第四撃「強炭酸水」②
だが先に言葉を発したのは鮎だった。
「なんで『すいません』なんて言ったんですか? 昨日」
まずそこなのかよ…と鏡太郎は思った。
「納得できない。理由なく頭下げられるのって、嫌な気分になる。あと、」
前を向いたまま、鮎は言葉を続けた。
「昨日のあれ…あの……技? は、なに?」
「………」
「北森くんが秘密にしたいのはわかってる。誰にも言わないから。本当に、誰にも、もう誓って、言わないです」
「…ちょっとだけその、護身術みたいなの知ってたんスよ。昨日は、たまたまそれが上手いことハマって。おれのほうがびっくりしちゃったくらいで…」
“Extra Strong”のフォントがラベルにイカつく目立つペットボトルを唇から離すと、鮎は鏡太郎のほうを向き、まっすぐに目を見てきた。
「嘘、つかれたくないんですけど」
「……」
「格闘技とか武道とか別に詳しくない。でもあれはなんか、普通のそういうのじゃないんだよね?」
さやかが、驚いた顔で鮎を見ている。
「“達人”っぽかった。首絞めた時とか、アニメとか韓国映画の、殺し屋みたいだったし」
詰められっぱなしだ。まさか技自体のことを掘られるとは。そしてこの人、案外オタクな気質なのかもしれない…。
「だいたい、なんで婦警さんと知り合いなの? なんか先生みたいな呼ばれ方してましたよね」
55年前。鏡太郎の母方の祖母・丹生夕子は、技に対する考え方の違いから、双子の姉・夜子と対立し麝汞流を半破門扱いとなった。分派を名乗ることはなんとか許されたものの、それまで教えていた弟子たちとの関わりは一切禁じられる。
月謝収入がなくなった夕子に、友人の警視庁関係者が手を差し伸べた。祖母は自らの理想とする麝汞流に「北統」の名を冠し、嫁ぎ先である北森家があった杉並区の女性警察官に教授する役職を得たのである。
一昨年に二代目宗範となってからは、なんと鏡太郎がその役を引き継いでいる。この「お務め」が一代限りとならなかったこと…しかも当時まだ中学生の子供が、女性警察官たちを指導するのが認められたということは、麝汞流の技は杉並警察から一定の評価を受けているのだろう。昨日も、鏡太郎の「門人」である真田・田之上両巡査がたまたまパトロールで公園の前を通りかかってくれたおかげで、鏡太郎は後を任せて現場から「そそくさ」できたのだった。
もっとも警察で教えているのは、夕子がカリキュラムを組んだ「上澄み」の技である。過剰防衛になりかねない北統麝汞流の真骨頂や、敵に何をされようと、自分がどんなえげつない攻撃をしようと、闘いの最中は心を揺らさないようにする自己催眠法「護心」などは含まれない。
鮎が強炭酸水を勢いよく飲んだ。ボトルの中で、水と気泡が有名な浮世絵の波みたく跳ねる。
「わたし性格よくないんで。教えてもらえないなら、内部生の人たちに北森くんのこと、いろいろ訊くかも」
無駄だ。親族と警察関係者以外、鏡太郎が古武術の宗範であることを知らない。親友と言っていい樫居臣紀にさえ、一言も漏らしたことはなかった。そして男たちの目から隠され続けた“おとめわざ”麝汞流のことは、どんな武術の専門書やサイトにも載っていない。AIに尋ねても、頓珍漢な答えが返ってくるだけだ。
鮎が、またまっすぐに鏡太郎を見た。近距離で浴びる顔立ちの、知り合いレベルでは見たことのない愛らしさと、大きな瞳の圧にひるんで自動的に視線を逸らしてしまう。
鏡太郎は、のど仏の辺りを無意識に軽くつかみながら考えた。作り話で納得させられる相手には思えない。「お神楽」だけならまだしも、警察とのつながりまで見られたのだ。大まかに話しちゃってもいいんじゃないか別に。聞いてしまえば、この人にとっては「ふぅん、そうなんだ」で終わりだろう。それに…どうせ。
どうせ北統麝汞流なんて、自分の代で世界から消滅するのだから。
顔を上げ、目の前に立つさやかと視線を合わせる。(ま、ええんやない)と切れ長の目が言っていた。
鏡太郎は、ライムの香りの水を一気に飲み干し、鮎に向き直った。
〈続きます〉




