第十四話 歴史の記録(二)
翌朝、紹藍の元に蕭承の使いがやってきた。
手紙には一番早ければ翌日朝一番が都合がよいこと、それから他の候補日がいくつか記されていた。
紹藍にとっては翌日で何ら問題がなかった、というよりは早いうちに仕事に取り掛かることができればと思っていたので、翌朝を希望する旨の返信をすぐに書いた。
そして、翌日。
蕭承との待ち合わせ場所に向かうと、そこには特に約束をしているわけではない上官がいた。
「なぜここにいるのですか、江遵様」
一応予定が決まった時点で報告はしたが、来るとは聞いていない。
何の用事があるのかと紹藍は訝しんだが、江遵は至極当然のように答えた。
「あそこは人通りが多いだろう」
「ええ、よく知ってます」
「スリも多い」
「盗られるようなものは持っていきませんけどね」
持っていくのは画材関連のみだ。
買い揃えるには金額が必要だが、重さのある硯を取られて気付かない人はいないだろうし、売れる状態を保ちながら紙を持って逃げるのも大変だ。おまけに中古で売れるとは限らないのであれば、他の人の小銭を盗むほうが簡単だろう。
そもそも護衛の必要があったとしても副長官がわざわざ出向く必要はない。
だが意外にも蕭承は歓迎していた。
「ありがとうございます。実は、あの場を描いていただくにあたり人通りは懸念事項でもございましたので、助かります」
「蕭承様、それはどういったことなのですか……?」
「私一人ではお描きいただく時、紹藍殿に通行人がぶつからないよう誘導できるか、やや不安があったのです」
思いがけない言葉に紹藍は目を瞬かせた。
確かに人通りが多さゆえに、たとえ道の端であっても描いていても途中でぶつかる可能性がないわけではない。
だが、紹藍としてはあまり問題にはならないと思っていた。
「私も人通りの多さは理解しております。今日は下描きをさせていただくつもりですが、もし人が多ければ観察のみにとどめ、帰省してから描く予定ですので、気にしていただかなくても大丈夫ですよ」
「そのようなことが? いえ、そうですね。あなたは節句の祭典でも絵は後から描かれていましたね。絵は現物を見ないと描けないものだと思い込んでおりました」
そんな蕭承は少し照れくさそうに笑っており、なんとなく可愛らしいと紹藍もほのぼのとしてしまった。
「ですが、いずれにしても来ていただけるのでしたら私はお願いしたいと思います。現在の朱雀大橋を見ていただけるのも、残り少ない時間ですので」
なおも意見を変えない蕭承の言葉にそれ以上紹藍が言葉を返すことはしなかった。もとより江遵に来てほしくないというわけでもない。来てほしいと蕭承が望むのであれば、そうすることが一番だろう。
だが、紹藍は少し不思議に思った。
蕭承の希望は置いておくにして、やはり江遵の意図がわかりかねる。
(蕭承様が大橋を見てほしいという気持ちは、まあ、本人の希望だけれど……。江遵様は私が困らないだろうことはわかっているわよね?)
もちろん純粋に人通りが多いから心配しているという可能性もあるが、江遵は今の絵の描き方以外にも元々紹藍が働いていた環境を知っている。
だから最初のスリという単語を出してきた時点で不自然なのだ。
(外に行きたいだけ……とか? いや、まさかね)
やはり理由はよくわからないが、いずれにしろ蕭承が承諾しているのであれば紹藍が強く反対する根拠はない。そもそも疑問に思っただけで行きたくないわけではない。
「では、行きましょう」
その蕭承の言葉をきっかけに、紹藍たちは目的地までの移動を開始した。
道中、蕭承は歴史的な建物を見る度に目を細めていた。
「あのような雰囲気の建造物がお好きなのですか?」
思わず紹藍がそう尋ねれば、蕭承は花が咲くような笑顔を浮かべた。
「ええ。あの建物が建築されたきっかけがなかなか面白くて。ひとつ、お聞きいただけますか?」
「お話いただけるのであれば、ぜひお願いいたします」
「そうですか。では、あの建物はですね……」
そうして語り始めた様子からは強い熱意が感じられ、紹藍だけではなく江遵も深く聞き入っていた。
「……おっと、私ばかり喋ってしまって申し訳ありません。部下にも、よく熱くなりすぎていると指摘されるのですが、どうにも治らず」
「興味深いお話をありがとうございます。普段、そういった知識をお聞きする機会はありませんから、新鮮です」
「そういっていただけると救われます」
朱雀大橋も近くなり、そうして蕭承が笑った時だった。
少し離れた場所から「ひったくり!!」との叫び声が聞こえた。
すると間も無く紹藍たちの目の前を横切り、走り去る男がいた。
「追いかける!」
ほとんど反射的にだろう、江遵はその男を追い始める。
紹藍は周囲を見渡し、盗まれただろう女性を探し出した。突き飛ばされたのだろうか、座り込む女性に近づいて膝を折る。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。だけど、私のお金が」
「私の連れが追っています。追いつくと信じましょう。怪我はございませんね?」
「本当に大丈夫かい?」
「まずは、少し端に寄りましょうか」
心配しないでとは言えない。
ただ、江遵の運動能力を見たことがある限り、まず大丈夫だろうと紹藍は思っている。ただ、それでも万が一の時のためにはできることをしておきたい。
「鴻殿、何をなさるのですか?」
「先ほどの無法者の顔を描き留めておきます。江遵様が捕縛できなかった場合、探す際に役立つかもしれませんから」
そう言いながら、紹藍は紙と木炭を取り出した。
元々この場で墨を磨ることは考えておらず、雰囲気だけを描き出すつもりであったのが幸いした。これなら、すぐに描くことができる。
紹藍はすぐに男の特徴を思い出し、横顔であるもののしっかりと描いていく。
すると、興奮気味であった女性も少し落ち着く様を見せ始めた。
(これが役立つかどうかはわからないけれど……少なくとも、手がかりが完全に消えたわけじゃないと思うことはできる)
ならばそれだけでも意味があることだ。
そう思いながら、紹藍はひったくりの男の顔を描き上げかけた頃、江遵が戻ってきた。
「そちらの女性が、先ほど被害に遭われた方か?」
「お帰りなさいませ、江遵様。その通りでございます」
紹藍に確認をとった江遵は、未だ座り込んでいる女性のもとに膝をついた。
「お待たせして申し訳無かった。警備の者にならず者を引き渡していたら、少し時間がかかってしまった」
「ということは……」
「無事に金は戻ってきているので、安心してもらって構わない」
そう言いながら、江遵は女性が盗られた袋を手渡した。
「ありがとう……! これがなくなったら、私の生活が破綻するところだったよ……!」
それは大袈裟な言葉なのか本当なのか紹藍にもわからないが、本心であることは確かだと思った。
「何か礼を……」
「いや、大丈夫だ。ああいう手合いに遭った貴女こそ、本来見舞いを受け取るべきだ」
そう江遵が言うと、女性は「まぁ!」と顔を赤らめた。
「私があと二十でも若ければ……お兄さん、いい男だね!」
そう言いながらバシバシと江遵の背を叩く。
「いや、それよりも……貴女も盗られた時の状況を説明するため、一度西の詰所へ向かってもらえないだろうか」
「ああ、そうだね。一度あの盗人の悔しがる様でも拝んでやるかね。ああ、詰所へは私ひとりで行けるよ。連れのお嬢さんを放って一緒に行かせるわけにはいかないからね」
そうしてニッと笑った女性はもう一度礼を言ってからその場を去った。




