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01 白い結婚の提案

「申し訳ございません、旦那様。私、白い結婚(・・・・)を求めます」


 結婚初夜。

 新妻となったエレクトラは、夫となった男ハリード・カールソンにそう告げた。


「……何を言っている? 正気か?」

「はい、旦那様。ああ、ですが白い結婚というのは一時的なものです」

「一時的?」

「ええ、旦那様。理由は二つございます。聞いていただけますか?」

「……ああ、話せ」


 二人の結婚は、政略結婚だった。

 結婚する前、エレクトラはヴェント子爵令嬢で、ハリードはカールソン男爵。

 領地が近い二家門の橋渡しとしての結婚だったが、大きな事業提携はなく、領地の安定を求めての政略だった。

 問題だったのは、二人の結婚式が近付いてからだ。


「旦那様は明日(・・)、出兵されます」

「……そうだな」

「理由の一つ目は、旦那様が無事にご帰還できるようにと願う『願掛け』ですわ」

「……願掛け?」

「ええ、実は『騎士の妻』の間では、そういった願掛けがありますの。何分、命懸けの職務。妻としては、戦場に出る旦那の安否こそが最も気になるところでございます」


 ハリードは、新妻の不穏な提案で高まった緊張から、一気に拍子抜けした気持ちになった。


 確かに明日、騎士である自分は新妻を置いて家を出て戦場に向かう。

 戦場というのは、他国との戦争の場ではなく、湧き出した魔獣共と戦う場だった。


 あろう事か結婚式を間近に控えた日、辺境で魔獣が大量に湧いたと一報が入った。

 騎士として参じろと王家から命令が下ったが、そうして出兵に駆り出されるのはハリードだけではない。

 多くの騎士たちが、動員されることになる。

 準備に使える時間の猶予は、あまり与えられなかった。


 そこでエレクトラとハリードは、結婚式を挙げることなく、書類を整えるだけの結婚をし、出兵の準備に時間を使うことにした。

 教会での誓いのキスもなく、神父に立ち会われての、書類を確認するばかりの結婚。

 そういった状況を経て、二人は夫婦となり、初夜を迎えることになったのだ。


 エレクトラが言ったように、ハリードは結婚翌日の明日、屋敷を出て戦場へ赴く予定だった。

 そこで要求されたのが白い結婚だ。

 ロクな結婚式も挙げられなかったことに女性であるエレクトラが不満を持ったとしてもおかしくはない。


 だが、同時に『面倒くさい』という苛立ちも、ハリードは感じていた。


「戦場に出る騎士とは、あえて交わらず。帰ってきてからの交わりとする。そうすることで騎士様の『生存欲求』が上がり、無事に生還できるのだ、とのことです」

「……迷信じゃないのか? 理屈は分からなくもないが……」

「それは、そうかもしれません。ですが、試せることは試しておきたいのです。旦那様が無事に戻られますように、と。ですから、どうか残される者に希望をお与えくださいませ、旦那様」

「……ふむ」


 男としては、切って捨てたくなるような要求だ。

 だが、この要求の根本は、戦場に出る己の、無事の生還を願うもの。

 そのような願いを、己の欲望だけで無下にするのは、あまりに体面が悪い。

 どこの誰か知らないが、余計な迷信を広めたものだと、ハリードは舌打ちしたくなった。


「……理由は二つあると言ったな。もう一つは?」

「はい、旦那様。それは『不貞を疑われないため』でございます」

「……不貞、だと?」


 ハリードの表情は一気に険しくなる。


「どういうことだ」

「ええ、旦那様。旦那様は今、まだ気持ちに余裕がおありかと思います。ですが……戦場から帰った後では、そうはいきませんでしょう?」

「……まぁ、それはな」

「はい、そこでです。例えばですが……今日、私たちが初夜をこなしますと、それが一度とて、やはり子を孕む可能性は大いにございます」

「それの何がいけない? 俺たちは、そのために結婚したのだぞ」

「もちろん、悪くはありません。というよりも、私とて、このような状況でもなければ、こんな提案は致しませんでした。結婚するのですから、今夜に旦那様と交わる覚悟は、以前より持っておりましたとも。でなければ今日、ここに私はおりません」

「…………それもそうか」


 こんな状況でなければ。

 つまり、ハリードが明日、戦場に出て、家から居なくなるような状況でなければ。


「で、不貞とは?」

「それは旦那様のお気持ちの問題でございます」

「俺の気持ち?」

「はい。……旦那様は、おそらくですが戦場帰りで荒んだ心を抱えて戻られることでしょう。どれほどの期間に及ぶかは分かりません。すぐに帰って来られるのならば、文句もありません。ですが……戦いが長引いた時が恐ろしく思います」


 エレクトラは、まっすぐにハリードを見つめている。

 そこには何かを疑わせるような素振りはまるでなかった。


「初夜の一度で子を孕んだ場合、旦那様は私の膨らむ腹も、生まれてから大きく育っていく赤子の姿も目にすることは叶わなくなります。……男親は、自らの身体でないからこそ、そうした目に見える変化をこそ目にすることで、己が父親なのだと知ると聞きました。初夜で子供を授かった場合、今の私たちの状況では……。戻られた旦那様にあらぬ疑念を生んでしまうと危惧しています」

「あらぬ疑念とは?」


「それは、私が不貞をしたのではないか、という疑念でございます。なにせ、長くそばに居なかった妻ですから。いくら監視をつけようとも、それは旦那様ご自身の目ではありません。荒んだ心で一度、お疑いになれば……その疑念は解決のしようがなくなるでしょう。子供が旦那様に似ていれば良いのですが、私に似ていた場合……旦那様のお心を解決する術が、おそらく私にはございません」


 ハリードは、エレクトラの言葉を受けて想像する。

 魔獣との戦いが一年以上に長引けば、エレクトラが今言った状況になりうる。

 己の子供が、己の知らぬ間に生まれている状況だ。


 妻の腹が膨らむところすら見られない。

 そして生まれてから、小さな身体が大きくなっていく姿も……。

 そんな状況で、一度でも妻の不貞を疑ってしまえば……。


「きっと、そういった状況で旦那様がお疑いになられても、私は信じていただくより他にありません。確かに旦那様の子であって、不貞など犯していなかったとしても、です」

「…………そうかもしれないが、しかし」


「はい。考え過ぎかもしれません。ですが、この不安を解消する方法がございます。それは……旦那様が無事にご帰還された後。そこで『初めて』私を抱いてくだされば良いのです。そうしていただければ、まず私への不貞の疑いはなくなるでしょう。旦那様の居ない間に……などと、不可能となります。なにせ、そのような不埒なことを私がしたら絶対に旦那様にバレてしまいますから」

「……、……なる、ほど」


「ええ、ですから初夜は旦那様が、無事にご帰還されてから。今夜の私たちが交わらなかったことは、使用人たちにも周知しておきましょう。そうすれば、どんな言い訳をすることも出来ません。間男なぞ、発生しようがないのです。私は絶対に、旦那様以外には抱かれていない、と。その証明になります。……もちろん今、清い身体でございますから」


 そうして、ハリードは己の欲望と、将来の懸念材料を天秤にかけて……。

 エレクトラの要求を呑むことにした。


 二人は初夜で交わらないまま、ハリードは戦場へと向かったのだ。


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