28 幸せの絶頂
「旦那様、その」
「どうした、サイード」
「『あの方』が来られているのですが」
「あの方?」
「エレクトラ様、です。我々と過ごしていた方の」
「は? あの女は、領地に居るままじゃなかったのか」
ハリードたちの結婚式は、王都の教会で挙げられる。
『英雄』と『聖女』の結婚に多くの参列者が集まったせいだ。
「それが、リヴィア様の願いらしく。彼女は、カールソン子爵夫人の願いは断れないだろう、と」
「なんてことだ……」
彼女は、本物のエレクトラではない。
それなのに、リヴィアが公の場で『エレクトラ』の名を出したら?
周囲に違うと否定され、リヴィアにバレてしまうかもしれない。
いや、そもそも本物であっても離縁した男の結婚式に、元妻が顔を出すなど。
「何を考えているんだ、リヴィアは……!」
「幸い、といいますか、彼女は『本物』ではありませんから。お二人の結婚に対して、特に思われる部分はないでしょう。それ以上の問題を起こすことはないはずです。この半年間も、特に何をなさるでもなく、大人しくされていましたし」
「それはそうだが……!」
だが、どうやって誤魔化せばいいのだ、とハリードは悩む。
「リヴィアにバレないように、あの女と会えるか?」
「……そのように」
しばらくして、ハリードの下に偽エレクトラが連れられてくる。
ハリードは、彼女の服装に驚いた。
「その格好は……」
「似合っているかしら? ふふ」
黒い、ドレス。それも顔を隠すような濃い黒のヴェールまで。
装飾はなく、およそ祝いの席には似つかわしくない格好だった。
「……お前、どういうつもりだ」
「もちろん、お二人の結婚を祝いに来たのです。新婦たってのお願いですから」
「祝うつもりならば、その服装はなんだ!?」
「こちらは『エレクトラ様』の心情を想像した結果、この日は、やはりこうだろうとコーディネイトしましたの。どう? とても彼女の気持ちを代弁していると思いませんか、元旦那様」
「ぐっ……! エレクトラは、そんな当てつけのようなことはしない!」
「まぁ」
エレクトラは、と言いだしたハリードに、偽エレクトラは驚きの表情を見せる。
「貴方は、彼女の何をご存知なのかしら? たった一日しか一緒に過ごさなかった、元旦那様」
「それは……!」
「ふふ、でも、いいではないですか。貴方は今日、幸せな結婚をするの。彼女に一番、幸せな時間を味わわせてあげるの。そのためには、やっぱり『元奥様』が日陰で過ごしている姿を見るのが必要でしょう? だって、彼女はそういう人だから」
「リヴィアは……!」
その先の言葉を、ハリードは言えなかった。
リヴィアの性質がどういうものかを薄々と気付いていたからだ。
「そして、私の役目も今日で終わり」
「……は?」
ハリードは、彼女の言葉に耳を疑った。
「お二人は結婚するのだもの。流石に『元妻』が、そばに居るのは……ねぇ? これまでは子爵家の夫人としての仕事を、彼女に引き継ぎしていた。そう言えば、世間もまだ納得してくれたけれど。流石に結婚してからも『私』が一緒に居ては、それは醜聞よ」
「そ、それは……だが」
「お忘れかしら? 私は、ただの雇われの身。それに貴方も思うでしょう?」
「な、何を、だ」
「いくらなんでも、リヴィアを『私』から引き離した方がいい、と」
「それは……」
ハリードは目を泳がせ、狼狽える。
すべて彼女の指摘通りだったから。
「ふふ、ああ、それから。新婦に正式に招待された者として。友人を式に招きたいのですけど、よろしいかしら?」
「は? 友人、だと? お前に?」
「ええ、私にも友人ぐらい居ますよ? 居ないとおかしいでしょう?」
「……だが」
「ご安心を。ただの友人ですから。貴方も『私』を一人ぼっちだと蔑んだって虚しいだけでしょう? 私が『彼女』でないと知っているのだから。ねぇ?」
この女には、自身の心をすべて見透かされている。
ハリードは、そう感じた。
「……好きに、しろ。だが、結婚式の邪魔をするなよ」
「ふふ、私が貴方たちの邪魔をする理由なんてないと知っているくせに。勝手に仲良くしていれば? としか思わないわ」
「だろうな……」
彼女は、エレクトラではないのだから。
「ああ、それから」
「まだ何かあるのか……」
うんざりとした気持ちでハリードは応える。
「貴方に、公爵様が会いたがっているそうよ?」
「は……?」
公爵だって? と、ハリードの頭は混乱を極めるのだった。
「お会いできて光栄だ、英雄ハリード・カールソン殿」
「は……、その」
「ああ、私はファーマソン公爵、ジャック・ファーマソンだ。今日は君に頼み、いや、提案があってね」
「……提案、ですか」
公爵。この王国に二つしかない、貴族の中で最上位の家柄。
王家の血を引き、王家に何かあった時は代わりに立つ特別な家門。
そんな公爵が、なぜ自分の目の前に居るのか。
「『聖女』リヴィアは、孤児だと聞いている」
「それは……はい。その通りです」
「では、バージンロードのエスコート役に困っていることだろう」
「え? それは、その」
「誰かにさせる予定が?」
「は、はい。我が子爵家の侍従長にさせるつもりでした……が」
「使用人に、か。それは『聖女』の名誉に関わる。そうは思わないかね、カールソン子爵」
「え……?」
いくら英雄と言われようともハリードは貴族であり、ただの子爵だ。
公爵という上位の存在に対して、身を縮めるばかりだった。
「そこでだ。私が、聖女のエスコートをし、バージンロードを共に歩こう」
「こ、公爵閣下が、ですか!?」
「ああ、聖女なのだから。それぐらいはした方が、彼女の名誉になるだろう。孤児だからと彼女を見下す者も減るに違いない」
「そ……それは、ありがたい提案なのですが、一体、なぜ?」
「聖女は、この国の希望だろう? ならば、王国貴族として、当然のことだ」
「そ、そうです、か……?」
「ああ。問題ないな? 子爵」
「は、はい。妻を……よろしくお願いいたします」
ハリードは、まったく理解が及ばなかった。
しかし、思えば二人の結婚式が王都で開かれることになったり、多くの参列者が集まったり。
色々と普通ではないことが起きていたのだ。
ならば、今回のこれも。
ハリードたちが『英雄』であり、『聖女』なのだから、当然のことなのか。
そう無理矢理に己を納得させた。
……そうして。
さまざまな予想外の出来事を乗り越えて、ハリードたちは着飾り、挙式が始まる。
式場には参列者が先に入り、ハリードは緊張しながら、その時を待つ。
参列者が入り切ると、新郎であるハリードが入場し、聖檀前へと進んだ。
(新婦側の参列者……あの女と、その隣に座っているのが、例の友人か?)
