27 聖騎士と戦場の女神の噂
「カールソン子爵」
「グランドラ閣下!」
王都に移動し、数日後に迫った結婚式に備えていた、ある日。
グランドラ辺境伯が、ハリードの下を訪ねてきた。
「子爵に陞爵されてから、会うのは初めてだな、カールソン子爵」
「はい、閣下」
「改めて、陞爵おめでとう。君の功績が認められた結果だ。あれから息災だったか?」
「もちろんです!」
辺境伯の姿を最後に見たのは、ハリードが辺境を発つ前。
まだ彼が男爵でしかなかった時で、もう一年以上も前だった。
ハリードは、久しぶりに会う辺境伯に感動を覚える。
彼は、わざわざ辺境から自分の結婚を祝いに来てくれたのだ。
「まさか、閣下に来ていただけるとは」
「英雄の門出を見届けねばならないと思ってな。恩を忘れては辺境では生きていけない」
「恩……」
辺境伯に言われると、ハリードは、かつての誇らしい気持ちを取り戻せたように感じる。
「閣下が離れて、グランドラ領は平気なのですか?」
「平気でなければ、王都まで来られないさ」
「それは、確かに」
ハリードは、辺境伯の座る席を用意し、久しぶりの再会を改めて喜んだ。
「その後、どうなのでしょう? 私もグランドラ領のことは気になっておりました」
「そうだな……。大きな問題は起きていない。防壁は今も健在で崩れず、魔獣共との戦いも上手くやっている。それに」
「それに?」
「最近、いいのが騎士団に入ったのだ」
「いいの、ですか?」
「ああ、元は公爵家の騎士団員だったという男でな。凄まじい実力があるのだ。あれは、ウチの騎士団員でも歯が立たない実力者だ」
「辺境の騎士団が、ですか」
その話に少しだけ、ムッとしてしまうハリード。
自分はグランドラ領の戦いで『英雄』と呼ばれるようになったのだ。
だから、今でも騎士の中で、特に辺境で戦う者たちの中で『一番』が自分であるという誇りがあった。
「領地に戻り、新婚生活が始まる以上、そういった機会は少ないだろうが。いつか、機会があれば見てやってくれ。あれは逸材だよ。何故、公爵家が手放したのか分からない。私は助かっているがね」
「はぁ……。閣下がそこまで言うほど、ですか?」
ハリードは信じられなかった。
いや、自身のプライドから、その騎士の実力を認めることができなかった。
実際、この目で見てみなければ。否、戦ってみなければ分からない。
どうせ、辺境伯が贔屓目にその騎士を見ているだけで、きっと自分よりも劣っているはずだと思った。
「その男は、今では『聖騎士』とまで呼ばれているのだ」
「聖騎士!? ですか……!」
「ああ、まぁ噂に尾ひれをつけて広めている節もあるのだが……。そう言われても申し分ないほどの実力者でもある。その内に王都でも有名になるのではないか? 吟遊詩人が嬉々として噂を広めているらしいからな」
「は、はぁ……」
『聖騎士などと!』と、ハリードは苛立ちを覚える。
その聖騎士とやらの活躍の場がグランドラ辺境領ならば、否が応でもハリードと比較されるだろう。
だが、ハリードは、もう戦場を退いているのだ。
だから、これから騎士としての名声は、その『聖騎士』に奪われていくばかりになってしまう。
……そんなのは不公平だろう。
ハリードは、納得できない思いを抱いた。
「それだけではないぞ」
「はい?」
ハリードの内心で抱いた苛立ちには気付かず、辺境伯は続ける。
「その『聖騎士』のパートナーとしてな。素晴らしい治療士が居るのだ」
「治療士……」
ハリードの頭には当然、己の伴侶となる女性、聖女と呼ばれたリヴィアが思い浮かぶ。
「ああ、女性の治療士だ。彼女はな……くく。彼女は、なんと戦場の女神と呼ばれている」
「は、はぁ!? ミューズ……女神!?」
『なんと大袈裟な!』とハリードは、驚く。
しかも『女神』とは、まるで『聖女』のリヴィアに対する当て付けのようではないか。
