20 祝福
あれから、ハリードは役者の女を問い詰める機会を探っていた。
だがリヴィアが近くに居て、中々その機会がやって来ない。
のらりくらりとリヴィアからの言葉を躱し、微笑みを絶やさない姿は貴族の女性の姿だ。
その内、リヴィアも彼女の態度に飽きたのか、立ち去ってしまった。
その機会を逃さず、ハリードは役者を問い詰める。
「一体、どういうつもりなんだ!」
「……これは子爵、そのように声を上げてどうされました? リヴィア様に聞こえますよ」
「ぐっ……」
ハリードは、リヴィアに聞かれないように使用人に警戒させた。
どの道、使用人たちも彼女が、本物のエレクトラでないことは分かっている。
「何故、リヴィアの提案を受けた? 同居なんて、なんのために」
「私は、仕事をこなしただけですわ、子爵」
「仕事だと?」
「ええ、そうです。……あの方、リヴィア様。もしも、あの場で私が、彼女の提案を断ったとして。素直に引き下がったと思いますか? おそらく、私が彼女の提案をお断りして立ち去っていたら、結局は元の状態に戻ったのでは?」
「う……」
ハリードは頭を働かせて、考える。
もしもリヴィアの提案を断っていたら?
「私も、今回の件に当たって、ある程度の事情を聞いております。リヴィア様の様子も。ですから、あの場面ではお断りしては意味がないと思い、受け入れたのです。ですから、仕事をこなしただけですよ」
「それは……だが」
「リヴィア様のことは私よりも、子爵の方がお詳しいでしょう。私は、間違った判断をしたと思いますか?」
「ぐぅ……!」
きっと、リヴィアは、この『エレクトラ』を引き止めただろう。
ハリードにも、それは分かった。だから役者の言うことは正しかった。
「お分かりいただけたなら、幸い。では、子爵。しばらくは屋敷で厄介になります。リヴィア様のために、ね?」
「くっ……、だが支払いは……!」
「初めに頂いた金額と、成功した場合の金額がある契約です。今の状況ですと『成功』と言っていいか不明ですね。どこを落としどころにされますか? 今、この『私』が屋敷から出ていくと、リヴィア様の精神に悪影響があるかもしれませんが」
「う……」
ハリードは、リヴィアの姿を思い浮かべる。
この役者がリヴィアの提案を受け入れた後、最近では一番、彼女は喜んでいた。
それが、すぐに居なくなったとなれば……。
「拘束期間が未知数ですから。それに合わせた報酬をいただかねばなりません。私も長く居続ける気はありませんよ? 成功であれば、さっさとお金をいだたいて立ち去りたいのです。ですが、そこは私も仕事ですから。どちらかと言えば、お困りなのは、そちら。……そう思いますけどね」
ハリードは気付く。この役者を今すぐに追い出すことは出来ないと。
それに役者ということは、どこかに所属している人間だろうか。
直接、雇ったのは侍従長だから正確には分からないが……。
力に任せて排除、または閉じ込めては、必ず足がつくだろう。
暴力的な手出しはできない。
「無報酬では、働きませんよ? リヴィア様に真実を打ち明けて、将来の子爵夫人として、彼女に正当な報酬を要求するのも吝かではありません」
「くそっ……!」
つまり、望まない同居人を抱え込むために金を払い続けろ、と。
でなければリヴィアにバラす、と忠告された。まったく最悪な気分だった。
「サイードと話し合え! 法外な額は払わんぞ!」
「では、ありがたく」
水色の髪の役者は、スッと立ち上がり、ハリードの横を通り過ぎようとする。
洗練された動きだった。やはり、どこか貴族家出身の女なのだ。
「……お前、名前は?」
「名前、ですか?」
「ああ、そうだ」
「ふふ。エレクトラ・ヴェント。……ですわよ?」
「ふざけるな!」
「あらあら。普段から、徹底していただきませんと困ります、子爵。でなければリヴィア様に真実が知られてしまいますわ」
「ぐっ……!」
契約が終わったら、この役者が所属しているだろう一団に圧力を掛けてやる、と。
ハリードはそう思ったが、はぐらかされてしまった。
イライラが募っていく。
以前から感じていた『何者か』の手の平の上に居るような、嫌な感覚を覚えた。
「……子爵。貴方のため、そしてリヴィア様のために、改めて聞いておきたいのですが」
「なんだ!」
この女をさっさと追い払いたい。そう思うハリードに、彼女は纏わりつくように近付いた。
「貴方、本当にあの提案を断ろうとしましたか?」
「……なに?」
役者の目は、とても、驚くほどに冷え込んでいる。
思わずハリードは、彼女の視線の冷たさに一歩、後退りした。
「私が、『本物のエレクトラ』だったなら。……貴方、リヴィア様の提案を、本当に断ろうとしましたか?」
「……!?」
「貴方は、そんな風に怒らずに『良いアイデアだ』とでも言って、受け入れたのではありませんか? ここに居たのが、本物のエレクトラ・ヴェントであったなら」
ゾクリ、と。ハリードは役者の言葉に寒気を感じる。
その指摘は、図星だった。確かにハリードは『本物であったなら』と。
そう、考えていたからだ。
「ふ……。やっぱり。不貞を働く男性は、どうしてそう『別れた妻』を手元に置きたがるのかしら? 忘れればいいのに、ねぇ?」
「何を……! 俺は……!」
「ないものねだりをしているのでしょう? 薄々と分かっているから。リヴィア様だけでは満たされないと。だから二人共、と。そうして、それが当然に受け入れられると考えている。だから、貴方も『彼女』を捜した。知っています? そういう人って自分が捨てた側のくせに、彼女が『別の男性』と幸せに暮らしていたら……嫉妬するそうですよ?」
「……!?」
「貴方の幸せは、元奥様のことを忘れること。だって、それが貴方の選んだ人生だから。ふふ、きちんと忘れられるかしら? 『私』が居る内は、難しいかもしれませんねぇ?」
「お、お前は……」
ハリードは、目の前に居る女が、得体の知れない何かに感じられた。
「一体、何なんだ……? 『誰』だ……?」
「私は、エレクトラでございます、子爵様。ああ、でも。ご安心を。元奥様は、どうお考えか分かりませんが。私は、貴方とリヴィア様が結ばれることを望んでいますから」
「……なに?」
「どうか、幸せなご結婚を。英雄ハリード・カールソン。……誰に与えられた剣を振るい、誰に望まれた幸運なのか知らず、踊り続ける騎士様。どうぞ、彼女を幸せになさって? 貴方の『役割』はリヴィア様を幸せの絶頂へ導くことでございます」
ひゅっ、とハリードは息を呑む。
この女は、目の前の『エレクトラ』は……ただの役者では、ない。
それに気付いてしまった。
だが、もうハリードは彼女を家から追い出すことは出来なくなっていた。