第四撃「強炭酸水」③
「ーーーはい。一つ質問」
警察で教えていることまで鏡太郎が話し終えると、鮎はひょこっと挙手をして言った。
たぶん退屈だと思うんでストップかけてくれたら止めるから、と断ってから話しだしたのだが、鮎はそれまでずっと黙って聞き続けていた。途中、麝汞流の特徴を具体的に説明した時は、少しだけ目つきが変化したような気もした。
「男に秘密にされてきたその…流派? をさ。なんで北森くんが継いでるの?」
「…ほんとは、母親が継ぐはずだったんだよ。死んじゃってさ、9年前に。くも膜下出血ってやつで急に」
声に出すと、時間が経ったんだと改めて思う。前は、心につっかえて「くもまっか」とスッと発音できなかったのに。
「おれひとりっ子だし、だから祖母ちゃんは仕方なく…マジで不承不承な感じで小3のコドモに教えはじめたわけ。まぁ、そもそも母親は祖母ちゃんと折り合い悪くてさ。こんな流派なくなればいいのよとか、しょっちゅうバトってた記憶あるから、生きてても継いだかどうかわかんないけど」
話は終わりだ。鏡太郎はベンチから立ち上がり、カバンを肩に掛けた。
「おれはUSBメモリみたいなもんなわけで。いつか、女の人にこれをダウンロードするまでの一時的なサーバーっつうか。本家からも“女の人の危機”にしか技使うこと許されてないし、もし男に教えたりしたら…“完治しないやり方”で利き腕を折って、のどを潰すってさ」
祖母の夕子は、稽古の合い間にお茶をすすりつつ。本家の夜子は、北統を継ぐ認可をもらいに行った際に神棚の前で微笑みながら。同じ顔立ちの老女がさらりと発したその宣告は、どちらの時も鏡太郎をぞわりとさせた。脅している感じがまったくないその口調に、冷たく「本気」が覗いていたからだ。
鮎はまた黙ってベンチに座っている。鏡太郎としては「自虐」で話を冷静っぽく締めくくったつもりだったのだが、“おれってかわいそうだろアピール”みたいになったかもと恥ずかしくなってきた。
鮎は、やがて面倒くさそうに飲みかけのペットボトルをリュックのサイドポケットにしまった。立ち上がり、真正面から鏡太郎を見る。
「北森くん」
そんな事情と思ってなかった。気軽に訊いてごめん。…そういうことを言われるんだろう。話したのはこっちの勝手だし、適当に忘れてもらえればーー。
「今から、わたしも人に黙ってることを言う」
「…は?」
「今からわたしの、誰にも言ってないことを言うから。それで貸し借りなしだよね。じゃないと納得できないし」
金髪との闘いを手伝ったことは「貸し」にカウントされないのかという考えがさすがに頭をよぎったが、恩着せがましい自分をすぐにダサく感じる。しかし…この人に恋人がいるなら…男だか女だか知らないがきっとタイヘンだろう。
鮎は「あー、でもちょっと」と周りを見回した。5時が近くなり、目の前の歩道は人通りが増えている。部活終わりの中高生の姿もちらほらいた。
「ちょっとここじゃ言いづらいかな…歩きながらでいい?」
「じゃ、その前にトイレ行ってくるわ。頻尿なのよおれ」
鮎は顔をしかめた。
「ふつう、そういうこと女の子に言う?」
「別に頻尿は恥ずかしいことじゃねえし」
鏡太郎がトイレを借りようと、区役所の入り口へ歩きだした時だった。
鮎が「ダメっ!」と短く叫び、その場に座り込んだ。両腕で、顔と首を覆うようにしている。
「おい、どした!」
鏡太郎が駆け寄ると、鮎は両腕の間から上の方をきょろきょろ見ている。
「どうしたんだって!」
「飛んでない? 虫…ミツバチとか」
鏡太郎は周りを見回した。品のいい墨色に、鮮やかなオレンジの三日月模様が入った二つ折りの翅が、頭のちょっと上をひらひらしている。
「クロアゲハじゃん。ちっちゃいけど」
「そっか。勘違いだ…」
鮎はリュックを胸の前で抱えたまま立ち上がった。
「虫、めっちゃ苦手なんだな」
そんなに気が強そうでも、という言葉は飲み込んだのだが、鮎の表情が硬くなった。
「……北森くん、アナフィラキシー・ショックって知ってる?」
「え…なんとなくなら。あの、アレルギー反応が強く出ちゃうとかってやつだろ?」
「わたしが、その体質なの。ハチ毒に対して。けっこう激しめのね。今度ハチに刺されたら、死んじゃうかもしれないんだそうだ」
「………」
「だから秋まで、基本長袖。黒い服もNG。ハチが襲いやすいんだって」
「………」
「あ、虫もハチも嫌いじゃない、ちなみに」
強炭酸をポケットから出してまたキャップを捻りながら、鮎は顔を区役所の入り口に向け「どうぞ、トイレ」と言った。
返す言葉を見つけられず歩きだした鏡太郎の背中に「人に言ってないっていうの、今のことじゃないから!」とぶっきらぼうな声が追いかけてきた。
〈第四撃「強炭酸水」/おわり〉
ハチ毒のアナフィラキシーに関しては、文献資料等を確認したうえで書いていますが、素人のため理解が不足しており、認識の誤りなどがあるかもしれません。
実際にハチ毒アレルギーをお持ちの方やそのご家族、お知り合いの方などがお気を悪くされましたら恐れ入ります。