英雄と聖騎士では、どちらが上かは分からない。
だが、女神と聖女は、どうにも女神の方が『上』だと言われているように感じた。
「ああ。絵描きが彼女を描いて広めようと言っている。まぁ、本人に断られてしまったらしいが」
「め、女神は……言い過ぎではないですか? どれほどの功績を挙げたのか知りませんが……」
「功績か。既にいくつかの村を救った上、騎士たちの士気を高めることに成功している。それに……実際、治療士としての実力も抜きん出ているのだ。騎士たちの後衛から、治療魔法を遠くへ飛ばし、離れた場所で怪我をした者を、立ち所に治してみせるのだ。それも黄金の光と共に、な」
「は、はぁ……? 何ですか、それは。黄金の光ですって?」
大げさな上に演出過多だ。
きっと、その女は、わざとやっているのだろう。
ハリードは忌々しいと思う。
名声を得るために、そういった演出にばかり傾倒する。
ならば、きちんと騎士たちの治療も出来ていないのではないだろうか。
「閣下、そういった手合いに騙されてはなりません。騎士たちの命に関わりますから。それは、詐欺のような演出に過ぎず、ちゃんとした治療が出来ていないのでは? 或いは、その女とは別の人間が、騎士の治療に尽力しているのでしょう」
「……何を言う。この目で、いや、私自身が体験している。離れた場所から、彼女の治療を受けたのだ。それに」
「それに?」
「心なしか、治療だけでなく、身体も軽くなったように感じた。見目も相まって、その能力から最初は『聖女』扱いだったらしいが……。お前の伴侶の評判もあるだろう? そこで彼女は『女神』と、別の名で呼ばれるようになったのだ。彼女の実力については確かなものであって、私は何も騙されていない」
「そ、それは……」
ハリードは、それでも辺境伯の言葉を否定したかった。
『聖騎士』も『女神』も、どちらも自分たちの名声を横から奪うような存在だ。
そんな話を二人の結婚前に聞かせる辺境伯にも、苛立ちを感じた。
「……グランドラ領は、英雄たちが王都で幸せに過ごしていても心配ない。そういうことを言いたかったのだがな。余計なお世話だったらしい」
「あ……」
辺境伯は、ハリードの表情から、その話を好意的に受け入れていないことを悟り、失望した様子を見せる。
(ま、まずい……)
ハリードは辺境伯の失望に気付き、そして今の話が、自分たちへの気遣いでもあると知り、慌てた。
「ち、ちがうのです、閣下。いえ、そのように気遣っていただいたこと、嬉しく思います。で、ですが!」
「なんだ?」
「……私も、リヴィアも、グランドラ領が危機とあらば、すぐに駆け付けます。我々には、かつて辺境で戦った誇りがあるのです。ですから、そう。そのような新参者に頼らずとも、必ずや、我らが力になります、と。そう言いたかったのです」
「ほう」
辺境伯は、鷹揚に頷いた。
「まぁ、辺境に居る二人の実力は、この目で見て、感じたが……。魔獣からの危機を押し返した実績は、まだない。その点で言えば『英雄』ハリードと『聖女』リヴィアの方が上だな」
「閣下……!」
「だが、カールソン子爵。君には守るべき領地があるのだ。だから、その気持ちだけは、ありがたく受け取っておこう。我々とて他家に頼ってばかりでは不甲斐ないと思っている。……私が言いたいのは、グランドラ領のことなど気にせず、君たちは幸せになれよ、ということだったのだが」
「は、はい……。お言葉、ありがたく受け取ります、閣下」
「ああ」
そうして話を終えた辺境伯は、王都の宿へと引き上げていった。
「聖騎士と、女神……など」
辺境伯が、どんなつもりで聞かせたのかは、どうでもいい。
ただ、ハリードにとって気分のいい話ではなかった。
また、モヤモヤとした気持ちが溜まっていく。
そんな状態から、また数日が経ってから……。
とうとう、ハリードとリヴィアの結婚式が始まったのだった。




