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宮廷墨絵師物語  作者: 紫水ゆきこ
第二章
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第十六話 宮廷外の墨絵師(下)


 情報がない他人が仲直りをする手段など、紹藍が詳しいわけもない。

 しかし弱っているもの相手に突き放せるほど紹藍も図太いわけではなかった。


「……ご親族との仲を改善なさりたいのですか?」

「そうだね。私と……ではないのだが。私の息子と娘の仲を取り持ちたいんだけどね」

(これは……本格的に深く聞かない方がいい話だわ)


 当人の話であっても面倒であるのに、さらにここにはいない者同士となると余計にややこしい話となりそうだ。

 もっともそのようなことは老人もわかり切っているのだろう。

 相談という形を取ってはいるが、苦笑しながら話すあたり、本当に望ましい答えが見つかるとは思っていないように感じられる。

 それでも話すというのは、たとえどうしようもないことだとしても、吐き出したい気分であるのかもしれない。

 それと同時に想像できるのは、老人は自身の子らの仲違いの原因を自分だと認識しているということだ。


「もしかして、不仲の原因はあなたが今療養所にいらっしゃることと関係があるのですか」

「当たっているが、どうしてそう思ったんだい?」

「確信を持っていたわけではございません。ですが、あなた自身が関わっているからこそ、療養中でも関係を改善して欲しいと思っていらっしゃるのではと思っただけです」


 ただただおせっかいとして不仲のきょうだいに仲良く暮らして欲しいというよりは、若干の後悔を滲ませるような雰囲気からそのように紹藍は感じていた。

 但し、いずれにしてもきょうだい仲が悪かろうとそれは当人たちの問題であるのではと思う節はある。

 それでも老人は察せられたことが嬉しかったらしい。


「お嬢さんのいうとおりだよ。私の子らの不仲は、私が原因だ。長男は私が療養所で過ごす今の環境が良いと主張してくれている。そして長女は、私は療養所ではなく家で過ごす方が良い、帰るべきだと主張してくれている」

「……正解がない争いというものですね」


 療養所で過ごすには多額の資金が必要だが、治療を受けるには望ましい環境である。

 療養所に来れば治療技術だけでなく、穏やかな空気と優しい鳥の囀りも心を落ち着かせてくれることも把握できる。

 ただ、長女の主張もまた老人のことを考えてだろうということが理解できた。

 世間の風潮として他人に任せるというものが必ずしもよしとされないことは母を預けている紹藍自身も知っていることだ。


 親を最後まで世話してこそ親孝行という考えが浸透してしまっているからこそ、長女は療養所に預けることを良しとする兄に納得していないのだろう。もしかするとそれを受け入れている老人にも反感を抱いているのかもしれないし、兄の言いなりになっているだけだと誤解している可能性もある。


「どちらが正しいというわけではなく、あなたの望みを受け入れてもらうことが最善だと思うのですが。しっかりとお話されているのですか?」

「私の一番の望みは皆が仲良く暮らしてくれることだ。そのためであれば、私はどこで生活しても構わない。療養所で過ごすにしても、その程度の蓄えはしてきているから心配ない。全く動けないわけではないから、家に帰ってもなるべく迷惑をかけずに過ごすこともできよう」

「……お言葉ですが、お子様方にもしそのように仰っているのであれば余計に争いの火種になっているのでは?」


 あっさりとした紹藍の問いに老人は固まった。


「どういうことだい? 私の言葉に何か不足があると、あなたは思われるのかい?」


 老人としては本当に自分の環境など二の次でいいと思っていたのだろう。

 だからこそ、紹藍の言葉の意味が余計に理解できないらしい。

 紹藍は小さく首を横に振った。


「不足というわけではなく、あなたの言葉からは想像できる心情の範囲が広すぎるのではないでしょうか。もし生活はどうなっても良いという旨で仰ったならお子さん方は各々自分の意見の方が正しいと対立をなさるでしょう。お父様の心情はきっとこうだ、と想像して」

「確かにそうかもしれないが……」

「どちらでもいいというのではなく、療養所がいい、もしくは家に帰りたいと仰ったら良いではありませんか。はっきりと態度に出すことも大切です。それから、一番大切なことはどちらで暮らしたいかではなく、きょうだい仲良く過ごして欲しいと願っていることを伝えることではありませんか。元々は仲が良いきょうだいだったのでしょう?」

