行方不明の願望《後編》
★この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません★
少しホラー要素があります。苦手な方は閲覧を控えて頂けますようお願いします。
妬ましい…
妬ましい―――
僕の中から現れた透けた神様は、高山さんに向かって言った。
「そなたの娘はここにはおらん。我が娘に会わせよう。少し力を貸しては貰えぬか」
何が起こったかわからずポカーンとしている高山さんに僕は事情を軽く説明した。
「か、神様…?あ、あの私は一体どうすれば…」
困惑と希望が揺らめく声で高山さんはアメノさんに聞いた。これが多分普通の反応なのだろう。今までが特殊だった気がしてくる。
「そなたの娘は今病院で死にかけておる。しかもこのまま放置すれば、怨霊となって安らかとは程遠い死後になる。それを止めたいのだ」
娘の想像もしていなかったであろう状況に、高山さんが少し震えたのがわかった。
「お願いします。娘に会わせて下さい。私に出来る事であれば何でもします」
娘のための決断の早さ、これが母親というものなのか。それでも少し震えている高山さんの手を僕はぎゅっと握った。
「大丈夫です、アメノさんが居ますから」
こくっと頷き高山さんは覚悟を決めたようだった。
アメノさんが僕らを抱き締め一瞬で移動したのは病院の廊下だった。たくさんの名札が入った部屋が並び、看護師さんが慌ただしく動き、お医者さんが各部屋を周っているようだ。
「光輝はここで待て。我とこの者だけで行く」
「何故ですか!?僕も行きます!」
「先にも言うたであろう、そなたを壊させる訳にはいかぬ」
そうだった。だけど、何か力になれないのか。
「そなたにはここでこれを持っていて欲しい」
そう言うとアメノさんは懐から小さな光る勾玉を出して僕に渡した。
「『翡紫勾玉』という、我の生命線だ。それを然と持っておれ」
頼んだぞ、と言うと高山さんを促し少し先の病室へ入っていった。
もしかしなくてもとても重大な任務を任されたのではないか…というよりも、とても危険なんじゃないのか。穢れがどうこう言ってたけど、それはアメノさんにとっても危険なんじゃないのか…?いや、普通逆じゃないのか?何で依代より神様本人が危ない目に遭おうとしてる…?
…とにかく任された事はちゃんとやろう。離れた位置で僕に持ってろって事はとても大事な物なのは確かだ。信じるしかない、信じて高山さんも、娘さんだというあの女性も救われるのを待とう。
『妬ましい…』
そう聞こえたような気がした時、僕は全力で逃げ出していたんだ。
あの男が幸せになるなんて許さない。あんなに愛していたのに、結婚するって約束したのに。お父さんやお母さんまであんなに傷付いて…婚約者が居るって知ってて略奪したあの女も許さない、許さない、許さない…皆許さない、呪ってやる、死ぬよりもつらい思いをさせてやる…
「凛、凛…」
お母さんの声が聞こえる。
「凛のつらい気持ち、悲しい気持ち、お母さん気付いてやれなくて…」
あぁ、泣かないでお母さん。大事に育ててくれたのに、こんな娘でごめんね…
「凛がお母さん達の娘で本当に良かったってずっとずっと思ってるわよ…」
お父さんもお母さんも大好き。そうだ。私…
「お母さん!」
私はあの男に憑いていたはず。あの男をずっと見ていた。
でも今目の前にはお母さんが居る。そしてもう一人、透けてる…?
「やっと声が通じたのう」
透けた女の人が微笑んで言った。
「あ、あの私一体…」
半分寝ているような感覚だ。周りを見渡すと病室だという事がわかった。…あれ?私が寝てる…?
