行方不明の願望《前編》
★この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません★
少しホラー要素あります。苦手な方は閲覧を控えて頂きますようよろしくお願いします。
何がしたかったんだろう…
どうなればよかったんだろう―――
龍二くん達を見送った後、しばらくは何も起こらなかった。立て続けに起こった出来事に思う事はたくさんあったが、これが普通の日常なのかなとも思う。…幽霊になってる時点で普通ではない気もするが。ともかく何も起こらないから、ぶらぶらする日が続いた。あまり行った事のない街に行ってみたり、海に行ってみたり、山を登ってみたり。疲れないからどこにでも行き放題だ。生者も幽霊もいたが、やっぱり認識される事はなかった。今日は何をしようか。
「お前死んだのに毎日帰ってくるなぁ」
頭をボリボリ掻きながら伝説の正蔵が声を掛けてきた。
「生前一人暮らししてたとこがもう引き払われてて、でも家がないと何か落ち着かなくって」
結局実家に毎日帰って来ている。お盆でもないのに…まぁ成仏してないんだけど。
「そんなもんなのかねぇ。あれから特には何もなさそうだな」
「色んな所に行ってるんですが全く何もなくて」
「結構な事じゃねぇか」
のんびり成仏出来るの待っとけよ、そう言って正蔵さんは姉ちゃんの頭上に戻った。豪快だけど僕の事を気にしてくれている事は本当に嬉しい。
成仏したいのはしたいんだけど、依代の意味とかまだあまりわかってない。この間の龍二くんの一件。あの時初めて認識されたのは何か関係あるんだろうか。
行き先を決められないままとりあえず家を出てぶらぶら歩き始めた。久しぶりに前の会社の周辺に行ってみようか。新卒で勤め続けていた会社。大好きなデザインの仕事が出来て幸せだったし、職場の人は皆とても優しかった。でも葬儀の事を思い出して変な後ろめたさがあって、なかなか足が向かなかった。
「よし!」
気合を入れて目的地へと足を運んだ。
見慣れたオフィス街は相変わらず人が多かった。スーツを着こなし足早に歩いている人達が目立つ。かっこいいなぁなどと思いながら歩いていると、懐かしいカフェを見つけた。
こじんまりとしているが清潔感があって、店員さんがどの人も笑顔が素敵だった。カフェオレが美味しくて、喫煙も出来るから会社の先輩が泣いて喜んでたのを覚えている。
お客さんはまばらに入っていて慌ただしい感じはしない。あのカフェオレがもう飲めないのが悲しい!!
ぞわっ
ものすごい悪寒と肌が粟立つのがわかった。なんだ、なんだこれ。
原因を探すために辺りを見渡す。な、なんだあれ。
目に飛び込んだのはレジでコーヒーを注文している背の高い男性。その人の背中に女の人が絡みついている。ものすごい笑顔とものすごい憎悪の顔で。そうとしか表現出来ない。でも色が、混ざってる。とにかくおぞましいのだけはわかる。男性は間違いなく生者だ。でも女の人は…あれは、なんだ。
「それ以上近付いてはならぬ」
「!?」
ア、アメノさん…?いや、まだ呼んでないよ!?
「止めるために参った。あれに関わってはならぬ。あれは我らではどうしようも出来ぬ。大切な依代を壊される訳にはいかぬ。離れよ」
そう言いながら浮いたまま僕の手を引きカフェから離れた。全く状況が把握出来ない中でアメノさんが口を開いた。
「あれはのう…どちらも生きておる。男の方はもちろんだが、女の方もな」
「でも明らかにあの女性の方は幽体でしたよね?」
「あれはの、生霊だ。葵の母もそうだったが、人にはそういうものを飛ばせる者がおる。無意識にやるのが大半だがの。さっきの女はその力を持っておる、且つ今死にかけておる」
だからあんな混ざった色だったのか。死にかけって一体…
「あの男女は結婚の約束をしておった。だが男が心変わりしてそれは果たされなんだ。絶望した女は首を括ったのだ。見つかるのが早くて生きてはおるが、病院でまだ意識が戻らぬ。怨んで怨んであの男に呪いをかけ続けておる。自分の命を掛けてな」
生霊が本体になりつつあるって事か。だからあんな状態に…おぞましいなんて思ってすみません。
「我は死人にしか手を出す事が出来ぬ。だから依代も死者に託しておる。だが依代の数は本当に少ない。貴重なのだ。そして死者よりも生者の方が圧倒的に強い。先程のあれはもう既に生きたまま穢れになっておる。そんな者に近付いてみよ」
僕が穢れて依代どころではなくなるという事か。だからわざわざアメノさんが現れて引き離したと。
「認識せず近付くのと認識して近付くのは全く違うでの」
なるほど、僕は相当に影響があるって事か。
「こういう場合はどうしようもないんでしょうか…」
「あの有り様だとあの男よりもこれから連れ添う女や出来る子に障るだろうな。だが、あちらの世界には神がたくさんおる」