「……ああ」

「誰も傷つかないよう、相手のことを考えることは尊いことでしょう。しかし、しっかりと言わねばならないこともあります」

「そういうものか……?」


 まだ納得しないという老人に、紹藍は肩をすくめて小さくため息をついた。


「あなたはどちらでもいいと言いながらも自分が迷惑をかけないようと今は療養所で暮らされているのでしょう? 御長男もあなたの体調を考え、同調されている。しかし、あまり一般的なことではないのは確かです。たとえばもし娘さんが嫁ぎ先でどなたかのお世話をされているとしたら、より一層あなたも家で面倒を見てもらうべきだと思われるかもしれません」


 紹藍の指摘に老人ははっとしたようだった。

 もしかしたらその仮定は実際に起こっているのかもしれない。


「私も母を預けている身です。療養所の素晴らしさは充分理解しております。ですがきちんと意思を伝えなければ、この問題は解決できませんよ。もっとも、本心をきちんと伝えたところで確実に理解してもらえるとは限りませんが」

「……そうだね。世の中からの見え方というものが、私の考えには足りていなかったのかもしれない」

「もう一度お尋ねします。あなたの一番の望みはなんでしょうか」

「兄妹が将来も仲良く助け合ってくれることだ。私は子供に迷惑をかけることなく、またのびのびと過ごせる今の環境が気に入っている。そう、言えばいいだろうか」

「そうですね。まあ、どこまで伝わるかはわかりませんが」

「では……お嬢さんに、一つ依頼を出したいのだが、受けてくれないか?」

「依頼ですか? 構いませんが、どのようなことでしょうか」

「幼い子らが仲良く並んでいる様子を書いて欲しいんだ。庭の池で亀を眺めている風景が懐かしい」

「かしこまりました」


 老人の言っている風景画は仲良く過ごしている幼い時代の子供達の様子だったのだろう。

 顔がわからないので、幼子たちの様子は背中を描くことにした。


(いえ、たとえ顔を知っていたとしてもこの場合は顔を描かない方が正解ね)


 顔の作りだけがわかっていても、老人が思い浮かべる笑顔……おそらく、記憶の中で一番良い兄妹の顔を紹藍が理解することは叶わない。


「ありがとう。いい絵を描いてもらえるなら、私はきちんと手紙を書こうと思うよ」

「なんなら一度、娘さんを呼べばいいのではないですか。結局、手紙だけでは伝わらないことも多くありますよ」


 もっとも、直接会って話しても信じてもらえないこともあるとは理解している。

 何せいくら暇を出されたわけではないと伝えても心配してくれる母が身近にいる。


「まあ、その時はその時か。いずれにしても、相手に任せすぎることはやめなければいけないのだろう」

「まあ、それはそうでしょうね」

「ありがとう、お嬢さん。何もまだ解決していないけれど、前進するきっかけになったよ」


 そして老人は手渡された絵を持って、来た道を戻っていった。

 姿が見えなくなったことを確認してから、紹藍は画具を片づけた。

 それなりに良い時間が経っているはずなので、そろそろ戻っても問題ない頃合いだろう。


「しかし、それなりに蓄えがあって、書物に関わるお仕事をされていた方となると……宮廷で働いていた方だったりするのかしら」


 もしそのとおりであれば大先輩に当たるということなので、たとえ相談であっても小言をいうような後輩は煙たがられるだろうなと紹藍は一人苦笑していた。

 もっとも本当に先輩に当たる人物であったとしても、それを確かめる必要はないし、わかることもない。そう思い、紹藍はその日は本当の用事であった、母の誕生日を祝うために用意した着物を一着贈り、その日は療養所を後にした。




 そして、それから数日経った日のこと。


「紹藍殿、先日は父がお世話になったようだね」


 柳偉からそのように声を掛けられ、紹藍は思わず首を傾げた。


「お父様でございますか?」

「ああ。母君と療養所が同じだとは思っていなかったよ。驚きだね」

「……ああ、あの時の!」


 あの出来事はすでに過去のものとして気にも留めていなかった紹藍は、思わぬところから名前が出たと思わずにはいられなかった。


「あの方は、柳偉様のお父様でいらっしゃったのですか」

「絵を描く女人に説教を喰らったという具合に書いていたから、もしやと思ってね。絵は妹のところへ送られたらしく、私は見ていないけれど、なんだかとても喜ばしいものだったようで」

「それはそれは……お喜びいただけて何よりです」


 むしろ説教だとやはり認識されていたのかと紹藍は少し顔を引き攣らせながら笑った。


「しかし、父自身が強く療養所にいることを望んでいると妹に言ってくれたのは助かったよ。まだ完全には納得してくれていないものの、渋々納得してくれるようになったよ」

「妹さんはお父様が近くにいてくださる方が安心されるのかもしれませんね」

「まあ、それもあるだろうが……療養所じゃ酒が飲めないのが可哀想だとか、煙草も差し入れできないのは苦痛だろうとか、何せ体に悪い、けれど父が大好きなことをさせてやりたいと思っているようなのでね。酒も百薬の長というが、度を過ぎれば毒になるということをいまいち理解しきれないようでね」

