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宮廷墨絵師物語  作者: 紫水ゆきこ
第二章
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第十七話 それぞれの道(一)

 蕭承の件のあとも、紹藍は特に変わらず仕事をしていた。


 それらの内容は柳偉から薬草の教本を作成するため版画の原画を作って欲しいと依頼されたり、梅花から誕生日の祝いとして玉蘭と二人の絵を描いて欲しいと依頼されたり、はたまたやや傷んだ壁画の修繕の手伝いをしたりなど幅が広い。

 慣れない作業もあったが、慌ただしくも勉強になったし楽しかったと紹藍は充実感を得ていた。


 そんなある日廊下を歩いていると、女性官吏からすれ違いざまに思いがけない言葉を呟かれた。


「絵を描くしか能がないくせに」


 それは悪意に満ちた言葉であった。

 しかし紹藍は特にその言葉に腹を立てることはなかった。


(やっかみを買っても仕方がないのはわかるしね)


 実際に紹藍にできるのは絵を描くことで、科挙に通ることは不可能だという自覚はある。


(言いたくなる気持ちもわかるし、実害はないから放っておこう)


 先程の女性官吏だけでなく、男性官吏を含め、これまでも時折他者に眉を顰められることは時折あった。

 その中には蜻蛉省で絵を描くことに従事しているからというだけではなく、女性が官吏であること自体に嫌悪感を示されていることもあった。


(女性官吏という理由なら、歴史が浅い以上仕方ないし、私だけが言われているわけでもないでしょうしね。そのうち黒妃様のような方が価値観をねじ伏せてくれることを願いましょうか)


 玉蘭であれば明らかな嫌がらせでも気にしないどころか、仕事っぷりで有無を言わせない実力を発揮してくれたことだろう。彼女が官吏になることはないが、彼女のような雰囲気を持つ女性が今後現れるかもしれないし、もしかすると紹藍が知らないだけで、すでに宮廷内にはいるのかもしれない。


(いずれにしてもその役目は私ではないわ。私は私の仕事をするだけよ)


 他力本願と言われるかもしれないが、一般的な方法で官吏になったわけではない紹藍が何かを頑張ったところで女性官吏の見方を変えられるとは思わない。紹藍は女性官吏である前に、蜻蛉省の一員で特殊な扱いだと見られるだろうことは想像に難くない。


(まあ、だからこそコソコソと言われることもあるのでしょうけれど)


 礼部での出来事に続き工部の蕭承と親しくなったことで周囲が自身のことを出世欲のある人物だと誤解している人が出てきている。紹藍には縁遠い言葉であるが、それを面白く思わない者が想像でいろいろと喋っていることには気づいている。

 噂と真実は大概異なることを紹藍も知ってはいたが、当事者になると本当に当てにならないと再認識せざるを得なかった。


 そう、紹藍にとってはその程度のことではあるのだが。


(でも……今日みたいに短時間に言われ続けていると、少し鬱陶しいように感じもするわね)


 それはつい先ほど、江遵の手伝いで戸部へ書類を届けに行ったときのことだった。


「ああ、受け取りね」


 書類の受け渡しにしては少々雑だと感じていると、相手の女性官吏は隠すことなく溜息をついた。この清々しいほどの様子に紹藍はいっそ感心した。

 仕事中にここまでやる気なく他人と堂々と接すること者がいるなど、考えたこともなかった。

 ただ蔑むような瞳に、彼女のこの行動の対象は自分だけかもしれないと紹藍は感じた。

 何か気に食わないと思われたのかもしれない。

 ただ、その程度で怯むような紹藍でもない。


「まだ何か?」

「ええ。副長官よりこちらに預けている書物を持ち帰るよう、指示を受けております」

「そう。仕方がないわね。あれはこの辺で……そう、これね」


 少し古い巻物であったため適当には扱っていなかったが、それでも丁寧とまでは言いがたい動作で彼女はそれを紹藍に渡した。


(この人、私と同じくらいの年齢だと思うけど……少し幼い気がする)


 同年代で官吏であるならかなり勉学に長けていることは確実だと思うが、仕事をする態度ではない。紹藍が気に食わないだけという可能性もあるが、雑に仕事をすることで気持ちを示すのは幼稚だろう。


