17 そして辺境へ旅立つ
クラウディウス卿の腕が無事に治ってから、また数日が経っていた。
まだすぐに動かしていいのか分からず、リハビリも兼ねての経過観察だ。
腕を動かせなかった期間だけ、鈍ってもいるだろうから、そこの『齟齬』にどう折り合いをつけるか。
その辺りは騎士としての彼の勘次第であるので、気長に待つのみだ。
その間、私は充分に悩む時間を得ることが出来た。
でも、概ね心は決まっている。
それは、彼の腕を治すことができたからだった。
……どうやら私には才能があるらしい。
そして、それを活かせる地が、グランドラ辺境伯領であるのは間違いない。
公爵家の騎士団の胡散臭さを聞いた後だと、王都のそういう騎士団で働こうとは思えないし。
彼のように困っている人を、私の魔法で治すことができたらいいな、とそう思ったのだ。
「クラウディウス卿」
「ああ、シスター・エレン」
私は、教会の裏手で木剣を片手に剣の型を反復していたクラウディウス卿に声を掛けた。
「どうですか、その後」
「そうですね、筋力は多少、以前より衰えてしまったかもしれませんが……。動かす分には問題なく。怪我をしていなかったかのように動かせています」
「それは良かったです」
「……その、シスター」
「はい」
「……感謝する、のが当然なのですが」
クラウディウス卿は、困惑した表情で私を見つめた。
「実は、まだ実感が湧かず……」
「実感?」
「はい。……ずっと、あの動かない腕で、残る痛みと一生、付き合っていかなければならないと。そう覚悟していたんです。それが……これなので」
そう言って、ぶんぶんと元気に右腕を振り回すクラウディウス卿。
「そうでしょうねぇ……」
治した私もビックリなのだ。
というか、治したいとは思っていたけれど、治るとは思っていなかったというか。
全力でやったら痛みが少し引くとか。ほんの少し動かせるようになるとか。
そんな風に思っていたのに。
それが、まさかの完治である。
思わず、お互いに顔を見合わせて『あははは』と乾いた笑いを浮かべてしまったほどだ。
『どうするの、この空気? え、本気で? え、治ったの??』という困惑しかなかった。
「なので、ええ。シスター・エレンには間違いなく感謝してもし足りない、と。頭では理解しているのですが。そこに伴うべき感動が、心が追い付かないといいますか……。自分は、もっと貴方に感謝すべきなのに、そこにまだ気持ちが至っていなくて」
治された当人が混乱してしまっている!
そりゃあそうだろう。
もっと大袈裟に言えば、問題が生じて腕を失くしてしまった人が、ある日『痛みを和らげられるかもしれませんよー』と治療されたら、腕が生えちゃいました! ぐらいの衝撃的な出来事である。
『ええええ……!?』という困惑が先に立ち、ちょっと感動が追いつかない。
正直、私もいまいちピンと来ていない。
だが、間違いなく彼の腕は動くようになったし、彼の人生は大きく変化した。
きっと、これから先、動く腕と共に生活していく上でじわじわと実感していくのだろう。
「感謝しています。していますが、この感謝をどう貴方に伝えればいいのか」
「いやぁ、私も驚いていますので……なんとも、はい」
「辺境に向かわれるのでしたら、命を懸けて貴方の護衛を務めさせていただきます!」
「それはちょっと。死んでしまったら、せっかく治した腕が勿体ないですよ」
「あはは、確かに。『勿体ない』ですね」
朗らかに笑う彼。以前にあった暗い影が晴れたような様子だった。
ふと、彼の言い分が気になる。
「クラウディウス卿は、腕が治っても辺境へ向かう予定なのですか? 私の護衛を買って出るということですけど」
「ああ、それは、そのまま。そのつもりです。腕が治ったこと自体、正直、古巣の騎士団には知られたくありませんし」
「それは……」
確かにそうでしょうね。
また嫉妬で何かされたら、たまったものではない。
