・ファーマソン公爵。
そして、公爵夫人ノーラリアを見つけると、それまでの幸せそうな笑顔が、嘘のように、怯えや絶望に変わっていった。
その様子を見ていた参列客たちは、彼らの関係が何なのかと、ひそひそと囁き合う。
「ノーラリア様、公爵も。お久しぶりです」
「ええ、ミゼッタ様。貴方も参加していたのね」
「はい、噂の英雄と聖女の結婚式が開かれると招待状も届きまして……。名声はあれど、随分と大規模なものだとは思っていましたが……」
ファルス伯爵夫人ミゼッタは、そう呟きながらノーラリアとジャックを交互に見た。
ジャックの方は、もう虫の息といった風情だ。
ただ、結婚式に参加しただけだというのに。
「もしや、ファーマソン家が今回の式の主催だったのですか?」
「……いいえ? 手助けはジャックがしたようですけれど。費用のすべてはカールソン子爵家が担うものです」
「あら、そうなのですか? ですが王都で、ここまで大規模な式を挙げるなら……」
「ふふ、本当にねぇ? どこの家から援助して貰えるのかは知りませんけれど。これから、きっとカールソン家は大変ですよ。結婚式で見栄を張って、借金だなんて」
「まぁ、借金ですか?」
「ええ、どうも、そうらしいの。どこかの誰かが資金援助してくれるのを当てにしたのか。言われるがままに王都で式を挙げることにして、ね。だけど、そんな資金援助をしてくれる家なんてあるのかしら? 私だったら、こんなことに資金は、絶対に出させないけれど」
「……!!」
そう話すノーラリアの隣で、ジャックは目を見開く。
「ま、……ノーラ、待ってくれ、それは……!」
「あら、どうされましたの、ジャック。英雄と聖女様の結婚式には似合わない表情だわ」
「いや、その。だが……」
「ふふ、でも。結婚式貧乏だなんて。これから借金漬けの日々を送る彼女たちが、どうするのか。とても心配だわ」
「……借金の話は本当なのですか? ノーラリア様」
「ええ、ねぇ? そうでしょう、メイリン」
ノーラリアが、そばに立つ黒いドレスの女性に話し掛ける。
「ええ、奥様。私も、そのように聞いております」
「……あの、こちらの女性は? どうして、そのような黒いドレスを……?」
「ああ、すみません。いつまでもヴェールを着けていてはいけませんね」
そう言うと偽エレクトラ……メイリンと呼ばれた女は、黒いヴェールを外した。
「はじめまして、ファルス夫人。メイリン・オルブライトと申します。実は私、カールソン子爵家に雇われて、今までカールソン家の屋敷で働いていたのです」
「まぁ、彼らの屋敷で?」
「はい、こちらの黒いドレスは、カールソン夫妻、双方の意向を取り入れて、このようになりました」
「まぁ……。あら、でもオルブライトといえば、たしか?」
「はい、ファーマソン家の提携商会、オルブライト会長は私の夫であり、ファーマソン家の親戚ですわ」
そう。にこやかに、微笑みながら対応する彼女。
だが、偽エレクトラことメイリンの、その言葉をジャックは聞き捨てならなかった。
「待て。カールソン家に雇われていた、だと? お前が? 何故!」
「……あら。何故かと申されましても、あちらからのご要望で……どうも『水色の髪の女』が必要だと」
「は……!? 水色の髪の女!? 何故!」
「それは……」
メイリンが説明をしようとした時、新郎新婦が披露宴会場に入場する。
知人など、ほとんど居ないはずの披露宴に、何の疑問も抱かず。
衣装を変えたリヴィアは、メイリンの姿を見付けると、まっすぐに向かってきた。
「エレクトラ様! どうでしょうか、私、綺麗ですか!?」
……そう。大きな声で告げた。
彼女がメイリン・オルブライトと名乗っていたことは、聞き耳を立てていた周囲にも聞こえている。
「……エレクトラ、様?」
そんな疑問の声は、当然のように人々の口から漏れ出たのだった。




