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ジャム〜乙女わざ「北統麝汞流」始末記〜  作者: 遠 泳


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第一撃「シナモン」②

 16歳の陸奥(むつ) (あゆ)は女子トイレから出ると、シナモンスティックに片手でごめんと拝んでから構内のゴミ箱に捨てた。自宅でなら、くわえた後もミルクティーやコーヒーに差し込んで使っているが、外ではしかたがない。

 はみ出ていた制服をショップの袋の奥に突っ込み、JRの改札口をくぐった。そのまま直進し、京王井の頭線のホームへ通じる昇りのエスカレーターに乗る。


 幼稚園の時に父親と二人で行った喫茶店で、父が外へ電話をしに出てしばらく戻らないことがあった。心細さと好奇心から、父のカフェカプチーノの皿に置かれたものをくわえて以来、シナモンスティックの甘く、木造の古い家を感じさせる香りと、奥歯で噛んだ時の「ぎゅっ」という厚紙みたいな感触が、鮎にとってここぞという時の精神安定剤だった。

 “煙草ごっこ”のようで子供っぽいし、たまに本当に煙草と勘違いされたりするので、10代になってからは人目がある場所でくわえるのはやめている。さっきも、個室から人が出てきたのは気づいていたのに、どこか上の空でシガレットケース(去年、横浜中華街の雑貨屋でこっそり買った)を開く指が止まらなかった。冷静じゃないんだろう。落ち着くために、トイレの鏡で表情を調整していたのだが、平静な自分がどんな顔をしているのか今ひとつわからなかった。


 これから試そうとしていること、実行するに至った「仮説」、すべてが最悪に気持ち悪い。自分の考えに吐き気さえする。

 でもやると決めた。「仮説」が間違いであると証明し、自らの考えすぎを指差して笑うために。だから下校中に、普段の鮎なら5月下旬の、まして昼間には絶対にしない格好にトイレで着替えたのだ。


 井の頭線の改札ゲートにSuicaの定期券を押しあてる。だが赤いランプが点灯し、閉じたままのゲートに腰をぶつけてしまった。少し後ろに下がってから、また押しあてる。ブザーが鳴り、また開かない。

 イラッとしつつもう一度。開いた。なんだか縁起が悪い気がしたが、ここで躊躇(ちゅうちょ)なんかしてたら(から)勇気がしぼんでしまう。ちょうど2番線に到着した各駅停車のドアが開いた。吉祥寺は終点の折り返し駅なので、乗客がほぼ全員はき出される。改札に向かってくる人の小波をくぐり抜けた鮎は、迷いを振り落とすようにすたすたとホームを歩き、真ん中あたりの車輌に一番乗りをした。


 ショップの袋は網棚に置き、熱帯魚のウロコみたいな柄のシートの端に深く腰掛ける。吉祥寺始発の下北沢・渋谷方面とはいえ、火曜日午後3時半の各停に乗り込んでくる客はそれほど多くなかった。見回した限り、同じ高校の制服は見当たらなくてホッとする。

 電車が発車すると、鮎は脚を軽く組み目をつぶった。昨夜ヨガの動画で見た、深い呼吸を始めてみる。


 井の頭公園。三鷹台。久我山ーー。駅が進むにつれ、車内は少しずつ混んできた。時々目を開け、周囲の様子を確認する。今のところ何も感じられなかった。鮎の左側に座ったお婆さんの二人連れは、吉祥寺に昔あったらしい近鉄デパートのことをあれこれ話している。線路わきのアジサイがマリンブルーやピンクバイオレットの花を咲かせ始めているのが窓からちらほら見えた。

 富士見ヶ丘駅を過ぎ、やはり自分が大バカ勘違い女だったんじゃないか、いやもっとオジサンの多い時間帯を選ぶべきだったかも…と自問自答を始めた時、鼻腔に“におい”が出現した。

 あの…蜂蜜バターの“におい”。 

 目を開けると、はす向かいに座っている金髪の若い男と目が合った。


〈続きます〉

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