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ジャム〜乙女わざ「北統麝汞流」始末記〜  作者: 遠 泳


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第一撃「シナモン」⑧

 金髪男は「はい、立ってくーださい」とまた少年の胸ぐらをつかんで強引に立ち上がらせつつ、右拳を振りかぶる。

 その右腕に、鮎が(うな)(ごえ)を上げながら体当たりするようにしがみついてきたのには驚いたようだった。少年の胸ぐらから男の左手が放れる。

 鮎の目が、地面に両膝をついた少年と合った。砂浜で初めて会った時の剛士のような、あっけに取られた顔をしている。鮎が唇の端に葉巻のようなものをくわえていたせいもあるかもしれない。鮎は叫んだ。

「誰か、呼んできてよ!」

 しがみつかれたまま、男は右腕で鮎の身体をまさぐってきた。反射的に鮎の力が緩むと、強く突き飛ばされ、今度は背中から地面に転がる。噛みしめていたシナモンスティックが口から落ち、プリーツスカートの裾が少しめくれた。むきだしの肩と腕には(ひょう)がてんてん、と当たり続ける。

「胸あるっぽいじゃん、けっこう」

 男はそう言いながら見下ろしてきた。視線が鮎の脚にレーザーポインターのように貼りつくと、“におい”がボリュームをひねったみたいに一段と濃くなった。絶望的にラブリーな超能力だ。ここで蜂蜜バターの幸せな香りなんて、場違いどころか狂ってる。

 少年がひょろっと立ち上がると、男と鮎の間に、(たて)となるように割り込んだ。君がいい人なのはよくわかったから…と、鮎は内心ため息をついた。なんなら、このまま逃げてくれたって(うら)むつもりはなかったのだ。

 金髪男は、やれやれという表情で「エラいね、ぼくー」と言うと、軽く上半身を揺らしてファイティングポーズを取る。

 少し(うつむ)いたままの少年の口から何か言葉が漏れた。「…うかい」と聞こえた。

 男が「しっ」と鋭い呼気を吐きながら、少年の顔に向けて右のジャブを放つ。


 ぱん、という乾いた音が2回、いや1.5回した。

 かろうじて鮎の目には残像が残った。


 少年は拳を半身になりながらすれすれでかわすと、金髪男の(うち)(ふところ)に飛び込みざま、(みぎ)(しょう)横面(よこつら)をはたいた。ほぼ同時に、アンダースローを投げるように放たれた(ひだり)(しょう)が、股間を一撃していた。


 蛇が、かま首を瞬時に走らせて毒の牙を撃ち込む時のような、閃光(せんこう)を思わせる動きだった。


 男が不自然に急停止する。フリーズがかかった動画みたいだ。口元のニヤけはしぼみ、何かを悲しんでいるような顔になっていく。そのまま、少年にすがりつくようにゆっくり崩れ落ちた。「お…ぁ……」と(うめ)きながら、地面に膝をつく。

 霧が晴れるように“におい”が消えた。

 少年は男の背後に回った。右腕が(つる)のように首に巻きつき、締め上げる。男の両目が飛び出るように見開かれたが、数秒でその身体から、かくっと力が抜けた。柔道で言う「落ちた」という状態なのだろう。

 金髪男を、頭を打たないように静かに地面に横たえると、少年は(かが)んで、男のポケットからパスケースを取り出した。開いて、中を確認している。やがて「高3かよ。…ったく」とあきれたような声を()らした。

 背中を向けていて、鮎には少年の表情はわからない。少し弱まった雹が、もしゃっとした後ろ髪と猫背気味の詰襟の背中に白点を打ち続けている。

「……あのぅ、ケガとかは大丈夫ですか」

 地べたに座り込んだままの鮎に、少年が話しかけてきた。鮎は「…はい」と答えた。

「ならよかった。もちろんその、なんつーのか…ケガしてなきゃいい、って状況でもないでしょうけど」

 鮎がなんと言うべきか迷っていると、彼は立ちながら言葉を続けた。

「あのぅ、帰って大丈夫ですから」

 ずっと背中を向けたまま、近寄ってこない。鮎に顔を見せたくないのだろうか。

「Suicaや学生証見た感じ、こいつこの辺のやつじゃないみたいなんで、アナタがまた会ったりする心配は少ないと思うんで」

 ケンカに勝利した(たか)ぶりなど、まったく声に(にじ)んでいない。気のいい男子が掃除当番の時に言う「後は俺やっとくから帰っていいよ」みたいな平熱のトーンだった。

 鮎はスカートの砂利を払い落としながら立ち上がる。まぶたの近くについていた雹が溶け落ち、(ほほ)に流れた。泣いていると思われたら冗談じゃない。土のついた指だったが、急いでぬぐった。とにかくありがとうを言わないといけない。

「どうも、あり…」

「あのぅ、勝手ですけど、一つお願いあって」

 鮎の言葉をさえぎり、少年が何か決意したようにこちらを向いた。おもむろに、前髪が地面につきそうなくらい深々と頭を下げる。

「すいません。今のこのこと、誰にも言わないでもらえますか!」

 どういう日だ。謝りたくもない人間に「すいません」と言い、お礼を言うべき人に頭を下げられている。

「すいません。どうかお願いします!」

 鮎は、黙ったまま少年の後頭部を見下ろしていた。正解のリアクションがまるでわからない。

 地べたの金髪男の口から「…うーーん…」と声が出た。鮎はびくっと身体を固くする。

 公園沿いの道路から「あれ、ソーハン? ソーハンじゃないの?」という声が聞こえた。

 鮎が振り向くと、ミニパトカーの窓を開けて、婦人警官がこちらを見ている。フロントガラスの上で、雹がポップコーンみたいに跳ね返っていた。


〈第一撃「シナモン」/おわり〉

第一話の最後まで目を通してくださった方、ほんとうにありがとうございます。

「続き」にもお付き合いいただけましたら嬉しいです。

第ニ話は第一話よりもだいぶ短いです。数日中にアップする予定でいます。

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