3
いつもお読みいただきありがとうございます!
「マティアス!」
「まさか、伝説の邪竜ですか?」
邪竜の尻尾が岩に当たって、岩が砕ける。
「ここに封印されていて、宰相と王弟が復活させようとしてたの」
「あぁ、なるほど」
マティアスは降りかかる岩の残骸を、自分と私にジャケットを被せて避けながら周囲を見回した。彼の視線が倒れている王弟と、壁によりかかるようにして生きているのか死んでいるのか分からない宰相に向かうのが分かった。
「聖女様! 邪竜の封印をしてください!」
カルヴァンが走って岩陰に身を隠しながらこちらに叫ぶ。
「なぜカルヴァン様がここに」
「宰相に協力するフリしてたみたい。一応さっき助けてもらったけど……」
私はやっと拘束された縄をほどいた。切れ目が入っていても、意外と縄を引きちぎるのに力がいる。
「聖女様が封印してくだされば、私とマティアス様で何とかできます! 足元と尻尾だけでも!」
カルヴァンが岩陰に身を隠してまた叫んでいる。邪竜は鎖を取ろうと身をよじり、尻尾が岩壁に当たって壁がえぐれた。
「確かにこのままでは厳しそうですね……」
「普通逃げ出さない? マティアス、頭がおかしいんじゃないの」
「あれが地上に解き放たれたらそちらの方が大変です。だって、竜ですよ? 炎でも吐くんじゃないんですか?」
マティアスは私とそんな会話をしながら、近くに倒れていた騎士から剣を奪って戻って来た。会話だけ聞けばいつも通りなのに、目の前には竜、周囲には飛んでくる岩の残骸。
「それなら弱っている今のうちに殺しましょう」
「あなた、頭おかしいわよ」
なんでマティアスってこんなにおかしいの? どうしてそんなに平気で戦えるの?
怖くて逃げるのがそんなにダメなの? 私、怖いからここが地下じゃなかったら今すぐ逃げたい。カルヴァンは一体どこから来たのかしら。
私はまだ死にたくないし、痛い思いだって絶対したくない。それなのに、聖女に訳が分からないうちにされてどうして私ばっかりこんな目に遭うの。どうして誰も代わってくれないの。私は聖女になりたいなんて一言も言ってないでしょ。
邪竜なんて、勝手に誰か倒しておいてよ。そもそも、建国の勇者が倒していないのがいけないのよ! 封印なんていずれ解けるんだから! 国王になる前に邪竜を倒しなさいよ。
「聖女様!」
泣きそうになっている私にカルヴァンが急かすように叫ぶ。
「封印のやり方なんて知らないわよ!」
「魔物にした時のようにやってください! このままでは全員ここで死にます!」
「知らないわよ!」
暴れる邪竜の尻尾が当たった岩が上からどんどん降ってくる。
「殿下。できそうですか?」
カルヴァンの焦りしか生まない叫びと違って、マティアスはこんな時でも冷静だ。
「知らないわよ! だって封印の力使いすぎたら死ぬって言われて訓練も何もしていないのに! なんで私がこんな目に遭わないといけないの! おかしいでしょ!」
こんなか弱い私に邪竜を封印しろ、なんて。
「殿下が封印の力を使ったことがあるので聞いてみました。確かに殿下の命を危険に晒しますね。ダメそうなら……そうですね、私とカルヴァン様で何とか」
マティアスは責めるわけでもなく、私を庇いながらやはり冷静だ。
「マティアスだっておかしいわ。どうしてそんな平気で戦おうとするの! 怖くないの? 竜なのよ、竜! しかも勇者でも倒せなかったんでしょ! 普通逃げるでしょ。逃げなさいよ。大体、さっきだって私の手を取り損ねて落ちなかったんだから、地上にとどまって捜索隊くらい出せば済んだでしょ」
大きな岩が降ってくるのが見えて、マティアスは私を抱えて走って移動した。
そんなマティアスの胸を私は叩く。今、こんなことをしなくてもいいと頭の片隅でも思う。普通の聖女なら、黙って頑張って封印の力を使おうとするだろう。でも、私は到底納得できなかった。聖女になったことも認めていないのに。邪竜が暴れる前なら封印してもいいとなぜか思ったけど、今は違う。一回死んだのに、今度はさらに大きな危険に晒されるなんて。どうしてこうなるの。