「……」


 想像と異なる理由があったことに紹藍はなんとも言えない気持ちになった。そして同時に表面的で当たり障りのない言葉を並べただけで正解だったと思わずにはいられない。

 世間体以前に、ちょっとズレた優しさが喧嘩の原因の一つになっていたとは想定外だった。


「とりあえず、柳偉様の妹君もお父様のことが大好きなのは把握できました」

「妹だけではなく、私もただの薬草好きではなく父上のことを思っている孝行息子だということがわかったかい?」

「そうですね、むしろ柳偉様にも可愛らしい幼少期があったことにも驚きます」


 そう思えば、正体を知らずに幼児を描いたことは良かったと紹藍は思う。柳偉の幼少期を想像して描くとなっても、どうしても今の柳偉の印象が強くなるため、老人の可愛い子供たちとは異なる仕上がりになったかもしれない。


(でも、柳偉様のお父様だったとは……)


 老人はなかなか年を重ねているように見えたが、本当は幾つなのだろうと疑問を抱いた。老人が見た目通りの年齢ならば、高齢の父になるのか、それとも柳偉が見た目以上に年齢を重ねているのか。

 いずれにしても、年齢の話題は失礼になりかねないので避けた方が無難だろう。

 紹藍の考えを知ってか知らずか、柳偉は軽く笑った。


「あはは、昔から大人なんて人はいないからね。でも、君も本当に絵が好きなんだね。まさか休みに父から絵を頼まれているとは想像していなかったよ」

「もともと趣味ですからね。それより柳偉様もお父様のお見舞いに行かれた方がいいですよ。あの方は療養所の方が子に迷惑をかけなくて済むと仰っていましたが、未練もあるように見えました。心のうちでは少し寂しいと思ってらっしゃるのでは」

「寂しがるような人だろうかねぇ。まあ、覚えておきましょう。どうせ行ったところで、お勤めをおろそかにするんじゃないと追い返されると思いますが。紹藍殿はご母堂に喜ばれますか?」

「いえ。喜ばれる以上に、何かやらかしたかと心配されますよ。まったく不本意ではありますが」

「そうですか。なんだかある意味似ているように思いますが……まあ、互いにきっと素直じゃない親がいるんでしょうね」

「素直じゃない……でしょうか?」


 柳偉の言葉に同意して良いものか紹藍は少し迷った。自分の場合は本当に失職を心配されている気がしてならない。そして母は自分の気持ちには素直すぎるような気がしている。


「いずれにしても、孝行したいと思える親がいるのは良いことです。江遵様もよく仰っておられます。孝行はできる時にせねば、後からできるものではない、できる時にした方がいい、と。あの方にはもう、そのような方がおられないそうですから」


 その柳偉の言葉に紹藍は思わず目を瞬かせた。


(ああ、それでなのか)


 やけに手紙を書くように言ったり、顔を出さなくていいのかと尋ねたり、やけに気にしてくるなと思ったが、それは就職理由以外にも気になるところがあったからだったらしい。


「まあ、確かにそうですね。有給たくさんいただける見たいですし、上司の言うことはたまには聞きましょう。たまには」

「ええ、ときどきならば、ですね」


 やはり忠告を聞いたところで実情に合わなければ問題が発生する。

 しかしそんなことを考えていると、ふと江遵の家族構成はどうなっているのだろうと少し疑問に思った。別に詳しく知りたいわけではないのだが、自分の家庭環境はよく知られているのに江遵の周囲のことはまったく知らないと、今更ながら感じたのだ。


(まぁ、そもそも江遵様のご家族よりも蜻蛉省の方々のことをもう少し知る方が先かしら)


 仕事内容の違いから同僚にあまり会わないことはよく理解できているものの、未だ知り合いは江遵と柳偉のみ。長官の顔すら知らない状況なので、気にするならそちらが先だろうとは思う。

 ただし長期遠征中らしいとのことなので、挨拶がいつになるのかは未だわからないのだが。


(考えても仕方ないか。なるようにしかならないもんね)


 とりあえず顔を合わせた時に採用されて以降しっかり仕事をしてたと報告できるよう給料分の仕事はきっちりこなそうと、そして同時にそれ以上は深く考えないようにしようと紹藍は思い、上官のことはひとまず頭から追いやることにした。


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