19 役者
「やはり、変わりませんか」
「……ああ」
「リヴィア様は、やはり心に傷を負われているのかもしれませんね。我らでは、その傷を理解して差し上げられなかったのです」
ハリードは、侍従長の言葉に『そうなのだろうか……』と悩んでいた。
リヴィアとの関係は悪くはない。
エレクトラと離縁してから、既に半年。
ここ3ヶ月ほどは侍従長に助言されたように、エレクトラのことは気にしないように言い続けた。
彼女の捜索も打ち止めにして捜すのを止めている。
ハリードは、グランドラ辺境での戦いで英雄とまで呼ばれ、名声を手に入れた。
そして子爵を賜って、領地の運営は今も滞りなく行われており、順風満帆な人生のはずだ。
リヴィアとは正式に婚約している。
その点について少しだけ揉めはした。
離縁してから、すぐに結婚するのは外聞が悪い、というのは間違いないのだ。
それは侍従長たちの意見が正しいと思い、すぐに結婚は出来ないとハリードは、リヴィアを宥めるしかなかった。
まだ結婚していないからこそ、ハリードがエレクトラに未練があると思われているのだと。
そういう風に指摘されてしまうと何も言えなくなり、とにかくリヴィアを気遣うことしか出来ない。
陞爵と英雄、聖女という名声もあり、領地に帰還してしばらく経った今。
他家から茶会や夜会への招待状も届き始めている。
「リヴィアを他家の前に出すか」
「旦那様たちの仲を皆様に知っていただく、良い機会となりましょう」
「……本心でそう言っているのか? サイード」
「もちろんでございます、旦那様」
「リヴィアは……」
彼女は、孤児であり、教会で育った女性だ。
貴族夫人としての教育を受けたことなどないはず。
「旦那様。彼女は育ちは孤児かもしれません。貴族と比べれば、マナーがなっていないこともありましょう。……ですが。貴方は英雄とまで謳われた騎士であり、彼女は聖女と呼ばれた女性です。そんな貴方たちが、貴族の礼法が至らないからと否定されては、世の中の誰も結婚など出来ませんよ。リヴィア様は子爵夫人となられます。ですが、彼女は、彼女のままで、よろしいのではないでしょうか」
「……なんだって?」
ハリードは、侍従長の言葉に目を見開き、驚いた。
貴族家に仕える使用人の意見とは、到底思えなかったのだ。
「旦那様とリヴィア様は、普通の貴族夫妻ではありません。なれ初めも異なれば、結ばれ方も異なり、また求められていることも違いましょう。彼女に『貴族夫人らしさ』を誰が求めるのですか? 彼女の生い立ちも、在り方も既に周知されているはず。それにも拘わらず、マナーを求めるのは、その相手の良識を疑います。もちろん、上位貴族や、王族相手であれば、礼儀正しくすべきだとは思いますが……」
「そ、そう……か?」
「リヴィア様のご年齢で、改めて貴族のマナーを徹底的に学べ、というのは酷です。むしろ、それは彼女の『良さ』を殺してしまうだけではないですか? 少なくとも、彼女は『聖女であること』の方が求められているはず。……もちろん。恐縮ですが、お二人の間にお生まれになるであろう、子供については『貴族の子として、しっかりと教育を受けるべき』と進言させていただきます。もしかしたら、その点でリヴィア様とは衝突してしまうかもしれませんが。ですが、リヴィア様に関しては……私は、そのように考えます」
「あ、ああ……。そう、か」
リヴィアは貴族令嬢ではない。だから驚いてしまう言動もある。
だが、カールソン家の使用人たちは、そんな彼女にしっかりと対応してきた。
ハリードは、そういった彼女のことを可愛らしいと、そう思っている。
……何かある度に突きつけられる経費について、いつも現実に引き戻されるが。
「話を戻そう。リヴィアは、どうしてもエレクトラに拘っているらしい」
「はい、旦那様」
「……エレクトラは見つからないんだな?」
「捜索は打ち切りました。一応、カールソン家と繋がりのある商人たちには話を聞いていますが、特に続報はありません」
「ああ……。だから、例の役者にエレクトラのフリをして貰う、という話だが……」
「手配されますか?」
「ああ、頼む」
ハリードは、やむを得ず役者を用意することにした。
そして、リヴィアと会わせたのだ。
◇◆◇
「はじめまして、リヴィア様。エレクトラと申します」
「……貴方が、奥様?」
エレクトラとは似ていない女性だった。
髪の色だけは、彼女と同じ水色のものだが……。
(そう言えば、もう2年以上、俺はエレクトラの顔も見ていないのか……)
