第五撃「うずらの卵」④
「二人っきりで話せて記念になったやん。たぶん、柿星の男子でまだおらんよ?」
トランクス一丁のまま鏡太郎がため息をつくと、さやかは慰めてくれた。
山﨑の件については、言いたいことをもっとちゃんと伝えたかった。「犯罪被害者」である鮎の怒りを、自分は軽く考えていたかもしれない。これからも廊下で顔を合わせたりするだろうし、話の最後が決裂っぽくなったのは落ち着かなかった。
でも、陸奥 鮎にはこれから、キラキラした高校生活が、飛び出す絵本のページをめくるみたいに展開していくに決まっているのだ。自分とのことなんか、すぐに思い出す価値もない記憶になるだろう。
翌々日、金曜の昼休み。鏡太郎がD組の教室で弁当を食べはじめると、C組の樫居臣紀が、「好味堂」のポテトサラダコッペパンと紙パックのコーヒー牛乳を手に「鏡太郎! おかずなにー」と言いながら入ってきた。
区立月待小学校の入学式で隣の席になって以来の付き合いだ。臣紀だけは鏡太郎のことを「ミラ」と呼ばない。サッカー部の期待の星で、ちょっとオオカミのようなキリッとした顔立ちはたまにハーフと間違えられている。
この男を「カッシー」呼びできることが、同じクラスになれた女子の特権なんだそうだ。一緒に下校している時に、他校の女子生徒が意を決した表情で声をかけてきたのも一度ではない。顔がよくてスポーツが優秀、勉強もまあまあ、なおかついいやつという…どうにも始末に困る親友である。
臣紀は、鏡太郎のおかず用タッパーをのぞき込んで言った。
「えっ、うずらの煮卵あんじゃん。今日、金欠でポテサラパンだけでさ、すっげえプロテイン欲してんの」
「今日の、おれ作だけど?」
「鏡太郎の味かあ…」
臣紀は、鏡太郎の父・博一の味つけのファンなのである。
「まぁいいや、恵んで」
「まぁいいって何よ!」
鏡太郎がOKを出す前に、臣紀は添えられていた楊枝を茶色い小さな卵に刺し、ぱくりと口に入れた。
「うまっ。何これエスニックっぽいじゃん」
「…おれだって料理の腕上がってんの」
ほぐした焼きたらこの上に味付け海苔を敷き詰めたごはんをパクつきながら鏡太郎は言った。ジップロックに入れた卵の漬け汁に、タカノツメやハッカクなど冷蔵庫のスパイスを適当にぶち込んだのは自分の思いつきである。
5月だが蒸し暑い日だった。臣紀は制服の上着を着ておらず、ワイシャツの袖もまくり上げている。部活焼けした筋肉質の腕は、自分のなまっ白い腕と並べたくないと思う。
「…オミはさぁ、モテんじゃん」
「何言ってんだよ昼メシん時に」
臣紀は、3個目のうずらの卵に楊枝を刺した。
「女子ちゃんはさぁ、きゃー今日のカッシー腕出してる!…ってオミのハダカ想像したりすんのかな」
「ホントに何言ってんのおまえ? “純潔の勇者”が怒られっぞ」
「してたとして、オミはどうよ」
「だからしねえわ馬鹿。されてたらおれ、喜んじゃうだろうが」
「喜ぶか…まぁな…でもさ…うん…まぁな」
C組の女子が「カッシー、五味先輩が呼んでる!」と入ってきた。臣紀は「ありがとう!」と答えながら立ち上がり、鏡太郎に「ごち」と手を合わせる。そして思い出したように言った。
「そういやさっきビビッたわ。廊下にハチみたいなのいんだもん」
「ハチ?」
「スズメバチとかじゃねえけど。ミツバチだろうなあれ。最近珍しいよな」
臣紀は教室を出ていった。結局、うずらの卵は4個食べられて…半分以上じゃねえかよ! 鏡太郎は、そのまま弁当を完食すると、タッパーを巾着にしまい、おもむろに机に顔を突っ伏した。
秋山と猪田が「ミラ! 屋上でも行かね?」と誘ってきたが、「ああ、おれはいいわ…」と突っ伏したまま答える。
考えていた。今考えていることは、絶対考え過ぎだ。そう考えていた。
〈続きます〉




