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ジャム〜乙女わざ「北統麝汞流」始末記〜  作者: 遠 泳


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9/12

第二撃「白湯」①

第二話「白湯」は全3回です。各回の文字数は第一話と同じ900〜1500字前後です。

 駅で言うと高円寺と阿佐ヶ谷の中間あたり、東京都杉並区月待(つきまち)にある自宅の一室で、16歳の北森(きたもり)(きょう)太郎(たろう)が棒を振っていた。


 一見日本舞踊の稽古場のようだが、ところどころ奇妙な空間だった。まず床が3色に分かれている。小さな庭に出る引き戸があるのは靴脱ぎ場を兼ねた2畳ほどの土間。そこから一段上がると10畳のつやつやとした白木の板敷き。だが板敷きの半分には(たたみ)が乗せられており、鏡太郎がいるのはその上である。

 庭の入り口から見て左側の壁には、ほぼ全面に大きな鏡が張ってある。窓のある右側の壁近くには、(はり)からウォーターバッグ(水と空気が入ったパンチングバッグ。サンドバッグより、感触が人体と近いとされる)が()るされていた。窓には暗幕のような厚手の黒いカーテンがかかっており、部屋の中は薄暗い。


 振っている棒も奇妙だった。年季の入った赤樫(アカガシ)材で直径は2㎝強、鏡太郎の身長の168㎝より少し短い。(しん)の部分が縦長にくり抜かれ、そこに細長いガラス管がはめ込まれていた。ガラスの中では銀色の液がゆっくりと動いている。

 化学記号Hg。水銀だ。

 少年は、薄手な道衣(どうい)の上下を身につけた上に、黒い(はかま)を履いている。弓道や合気道のようなズボンタイプの「馬乗り袴」でなく、ロングスカートタイプの「行灯(あんどん)袴」だった。身体をひねったり回転させる度に裾が(ひるがえ)ったが、素足は一畳の畳からはみ出ることはなかった。

 棒の片端を両手でつかんで(ゆか)()(はら)うように振り、抱え込み、鋭く上へ突き出し、次は片手持ちでバトンみたいにゆっくりと回す。所作全体が、水銀のたゆたいに同調する「流動体」の気配をまとっていた。水面(すいめん)を歩いているような()(あし)、時折りタン! と畳を踏み鳴らす足運びは、能や狂言も思わせる。

 しばらく振った後、鏡太郎は壁に()えつけられた置き場に棒を掛けると、ウォーターバッグと壁の間に立った。バッグにお辞儀するように頭を下げ、上体を起こした次の瞬間、左掌がウォーターバッグを打っていた。ぼしゃりという音がする。


 ほぼ予備動作のない動きだった。


 バッグに寄り添うように周囲を摺り足で移動しつつ、左右のてのひらが連続してはたき込まれていく。

 ()でるような打ち方、めり込ませるような打ち方、吸い着くような打ち方、横面(よこつら)を張るような打ち方、指先ではじくような打ち方、バッグ下部をアンダースローのように(たた)く打ち方…両掌の多彩な軌道は一見、舞い飛ぶ蝶のようにやわらかだが、一打ごとにバッグはそうとうに揺れ、水音を立てる。足首や膝のさりげない屈伸の反動を腰から肩、肩から腕へ螺旋状(らせんじょう)のねじりで増幅することで、至近距離からとは思えない打撃力が発せられていた。


 ()(ちょう)(べん)ーー。


 古流武術「(じゃ)(こう)(りゅう)」独特の打撃だった。鏡太郎がニ代目の宗範(そうはん)を務める分派「北統(ほくとう)」では、この技を(こと)に重視する。

 両掌の打撃の合間には、これもさまざまな角度から飛び出しナイフのように繰り出される(ひじ)()ちが、バッグに「く」の字にめり込んでいく。

 蹴りも加わった。やはりほぼノーモーションで、バッグの下部にのみ膝や()()()が鋭利に放たれる。アクション映画のような華麗なハイキックはもちろん、中段を狙うミドルキックさえ見られない。


〈続きます〉

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