「そなたの内の部分に語りかけておる。話しやすいようにこのような形にしたのだ」
あんまり意味はわからなかったけど、あの男に憑いてたような形って事だろうかとうっすら思う。
「凛、よかった、よかった…」
そういって泣き崩れるお母さんを透けた女の人が支えてくれた。お母さん、そんなに窶れて…
「我は天冥援命。死者の願いより生まれし神だ。そなたを怨霊にさせたくなかった故、ここに参った」
神様なんて信じてはいなかったけど、こんなに綺麗なんだ。そんな事を考えている中ではっと気付く。
「怨霊という事は、私は死んだんでしょうか…?」
話しながらその現実を知りたくなくて、言葉は尻すぼみになる。
「そなたは死んではおらぬ。だがそなたの怨みと死にかけているという状況が危うかったのだ。ほとんど死んでいるがまだ生きているという事でややこしい所もあったのだが、そなたの母に会えたので止めに来れた」
神様の険しい顔を見ると、本当に危なかったのがわかる。それに今、あんなに怨んでいたはずの気持ちが落ち着いている。
「そなたも優しい。故に誰にも胸の内を話せずおったのだろう。そなたがこちらの声に気付くまで、そなたの母と共に聞いたぞ。そなたの怒りや哀しみ。それを一人で抱えて、他に気付かれぬよう笑っておるのは、さぞ辛かっただろう…」
そう言って神様は優しく抱き締めてくれた。心が暖かくなっていくのがわかって、涙が溢れてきた。
「凛、お母さんあなたのお母さんで本当によかった。怨んでいた気持ちもちゃんと抑えてくれて、穢れも消えたって神様が仰ってたの。これでお母さん心置きなく成仏出来るわ」
「じょ…う、ぶつ…?」
「そなたの母はもう亡くなっておる。だがそなたが心配で、そなたの住まいの前でずっと残っておったのだ」
そうだったんだ。お母さんはもう…死んじゃったんだ…受け止められない現実を前に、目の前がぐらつくと同時に、自分のせいで成仏も出来ずにいたんだと思うと胸が苦しい。
「お母さん、ごめんなさい…私のせいで…」
月並みな言葉しか出ないのが悔しい。お父さんもお母さんもどれだけ苦しんだんだろう。そんな事も考えられない程追い詰められていたんだ…
「凛のせいなんてひとつもないわよ」
優しく笑ってお母さんはそう言ってくれた。
「私はこのまま神様が送ってくれるそうだから、ここでお別れね。忘れないで、凛はお母さんの誇り、本当に私の娘で居てくれてありがとう。それから、目が覚めたら、お父さんをお願いね…」
私こそ、お母さんの娘で本当によかった。心配させてごめんなさい。お父さん、そうだよね。大丈夫、わかったよ。
「もう少し語らわせたかったが、申し訳ないが少し事情が変わったのだ。行かねばならぬ所が増えた」
少し焦っているような様子の神様。私みたいな人がいるのだろうか。それとも救けたい人なんだろうか。あぁ、そうか。『そなたも優しい』。お母さんは笑顔で首を横に振って言う。
「娘に会えただけで嬉しかったのに、危ない状態も救って頂いて。本当に感謝しかありません」
「私も会えて嬉しかった…」
怨みも消えて、すごく心が軽い。
「辛い現実を受け止められなくても良い。ただ、傍に居るものに辛いと打ち明ける事は、優しさではないと思わぬ事だ。そなたが名付けられたように凛としておれば良い。ゆっくりと生きよ」
「元気でね、凛」
二人はそう言い残して消えていった。
涙が溢れて止まらなかった。でもこれはもう悲しい涙でも悔しい涙でもない。つらい目に遭わされて、自分も含めて色々怨んで…でも、こんな状態になっていた私を二人共否定しなかった。それが何よりも嬉しかった。もう二度としない。そして、目が覚めたら、覚めたら…凛として…
これはだめだ。怖気が止まらない。逃げても逃げても追いかけてくる。追いかけられる事自体よくわからない状況なのだけど、とにかく関わったら、近付いたらダメなことだけはわかる。赤黒いオーラ、それも濃い。濃いというかもうほとんど黒い。正蔵さんの言葉がずっと反芻される。『近付くな』。