(給金分の仕事はするべきでしょうに)


 不満があるなら堂々と言えばいいのにと思いつつ受け取りと同時に礼を述べてから退出しようとすると、相手から声がかかった。


「貴女、科挙を受けることなく官吏になれるほど絵がお上手だそうで」


 この言葉で紹藍は相手が仕事嫌いという可能性よりも、自分を嫌っているのだと確信した。

 とはいえ、それに気付いたところで自身の行動が変わるわけではないのだが。


「需要が一致したのでしょうね」


 当たり障りのない返答をすれば、相手は目を釣り上げた。


「本当にそう思っているの?」

「他に何か?」

「色仕掛けでもしたんじゃない」


 嫌悪感丸出しのその声に紹藍は思わず吹き出した。


「何よ」

「失礼、想定外のご指摘でしたので」


 そのような想像までもっているのであれば、もはや自身が何を言っても納得はしないだろうと紹藍は思う。ただ、新しい視点が紹藍には斬新すぎたため肩を振るわせることを止められなかった。


「私が色仕掛けを成功させるほど魅力があると仰ってくれる方はあなたが初めてです。ありがとうございます」

「なっ」

「では失礼」


 早くこの場を離れなければ大笑いに移行してしまう。

 ここ最近では江遵の女装に次ぐほど面白い話だと思うと同時に、嫌味にも愉快なものもあるのだなと思った。

 ただその後、先ほどの通り日常的な嫌みを言われたがために面白さが面倒さに塗り替えられると同時に冷静になり、結果大笑いすることはなく蜻蛉省に戻ることに成功した。

 そしてそんな出来事も数日後には綺麗に忘れ二度と思い出すようなこともない……はずだった。


 しかし、数日後。


(……まさかあの時の彼女と蜻蛉省(ここ)で会うことになるとは想定外だわ)


 備品を取りに行く途中、ばったりと先日紹藍に色仕掛けとの発言をした女性官吏と再会した。

 そのことに驚いたのは相手も同じだったらしい。

 しかし今日はすぐに嫌味を言われるようなことはなかった。

 それは、今日の彼女は一人ではなく上官らしき壮年の男性官吏と共にいたからだろう。

 その男性は紹藍を見るなり「ちょうどいい」と口にした後、同行している彼女に命を下した。


「取次を依頼しておくれ」


 この距離なので自分で言えばいいのにと紹藍は思ったが、そのためにおそらく彼女は付き人をしているのだろう。

 彼女の表情はやや引き攣った。

 たとえ仕事であっても数日前に暴言を吐いた相手に願い出ることなどしたくはないのだろう。

 しかし個人的な都合や諍いで命令を拒否できるわけもない。


「……お忙しいところ申し訳ございません。突然のお願いではございますが、急遽江遵様にお取次をお願いすることはできませんでしょうか。私は戸部の泉星琳と申します。面会は霜劉様がご希望なさっております」

「かしこまりました。ひとまず、こちらへお願い致します」


 上司であろう霜劉に背を向けたまま苦虫を噛み潰したような表情で申し出る星琳に対し、紹藍は淡々と返答をした。

 星琳も先日の出来事を知られたくはないと思っているだろうが、紹藍だってそれは同じだ。別に自分が悪いことをしたわけではないが、説明するのは面倒だ。それなら何事もないとして振る舞う方がよほどいい。星琳にはその態度すら癪に障るようであったが、他にどうしろと言うのだと紹藍は問いたい気持ちをぐっと堪えた。