偽エレクトラは、あろうことか。参列者席の一番前に座っていた。
あの黒いドレスと、黒いヴェールで。明らかに悪目立ちしている。
やはり、あの服装だけでも改めさせるべきだったと今更になってハリードは思った。
さらに目を引いたのは、偽エレクトラの隣に居る人物だ。
身なりがよく、宝飾品を身に着けており、明らかに高位貴族だと思わせる……女性。
友人と言うから、偽エレクトラの同年代かと思ったが、どうもそうではないようだ。
(あの女の、母親か何かなのか? やはり、どこかの貴族の出だったのか)
そこに座っている女性は、彼女の母親と言ってもよさそうな年齢に見えた。
気品を感じさせる佇まいの、女性。
黒いドレスで現れた偽エレクトラに対し、彼女が隣に立っていることで、周囲に言葉を控えさせている様子だった。
(……誰なんだ?)
ハリードには、まったく心当たりがない。
そもそも偽エレクトラが何者かすら知らないままなのだ。
その友人や、母親など分かるはずがない。
そんなことを考えている内に、とうとうリヴィアが式場へ入場してくる。
ファーマソン公爵にエスコートされて、白いウェディングドレスを着た、リヴィアが。
(ああ……、リヴィア)
その姿を見て。
ハリードは、これまでの不安や、後悔の気持ちを押し流した。
これで良かったのだ。
自分たちは、これで幸せになる。
リヴィアを選んだことは何も間違いなんかではなかった。
ヴェールの下で、嬉しそうにしているリヴィアの様子が見えた。
その姿を見て、ハリードも嬉しくなってくる。
自分たちは、これから幸せの絶頂を迎えるのだ、と。
ハリードは、幸福の予感に感動を覚えた。
公爵にエスコートされると聞いて、リヴィアは、とても喜んだという。
ファーマソン公爵も、まるで本当に自分の娘をエスコートするように、満たされた笑顔だった。
(ん……?)
ハリードは、そこで、ふと妙なことに気付く。
リヴィアは、金髪で、ルビーのような赤い瞳をしている。
その瞳の色が……ファーマソン公爵とまったく同じ色だった。
(関係……ない、よな?)
バージンロードをエスコートする姿が、まるで本当の親子のように見えたから。
だから、妙な繋がりに違和感を覚えたのだ。
ただ、それだけ。
(問題なんかない。俺たちは今日、幸せになるのだから)
「ハリード、えへへ! 綺麗かな、私!」
リヴィアが、厳かな挙式の雰囲気をぶち壊すように、そう尋ねた。
ハリードは、その言動にぎょっとしたものの、すぐに気を持ち直す。
「ああ、とても綺麗だ。世界で一番、綺麗だよ、リヴィア」
「うふふ、嬉しい!」
そして、リヴィアはハリードの前に立つと、偽エレクトラの方へ視線を向ける。
ヴェール越しだから、その表情はよく分からない。
何を思って、見せびらかすように、偽エレクトラを意識するのか。
ただ、リヴィアの動きに釣られてファーマソン公爵が、新婦の参列者席に目を向けた。
「…………は?」
──そこで。
ファーマソン公爵は、先程までの穏やかで満たされた、幸せそうな表情を凍り付かせた。
「な、ぜ……?」
驚愕。或いは、恐怖。ファーマソン公爵は、その一点だけを見つめる。
ハリードは、彼のその様子に首を傾げた。
(知り合い、なのか? 偽エレクトラと?)
だが、黒いヴェールを被った偽エレクトラが知り合いだと、すぐに分かるものだろうか。
そう思ってハリードは、参列者席に目を向けた。
「……くす」
そこで微笑んだのは、偽エレクトラの隣に座る貴婦人。
ファーマソン公爵が見ていたのが、貴婦人の方だとすぐに分かる。
「──いつまで呆けているのですか、ジャック。どうぞ、私の隣にお座りなさい? 貴方は、私の夫なのですから」
そう。
ファーマソン公爵夫人が、公爵に告げた。