『妬ましい…』あの声が聞こえるまで、あの人の気配すら感じていなかった。真後ろでそう呟かれるまで、本当にわからなかったんだ。距離を取って振り向くと、髪を振り乱して目を血走らせ襤褸布を纏った女がものすごい笑顔で追いかけてきていた。形相はもちろん怖いけど、それよりも圧倒的な圧みたいなものが本当に怖い。何故こんなに逃げ回っているのか。この勾玉を託されているから。病室からは少し離れてしまったが、多分そのくらいでは無効になっていない…はず。それよりもあの女に捕まる方が絶対にまずいのは直感でわかる。というかそもそも何で僕が追いかけられているのかがわからない。
「妬ましい…妬ましい…」
笑顔でそう呟く声が、離れているのに聞こえてくる。何が妬ましいのか、何故追いかけるのか。そして…速い!このままだと間違いなく追いつかれる。だめだ、アメノさんが僕に託した生命線だと言っていたこの勾玉だけは守らなきゃ。これがあの女の目的なのかはわからないけれど、僕が捕まった瞬間アメノさんに危害が…と考えると絶対死守だ。握り締めた勾玉を意識し、更に力を入れる。
「妬ましい…同じ目に…」
同じ目…?何か、何か引っ掛かる。話を聞ける…状態じゃないこれは。
随分逃げ回ったが、もう保ちそうにない。女はすぐ後ろに来ているのがわかる。アメノさんすみません、もう限界かもしれません…
諦めかけたその時、淡い光が辺りを包み、僕の体がふわっと浮いた。同時にあの女は追いかけてきている体勢のまま静止している。
「よう守ってくれたの光輝」
よく知るその声を聞き、安堵で少し目が潤む。
「すみませんアメノさん、こんな状況になってしまって」
「良い。察知出来なんだ我の落ち度だ。本当によう守ってくれた」
アメノさんの差し出された手に、僕は勾玉をそっと置いた。懐に勾玉を仕舞いつつ、険しい顔でアメノさんは続ける。
「お陰であの親子を救えた。あの女の出現は想定外だが、あやつには言いたい事が有るでの」
そういってアメノさんは固まったままの女に近付いていった。大丈夫なのかとハラハラして見守る。静止はしているが、血走った目はぎょろぎょろと動き、口はあの言葉を繰り返していた。
「ようやっと会えたわ。のう、久」
アメノさんが名前を呼んだ瞬間、女が少し怯んだような気がした。
「これで何人目だ。あの時昇っておればこうはならなんだろうにの」
静止しているはずの女がガタガタと震えている。いつも冷静でそれでいて優しいアメノさんが怒っているのがわかった。
「姿を隠すのも上手くなったようだの。この件もお前が関わっているとは思わなんだわ」
アメノさんがお前というのを初めて聞いた。この件にも関わっているっていうのは、高山さん達の事か。
「自分の行いで思うように生きれなんだ事を他人のせいにし、あまつさえ死後も生者に取り憑き、その者の人生を狂わせ死に追いやるなど言語道断!!」
ぱぁんと手を打ち鳴らすと、女の前に右手をかざした。
「冥亡滅」
そう唱えると女はひゅっと息を漏らした後、跡形もなく消えた。
「やっと終わったわ。待たせたのう」
その待たせたというのは僕に向かって言ったのではないと思えた。アメノさんは寂しそうに笑った。
病院から出ようとした時、看護師さん達が何かを叫びながら病室に駆け込んで行くのが見えた。あの病室は…
「凛が目覚めたようだの」
あの女性は凛さんというのか。目が覚めたって事は…え。
「それって!」
「生きておる。母親のお陰で怨霊にならずに踏み留まった。それに、母親はちゃんと送った。あの娘ももう大丈夫だ」
怨霊にならずに済んだんだ。生きてるんだ…
「毎度大号泣だの」
ふふっと笑うアメノさんの表情は少し陰りがあるように思う。僕が号泣しているからではない、多分。
「高山さん達の事は無事に解決したようでよかったんですが、先程のあれは一体…?」
あっという間に終わってしまった出来事を、あの寂しい表情の理由を、聞いていいのか少し迷ったが、聞かずにはいられなかった。
