第一撃「シナモン」⑥
「ねえってさぁ」
鮎は顔を上げた。
さっきの金髪男が、上半身の姿勢悪くスマホを手に立っている。
「キレイだよねー。写真撮ってもいい?」
尾けてきたのだーーたぶん、わざわざ、電車を降りてまで。
痴漢に遭った時の3倍くらいの恐怖と嫌悪感が背筋を貫いた。すぐに立とうとしたが、男はすばやく大股で距離を詰め、鮎の両膝の前ぎりぎりの位置から見下ろしてきた。
「さっきさ、井の頭線中で。合ったよね、目? オレのこと見てくれてたじゃんかー。思わず追っかけてきちゃったー」
「くれてた」ってなんだ。語尾を伸ばすしゃべり方が気持ち悪い。全身に拡がった恐怖が今は首から上に凝集して、頭の中でぐるぐる回りはじめる。園路にはーー誰も入ってこない。自動改札の赤ランプと警告音が脳裏に浮かんだ。
「すっげえかわいいよねー。アイドルみたいじゃん? なんか表に出てる人なの?」
「すいません…あの…」
なんでまた謝ってるんだろう。ショップの袋を肩に掛け直し、男を押し退けるように立とうとしたら、上から片手で右肩を抑えられた。さっき駅のトイレで女性につかまれた時とは力の圧と、質が違った。ノースリーブの肩に触れた男のてのひらから、じめじめしたものが染み込んでくる気がする。
“におい”が始まった。痴漢の時と同じくらいの強さで。
「やめてください!」
地面を踏んで勢いよく立ち上がろうとしたつもりだったが膝にうまく力が入らず、弱々しくしか動けない。反攻は男の手に抑え込まれた。
「そういうんじゃないじゃん。声までかわいいよねー」
主導権を取った気でいる。鮎は「いい加減にしろよ…」と精一杯凄みながら男の目を見上げたが、ニヤけ顔はまったく崩れなかった。手が肩から上腕を沿って移動し、手首を握られる。
鮎はもう一度男を睨みつけ、「大声出します」という言葉をしぼり出す。
「まぁまぁって。ほんと写真だけだからさぁ…」
「放せよ!」
ちゃんと大きな声が出た。男の手を振りほどこうとしたが、つかまれた手首を振ることさえままならなかった。身を屈め、「ちょっと話、しよーよ…」と覗き込むように鮎の頬に顔を寄せてくる。
悲鳴をこらえ、鮎が「キモいんだよ!」と叫ぼうとした時、男の背後でのんびりした声がした。
「すーいません。仔猫捜してて」
鮎も男も声のほうを向く。
髪がちょっともしゃっとした、人の好さそうなだんご鼻の少年が立っていた。
〈続きます〉