大丈夫だ、優しい笑みを浮かべてそうアメノさんは言い切った。
アメノさんが言うならきっとそうなんだろう。僕も少し安心した。
「光輝よ。そなたは訳もわからず依代などと言われ、不満はないか?」
唐突にそう聞かれて少し挙動不審になる。
「な、な、なんですかいきなり」
聞きたいことはたくさんあったのに、いざ話を振られるとびくびくしてしまう。
「我は他の神々に比べれば新参も新参だ。しかも死者の願いから生まれたなどという異端。依代の力を借りて力を使う外ないのだ。だが依代になれるものは先も申したが希少なのだ。なので今しばらく、我に力を貸してもらえぬだろうか」
そう言って頭を下げようとするのを慌てて止める。
「改まって何かと思えば止めて下さいそんな事!それに言い方悪いですけど今更です!」
中途半端なお辞儀みたいな格好で僕に体を止められたアメノさんは、目を丸くした後体を起こしながら笑った。
「ただ、何故僕なんでしょうか。その、ごくごく平凡で特筆すべき事もないような人間でしたし…」
自分で言っててちょっと切なくなった。恥ずかしさと気不味さでしどろもどろがひどい。
ふふっといつものように軽やかに笑いアメノさんは僕の目を見て言った。
「先にも言うたが、そなたは優しい。どんな時でも人の事を気に掛ける。人の為に泣ける。思いやれる。人を救けたいと思える。人の幸せを自分の幸せと思う事が出来る。それを心から出来る者は、そなたが思うほどそうおらんのだ」
買いかぶり過ぎでは…何か企んでいるのか。酷使しようとか何か無茶振りするとか…
「そんな訳あるか。そなたは本当にわかりやすいのう。全部顔に書いておる」
心を読まれていた訳ではなかったようだ。恥ずかしい。
「我はそなたのような者達の願いが蓄積して生まれたのだ。死後なお苦しむ者がおらぬように、哀しみや怨み等から解放され安らかにおれるようにと」
わからなかった事がやっとわかった。そしてアメノさんの行動や優しさの理由も。
「僕で良ければ続けます依代。また呼びます」
笑顔でそう告げると、アメノさんはびっくりした後少しはにかんだように見えた。そして
「ありがとう」と言うとすっと消えたのだった。
初めてアメノさんに会った時も思ったけど、さっき話していて改めて思った。やっぱりとても綺麗な人だった。大きな目に長い睫毛、色白で艶々の黒髪。和装と思ってたけど普通に神御衣だったし。歳は同じくらいのように見えるけど実際の歳はわからない。そもそもそういう特異な状況で生まれる場合性別とか容姿はどうやって決まるんだろう。神様の事とか真面目に考えた事なかったな。本当に居るのかどうかもわからなかったしな…居たけど。
そんな雑念とも邪念とも言える考え事をしながら当てもなくぶらぶらしてみる。
さっきの女性の生霊。哀しかった。僕は命を掛けて愛したという経験はない。それどころかまともにお付き合いした記憶もない…玉砕の経験はある。お付き合いする前に振られるだけでもショックでしばらく立ち直れなかったのに、愛して結婚まで約束していた人に別れを告げられるのはどれほどの痛みなのだろう。もちろん相手のある事だから難しいんだろうけど、想像するだけで悲しいし胸が痛い。救われて欲しいな、どっちも。
依代になってから、生きてた時よりも考えてる気がするな。
色んな事を考えながら歩いていると、全く知らない場所に来ていた。どこだここ。辺りを見渡して目印になる物を探す。目に入った標識を確認するとアメノさんと話していた所から20kmも離れていた。この辺の土地勘は全く無い。幹線道路沿いに帰ろう。そう思い歩き出した時、ぎゅっと腕を掴まれた。
昔から男運がなかった。男運よりも見る目がないんでしょ、と周りに散々言われてきたが、本当になかった。初めて彼氏が出来たのは高1。好きなる男は誰も彼も酷くて、ものすごい束縛や暴力を振るわれたりお金を奪られたり危ない仕事を紹介されたり浮気されたりなどなど。堕胎経験が無いのだけがせめてもの救いだった。
好きになる男はダメなんだと、好きでもない男と付き合ったりもしたけどその男達も児童買春で逮捕されたり借金が膨れ上がって夜逃げしたりとやっぱり散々だった。こうなるともう自分が原因としか考えられなかったけど、それもどうしていいか検討もつかずお手上げだった。
恋愛体質なのが悪いのかと就職してからは仕事に打ち込んだ。それでも言い寄って来る物好きはいて、それも禄でもなかった。横領がバレて逮捕されたり、産業スパイで逮捕されたり。言い寄られてもダメなんだと悟り、仕事に没頭した。両親に結婚はまだかとせっつかれ出した時にはもう30半ばを迎えようとしていた。