「あれはの、そなたが生まれる遥か遥か前に生きておった者での。その頃には珍しい、所謂行き遅れという状態だったのだ。容姿が悪いのは親のせい、不潔なのは家のせい、働きたくないのは環境のせい、嫁に行けないのは男のせい…と、まぁ何でもかんでも自分以外のせい、自分は何一つ悪くないのに可哀想と本気で思っておったんだの。ある時、久の隣に嫁いできた女を妬んで、嫌がらせを続けたのだ。その旦那というのが久がずっと惚れておった男での…ある時その嫌がらせの最中にその旦那に見つかって追いかけられた。逃げる途中に階段から足を踏み外して頭を打って死んだのだが…」
ふうっと一息ついてアメノさんは続ける。
「死後も成仏せずに残った久は、同じ思いを他の者にもさせようと思ったのだな。全て他人のせい、幸せになれず死んだ己を本気で可哀想だと思っての。年頃の女に近付き、取り憑き、その者の人生を壊す。幸せを奪い絶望させて…それを繰り返しておった」
聞けば聞くほど何の同情も出来ない話だ。自分と同じ思いって、全く違うじゃないか。同時にぞっとした。自業自得の生涯を怨んだとしても、他人を悲惨な目に遭わせて人生を狂わす事に何の意味もないじゃないか。
「久と初めて会うたのは10年ほど前かの。北の方の依代に呼ばれ顕現した時だ。薬の過剰摂取で死んだ女に取り憑いておるところを引き離した。死んで間もなかったため、まだ離れてなかったのだな。その時も説得したのだが、聞く耳を持たなんだ。そして逃げたのだ。油断はしておらなんだ。だが依代を盾に逃げたのだ」
語るほどに暗くなっていくように思うアメノさんの表情。
「あれが取り憑つく者は必ず女、本当に悲惨な人生を送る。特に男関係のな。そして全国を回っておったようだ…引き離した時に憑かれていた女も相当辛い思いをした。碌でもない男ばかりと縁が出来、体を壊した挙げ句、失意のまま死んだのだ。そのような存在を放置しとうは無かったが…」
中々見つからなんだ…悔しさを滲ませながら呟く。
「先にも言うたが、我は依代を頼りにしておる故、依代が久に遭遇せねば我は感知出来ぬという問題もある。凛に憑いたのは恐らく結婚の約束をする少し前だろうな。気配の消し方も上手くなっておった。だが勾玉に惹かれたんだろうな。邪な心を持つ者にはとても魅力的な物だ」
綺麗な勾玉だとは思ったがどういう風に見えていたんだろう。たまたま僕が任されたから、見つける事が出来たのか。あの鬼の形相を思い出してしまい少し震える。
「あやつは100人は殺めておった。我があの時送れておれば…」
だから後悔しているのか。あの『待たせた』はこれまで殺された人達に向けてだったんだ。
「成仏する前の死者達は我が好きにさせて貰うておる。送るのはもちろんだが、その他の事もだ。康平を覚えておるか?」
もちろん覚えている。黒い水たまりに沈んだ彼。
「あの空間は地獄から頂いた物だ。他にも色々有るんだがの。康平のような者にはあれが一番の罰だ。だが久に関してはもうどうしようも無かった。滅多に無い事ではあるがの」
「じゃあ、あの女は…」
「完全に消滅した。あれはもう何を言うても届かんし、何をしても罰にはならん」
完全な消滅。聞いただけでもおぞましいのに実際はもっと酷かったんだろう。どうしようもない人に人生を壊された人達。そうするより他ないんだきっと。でも、アメノさんはきっと消滅させる事もあまりしたくないのだろう。色々な事がアメノさんの陰りの原因だった。
「僕これからも依代頑張ります。悲しい思いをする人が一人でも少なくなるように」
安っぽい言葉は今は要らない。アメノさんが救いたいと思うなら、僕はそのお手伝いが出来ればいい。死者を救う事は時に生者を救う事になる。今を生きる人達がちゃんと生きられるように、死者が安らかに昇れるように。それだけでいい。それと…
「それから、高山さんの事ありがとうございました。あと、あまり無茶しないで下さい!」
そう言って笑顔を向ける。自分より依代を大事にする神様はどうかと思うのだけは伝えたかった。
アメノさんは少し泣きそうな笑顔をこちらに向け
「また我を呼べ」
そう言って消えていった。