「さぁ、なぜでしょうね」
マティアスは抱えていた私を下ろす。
「私のこと蔑んで嫌ってたじゃない。なのになんでこんなことするのよ! 毎回毎回、無駄に助けないで!」
私はその度に怖い思いをしなきゃいけない。邪竜に炎で焼かれたり、踏みつぶされたりするなら魔物かシャンデリアの方がまだマシだった。
「とりあえず、尻尾を切り落とせば何とかなるでしょう。あの鎖が切れるのも時間の問題。時間を稼いでおきます。殿下は逃げますか、それとも封印を試しますか?」
マティアスはジャケットを私に押し付ける。怖くて、さらに処理しきれない感情で私の頬に涙が伝った。
『封印の力を使いすぎて死ぬってどういうこと? 嘘よ、それ。死なない、死ぬわけないわ。私が死んだのはそういうことにされちゃってるのね』
「確かに殿下のことを好きではありませんでしたが……なぜでしょうね。愚かで哀れな父の被害者だと思っていたはずなのに」
建国の聖女と振り返ったマティアスの声が重なる。
「ぼやいてばかりいる殿下が傷ついたり、泣いていたりすると、心が痛みます。なぜか殿下を守りたいと思うんです」
マティアスはやや乱暴に私の涙を指の腹で拭う。そして私を置いてさっさと一人で岩陰から出て行った。それを見てカルヴァンがぎょっとしたように叫ぶ。
「マティアス様! せめて動きを合わせるくらいはしてください!」
『どうする? 私の後任聖女。封印の力を使ったって死にはしないわよ。ピュッとやってヒューっとやるだけだから簡単よ。そのくらいまだ教えられるわ』
「じゃあ、なんで神官たちは封印の力を使いすぎたら死ぬなんて言ったの」
『今、そんなこと説明している場合?』
邪竜は少しの間静かにしていたが、マティアスが邪竜の胴体に素早く登るとまた動き始めた。マティアスが胴体から落ちそうになってしがみつく。カルヴァンもなんやかんやと叫びながら、マティアスとは違う方向から胴体に近付いていた。
「……封印はどうやるの?」
『簡単よ。邪竜の足と口と尻尾に意識を集中して』
鼻をすすって涙を拭った。
私は贅沢してお金の心配をせずに暮らしたかっただけなのに。
『大丈夫よ。ここまでは運命と同じ』
建国の聖女は訳の分からないことを言っているが、鼻をすすりながら私は魔物にあの力を使った時を思い出した。
淡い光を放つ鎖が地面からスルスル現れる。まずは邪竜の尻尾に何重にも巻き付いた。
『そうそう、その調子』
すると今度は邪竜がか細くではあるが、炎を吹いた。何かが焦げる臭いがして集中が途切れる。マティアスとカルヴァンは尻尾を切り落とすべく剣を突き立てている。
『大丈夫よ、シェリル・バーンズ』
なんでこの建国の聖女って、いちいちシェリルのことをフルネームで呼ぶのかしら。
『次は邪竜の足と口に意識を集中して』
なんでこんなことをやっているんだろう。もっと好き勝手に生きたいのに、どうして聖女ならこんなことまでしなきゃいけないの。世界の平和なんてどうでもいいじゃない。他人だってどうでもいい。毒殺されず、竜にも魔物にもシャンデリアにも襲われずに平和に生きたいのに。
でも、邪竜が地上に出たらそれはそれで困るのか。食事にだって事欠くようになるかもしれないし、綺麗なドレスだって着る機会なくなるかもしれない。
そんなことを回らない頭で考えていると、淡い光を放つ鎖が邪竜の全身に巻き付いた。
『これで大丈夫かしらね』
建国の聖女が後ろで言うのでホッと力を抜いた。足の力が抜けてへたり込む。
マティアスが尻尾を切り落とすと、邪竜は口の鎖のせいでくぐもった声を上げ体を動かそうとする。
カルヴァンがすっとマティアスに近付いた。
加勢するのかと思ったら、なぜかカルヴァンは後ろからマティアスに剣を振り上げる。
「マティアス!」
『あぁ、あの男は勇者になりたいのね』
私の悲鳴と建国の聖女の独り言が重なった。