ハリードは、そんな風に思う。
目の前の女性が、エレクトラではないことは分かる。
だが、彼女は……どんな顔を、いや、どんな表情をしていただろうか。
政略結婚だった。結婚式も挙げられず、結局は誓いのキスもせず。
挙句に、白い結婚で初夜すら、まともにしなかった妻。
一緒に居たのは、たった一日だ。
辺境への招集命令がなければ、今頃どうなっていたのだろう。
使用人たちから、エレクトラへの悪評は聞かなかった。
あえて口にもしていない様子なのは、ハリードにも分かる。
だが、家として財政破綻もせず、領地はきちんと運営されていて。
エレクトラが貴族夫人として申し分なかったのは伝わってきた。
それに彼女は、隣領のヴェント子爵令嬢だった。だからこその政略結婚で。
離縁した今、過剰な報復こそされていないが、ヴェント子爵家とは積極的な繋がりは求められなくなった。
大きく困ることは起きていない。なんとなく窮屈に感じる程度で。
……ここに居るのは本人ではないのに、ハリードの中には何とも言えない感情が溢れた。
「もう、奥様と呼ばれる立場ではありませんわ。ヴェント子爵令嬢とお呼びくださいませ」
その言葉に、ハリードは、ぎょっとした。
この役者は当然、エレクトラではない。
つまり今、彼女は『勝手に貴族令嬢を名乗った』のである。
これが誰かにバレたら大問題だと今更に思った。
(だ、だが、今日だけだ。今日、ここでリヴィアに納得して貰えば、もう彼女と会うことはない……!)
「奥様……! ごめんなさい、私がハリード様を愛したばかりに……!」
そしてリヴィアは『エレクトラ』にそう告げる。
「何を謝るのですか。素晴らしいではないですか、愛し合う者が出来て」
「そんな……! だって、奥様は大変だったのでしょう? この半年……、ですから、ごめんなさい……!」
「この半年は、実家のヴェント家で緩やかに過ごすことが出来ました。ですので、ご心配いただくことは何もありませんよ」
ハリードは、ハラハラとそのやり取りを見守った。
リヴィアにバレるとは思っていなかったが、勝手に貴族家の内情を偽っているのはよくはない。
「そんなことありません!」
「……はい?」
そこで役者が首を傾げる。
「奥様、私……貴方に会ったら言おうと決めていたことがあるんです!」
「それは一体、何でしょうか」
そこまで微笑みを浮かべてリヴィアに対応していた役者は、首を傾げた。
その仕草は、如何にも貴族の女性らしいと思う。
もしかしたら実際、どこかの家の出なのかもしれない。
「──奥様、私たちと一緒に暮らしましょう!」
「……は?」
その場に居た誰もが、ハリードも侍従長も、思ってもいなかった提案だ。
「貴方たちと? それはまた……。私、エレクトラは『カールソン卿』とは離縁した身です。共に暮らす意味がないと思います」
その通りだ、と。ハリードは役者の意見に同意した。
もはやエレクトラの演技に意味があるとも思えない。
「ですが! 奥様は、ずっとこちらで暮らすはずだったのでしょう? それを私が……ハリード様と愛し合ってしまったからこそ、家を出ることになって! それで奥様が、家を追い出されるなんて……! 良くないです! ですから奥様には……今まで通りに、この家で暮らしていて欲しいのです!」
(何を……言っているんだ、リヴィアは……?)
ハリードの背中を滝のような汗が流れた。
リヴィアは、まるで『良いアイデアだ』と言わんばかりの表情で。
もし。もしも。
ここに居るのが『本物のエレクトラ』だったなら。
或いは、ハリードも、リヴィアの言葉に同調してしまったかもしれない。
……だが。
ここに居る役者は、ただの役者であり、エレクトラではないのだ。
金で雇って、エレクトラのフリをしているだけの、まったく赤の他人。
そんな人間を屋敷にいつまでも拘束し、留めておけるはずがない。
「リヴィ、」
「──素晴らしいお考えですね。では、お言葉に甘えて、こちらで一緒に暮らすことを許していただけますか?」
「な……!?」
あろうことか。
エレクトラと同じ水色の髪をした役者の女は、リヴィアの提案に乗ってきたのだった。
ちなみに。分かる人にはわかる。
エレクトラ・【ヴェント】=【エレン】
リ【シャール】・【クラウディウス】→利き腕の負傷。
【ハリード】・【カー(ル)ソン】
主人公を【ミューズ】にすべきだったか……。
悪役令嬢【カタリナ】を出すか……。
お父様は、もういないのよ!
 