 ひとまず面会のための部屋に二人を通した紹藍は江遵を呼びに行った。

 そして要件を伝えると江遵が了承した為さっそく帰ろうとしていたのだが、江遵に呼び止められた。


「待て。相手が二人なら、紹藍も同席したらどうだ」

「いえ、間に合っています」

「何がだ」

「仕事が、に決まっているでしょう。ご一緒したら仕事が増える未来がやってきます。しかも私の本来業務に関係ない、お仕事が」


 紹藍が関わるべき仕事であるなら、その旨で最初から訪ねてきているだろう。

 あえて一切自分の仕事に触れていないし、同席も相手側から要求されていないのであれば関係ないと思われる。

 だが、江遵も譲らない。


「今、差し迫った仕事はないだろう」

「差し迫っていない仕事ならありますよ。蕭承様より図面の清書をお願いされていますので」

「なら問題ない」

「なぜ同席をさせたがるのですか」

「対面経験を積む程度、悪いことでもないだろう。嫌味が増えていることは知っている。やり合う時に役立つかもしれんだろう」


 肩を竦めている江遵が気にかけてくれていることは理解したが、紹藍は面倒だという表情を隠さなかった。


「現状困っていませんし、職業経験上接客は苦手としていませんよ」

「まあ、いいからこい」

「お節介ですねぇ」


 本当に親切心からである可能性があっても、ありがたいとは微塵も思えない。

 これぞまさにありがた迷惑ではないかと思いながら二人を待たせている部屋に向かうと星琳の頬が若干引き攣っていた。

 早く帰って欲しいという気持ちの表れだと紹藍も察したし、できれば自分もそうしたかった。

 そんな中、江遵は全く気にすることなくにこやかに挨拶をした。


「珍しいですね、霜劉殿」

「突然申し訳ございません、急なお願いを致したく……」

「あなたが事前に申し出をされていないと言うことは、そういうことなのでしょう。ご用件をどうぞ」


 このような短いやり取りがいったいどのような将来に役立つのだと思いながら紹藍はやり取りを眺めた。強いて言うのであれば割合丁寧な言葉でありつつも『忙しいから無駄話はしないぞ』というものが聞こえる気もしなくはない、ということだろうか。

 しかし仮にそのような意図があったとしても霜劉は気にするそぶりを見せなかった。


「図々しいお願いであるとは承知しておりますが、人を融通していただきたくお願いに参った次第です」

「ああ、なるほど。確か今、そちらでは熱病が流行していますね」

「ええ。しかし今、急ぎの仕事が多く……。江遵殿も戸部にいらっしゃったこともありますし、適性ある者を見出していただき、お貸していただけないでしょうか」


 人手不足は気の毒であると思うが、それは難しい話ではないかと紹藍は思った。

 いくら官吏が優秀な頭脳を持っていたとしても、同じく優秀な人材が担っていた仕事を肩代わりするのだ。長期間ならともかく、短期で同じ質を求めるのは無理があるし、慣れた頃には欠員も復帰してくるだろう。


「残念ですが、蜻蛉省(うち)も暇ではありません。むしろ、常からの余裕のなさは他を凌ぐほど。そのことは霜劉殿もご存知でしょう」

(無茶を言うな、と言うことね)

「無理を承知です。ですが予算にかかる業務が滞ることは、最終的に陛下の憂いになることでしょう」

(『つべこべ言わずに人を貸せ』か)


 追い返す方も頼む方も大変だと思っていると、やがて江遵が溜息をついた。


「そこまで仰るなら……。紹藍、あなたは今、特別急ぎの仕事を抱えていないな」

「……特別急ぎではないにしろ、工部の図面にかかる仕事はありますが」

「蕭承殿ならかなり余裕を持った予定を組んでいらっしゃるはず。行けるな?」


 ここで否と言えないことは紹藍にもわかる。

 だが、約束が違う。

 しかも一連の流れから、江遵は最初からこうなることをある程度予想していたのではないか。


(何が対面経験よ!)


 そう訴えたいが、抱える仕事量から考えると折り合いとして自分が差し出されるのは仕方がないのだろう。それにここに来なくても、おそらく自分が差し出されることになっていたのは想像できる。

 しかし想定外の申し出だったからだろう、霜劉が戸惑った様子を見せた。


「失礼ですが……彼女は経験が浅いはず。それでも推薦できると仰るのですか」

「私の補佐を務められる程度に仕事はできますよ。特に記憶力や計算は病欠の方々に引けを取らないのではないですかね」


 元所属員が言っているのであれば信ぴょう性があると判断したのか、霜劉は顎に手を当て頷いた後、紹藍に顔を向けた。


「では、お願いしますよ。紹藍殿」


 星琳から対抗心のような視線を感じるような気がする中、お願いされたくなかった、と、紹藍は心の中でのみ呟いた。

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