このまま一人で生涯を終えるんだと覚悟を決めかけた時、職場の後輩から告白された。またカスだろうと思ったが、どうせ最後だと思い付き合う事にした。随分年下の彼氏は何もなく仲良く日々を過ごした。結婚を諦めようとしていた私に、結婚しようと言ってくれた。幸せだった。彼の両親に会った時条件を出された。『勝手に入籍しない事、入籍前に妊娠しない事、定期的に自分たちに連絡する事』成人をとうに超えた息子に言う事かと思ったが彼は何の抵抗もなく快諾していた。一人息子でもないのにこんな過保護がいるのか。反対したいならちゃんと反対と言えばいいのに。何より私をどういう風にみてるのか。そんなに常識に欠けて見えるのか。そんな風にぼんやりと思った。歳も離れているし仕方のない事なのか。
結婚するとなると子供が欲しかったが避妊薬を飲むようにした。30代半ばで子供が出来ないようにしなければならない屈辱。でも彼のためだと思った。何事もなく過ごしていたつもりだったが、部署が変わったタイミングでうつ病になった。2年半付き合った彼には打ち明けた。そしたら捨てられた。あっという間に新しい彼女を作ったらしい。そのまま休職して療養したが回復せず退職する事になった。この先どうしようなどと考える余裕はなかった。諦めていたものを期待して結局捨てられて。何がしたかったんだろう、どうしたらよかったんだろう。恋愛体質って言われてもよかったんだ。結婚が全てなんて言わないけど、せめて、せめて好きな人と一緒にいる人生にしたかった。体調が悪い。何も考えたくない。眠りたい。
僕の腕をがっちりと掴んだのはものすごく窶れた年配の女性だった。髪の毛は乱れ今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
「ど、どうしましたか?」
恐る恐る訪ねてみる。考え事をしている時、突然腕を掴まれたからものすごく動揺していた。
「あ、あの、初めて人に会ったので、その、体が咄嗟に動いてしまって…」
すみません…と消え入りそうな声で女性は謝罪してくれた。幽霊同士は認識出来ない事が多い。生者の認識も出来ない事がほとんど。この人は青色。幽霊だ。
「心細いですよね。僕で良ければお話しませんか?」
女性は少し涙を浮かべて二度頷いた。
「取り乱して申し訳ありません。私は高山と申します。気が付いたらこのような状態になっておりまして、誰も居ない状態で本当に心細くて。驚かせてしまって本当に申し訳ありません」
痩せて骨ばった手を重ね、深々と頭を下げられる。
「頭を上げて下さい。相当に心細かったのは僕もよくわかりますから」
この人は自分が死んでいる事をわかっているのだろうか。
「何故ここにいらっしゃったのか覚えていますか?」
「それが…何か大切なものをなくした事は覚えているんです。でもそれが何かぼんやりとしか覚えていなくって。何か本当に大切なものだったはずなんですが…ここに来た理由もその事だと思うんですが」
高山さんは本当に困ったような顔をして俯いてしまった。大切な何か。この場所に関係あるのだろうか。
「この場所も覚えがないのでしょうか?」
「うっすらと見覚えはあるのですが、本当にわからなくて…」
どうにかならないだろうか。何か思い出すきっかけはないだろうか。服装を見る限り恐らく最近亡くなったのだろう。ただもう冬になるというのに少し薄着だ。身に着けているいるものに目ぼしいものはない。いやこれは、このカーディガン。
「高山さん、このカーディガン手編みですね。ご自身でお編みになったんですか?」
合わせの部分を手に取りじっと見つめた後、高山さんはふるふると小刻みに震えだした。
「あ、あぁ…これは、これは娘が編んでくれたもので…」
あぁっ!!と短く叫んで高山さんは顔に手を当てて涙を流し始めた。
「私、私思い出しました…娘が、娘が首を括って…たまたま近所に来たんで娘の家に寄ったんです…返事がないので合鍵で入ったら、そうしたら、そうしたら…ロフトからぶら下がってて…」
この話ってもしかして…
そこからは高山さんは徐々に記憶を取り戻していった。小さい時から大切に育ててきた一人娘だった事、小さい時からバレーボールを一生懸命やり、勉強も頑張って希望の大学に入り、大好きな仕事に就き、とても幸せそうに婚約者を連れて来た事。そして式はいつにするかと話が出だした時、破談になった事。自分達に心配をかけないよう空元気で笑顔をみせていた事。娘が首を括って一命を取り留めたが意識が戻らない事。このカーディガンは最後のプレゼントだった事。そして…
「心労が重なったのかもしれませんが、私は肺炎になり、処置が間に合わずそのまま亡くなりました…」
ボロボロと涙を流して語ってくれた高山さんの話に僕も涙が止まらない。きっと娘さんが気がかりでここに留まっていたんだ。娘さんが住んでたこの場所に。
これだけ愛されて育ったお嬢さんがあんな事になるものなのか。愛されていたからこそか。
会わせたい。穢れがって言っていたけどどうにかならないものか。
『アメノさん!!』
そう願った瞬間、透けた神様が僕の中から現れた。