それに彼は、どうも騎士団を解雇された後、再就職も難航していたと聞く。
それこそ、どこかから圧力が掛けられていた可能性も……。
相手が相手だけに正面切って、やり返すのは難しいだろう。
それよりも遠く離れた地で、問題の相手とは深く関わらず、平穏に暮らせる方がいい。
……きっと思うところはあるはずだ。
腕が動かない間、憎しみだって深かっただろう。
でも、こうして治った後は……と。私は、そこまで考えて。
「クラウディウス卿は、私と似ているかもしれませんね」
「シスター・エレンと自分が、似ている、ですか?」
「ええ、抱え込まれた境遇が、です。実は私も、元居た場所からは追い出されるところだったんです。幸い、といいますか、事前に対策を打って、逃げ出すことができたのですけど。もしかしたら今より、もっと酷い境遇で追い出されるところでした」
私は、幸運にも。或いは奇跡的に。
回帰か、予知か分からない、不思議な夢を見たことで、どん底の境遇を回避できた。
神の思し召しか。ただの気まぐれか。
後で見た鮮明な夢の中では、私は命すら落としていた。
それを考えれば、今の境遇は随分と恵まれているだろう。
クラウディウス卿も、理不尽に人生を追い込まれていた。
片腕が使えないままで辺境へ向かって、そこで働けることになったとしても、どうなっていたかは分からない。
それは、きっと彼も分かっていたはずだ。
そうして魔獣との戦いにもなれば、命を落としてしまう可能性もあった。
それは今でも変わらないかもしれないけれど、利き腕が使えるのと、そうでないのではまったく違うだろう。
「……だとしたら、貴方がそうして逃げてきてくれたことにも、自分は感謝したいです」
「逃げてきたことに、ですか?」
「ええ。だって貴方がそうして逃げて、ここに居なければ自分の腕は動かないままだったのです」
「うふふ、そうなりますか」
「ええ、そうなります」
なんという奇妙な縁だろう。
人生とは、どう転ぶか分からないし、どういう縁があるかも分からないものだ。
夢の中の世界では、私はクラウディウス卿とは出会っていなかった。
それが今は、こうして彼と朗らかに笑い合っている。
ああ、悪くない。そう思えた。
彼のように笑顔にできる人を、これからもっと増やせるだろうか。
私には、きっとその力が、才能がある。……だから。
「クラウディウス卿」
「はい、シスター・エレン」
「私、グランドラ辺境伯領に行こうと思います。この力を、もっとちゃんと使えるようになって。貴方のように笑顔にできる人を増やせたら……きっと、それは素敵な人生だろうな、って。そう思ったから」
思えば、これも運命的なものだったのかもしれない。
私に、それだけの才能があるのなら。
男爵夫人なんて、している場合ではないだろう。
「……はい。それは、きっと素敵なことだと自分が証明になります」
「うふふ、そうですね。では、クラウディウス卿。どうか、かの地までの私の護衛、引き受けていただけますか? ……ええと、お給料は、リューズ神父にお任せするとして」
「あはは、分かりました。お受けいたします、シスター・エレン。……ここで貴方に騎士の誓いを立て、主君と仰ぐとロマンチックでしょうか」
「それは、ちょっと。患者の皆さんを一人一人、専属騎士にしていたら、治療もままなりませんから」
「違いありません。ですが、それほどの……感謝をしています、貴方に」
「はい、感謝をお受け取りいたします」
「……では、騎士の誓いの代わりに」
「はい?」
クラウディウス卿は、朗らかに笑いながら。
「俺のことはリシャールと。呼び捨てで呼んでください」
私は、その言葉に少しだけ驚き、でもすぐに笑顔で返した。
「分かりました、リシャール卿。どうか、これからよろしくお願い致します」
そうして。私たちは、辺境へ旅立つことを決めたのだった。
 





