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宮廷墨絵師物語  作者: 紫水ゆきこ
第一章
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第十話 安寧を欲する者(一)

 今までの客と絵描きという関係から、妃と官吏という立場になると紹藍としては少し気持ちが違っている。


(いや、出会った場所が後宮だし妃の一人だとは思っていたけれど、四色夫人だとは思っていなかったから……!)


 別に失礼なことを言ったわけではないし、怒られるようなこともしていないのでビクビクとする必要はないはずであるのだが、なんとなく知らなかったという事実が紹藍を緊張させていた。

 ただ、そんな緊張を感じているのは紹藍だけだった。


「待ってたわ、いらっしゃい! 白蓮宮にお招きできたのは初めてですね、どうぞゆっくりしてください……と言いたいところだけれど、まずはお話をさせていただいてもいいかしら? ああ、もちろんお菓子を食べてもらいながらですよ」


 そう最初に口にした芙蓉はにこにこと紹藍に席を勧め、そして侍女に命じて紙の束をもってくるよう伝えた。


「あの、白妃様」

「やだわ、紹藍様。私のことは蓉蓉で構いません」

「そういうわけにもいかないのでは……」


 ただでさえも妃をそのような呼び方で呼ぶのはいかがかと思うし、周囲に侍女もいる中でそのようなことは無理だろう……そう思っているが、やや年配の侍女が紹藍の視線に気付き首を横に振っていた。


(まさかの降参宣言!?)


 きっと一度言い出したら聞かない性格なのだろうと紹藍は思うものの、流石に今の立場で蓉蓉と呼ぶのはあり得ない。


「本日の私は白妃様をお描きする官吏として参っております。どうぞ、ご容赦くださいませ」

「それもそうね、残念だわ。私を描くためですものね」


 思ったよりもあっさりと納得されたものの「では今日は仕方がありませんね、今日は」と今日を強調されたので、本心が伝わっているのかいないのか紹藍には分かりかねた。いや、伝わってはいないのだろう。


「それより紹藍が描いてくれた絵のおかげでますます執筆意欲が上がりました。筆が止まっていたのだけれど、あれからこんなに書けたのです」

「それは……すごいですね」


 中身を読んでいなくとも、明らかに分厚いそれが大量の文章ですぐに書けるようなものではないのは紹藍にもわかる。

 素直に驚くと、芙蓉は笑った。


「紹藍様が梁淳をやりこめてくれたから、鬱陶しいのも一つ消えましたし。本当に紹藍様は最高ですね」

「え?」


 梁淳のことは後宮内では広く知られているわけではない。

 緑妃や黒妃が誰かに話して伝わったのであればわからなくはないが、後宮内で起こったことは女官が処分された件だけで、梁淳の名前は出ていない。そして、二人はあえて解決済みの事件を外に話すような性格ではない。

 そして外部では蜻蛉省が関わったとはされているものの、名前が出ているのは江遵と柳偉だ。下女と話はしたが、名乗ってもいないので自分の名前が広まることはないはずだ。


「何かお間違いではないでしょうか?」


 もしかしたら蜻蛉省であるという話を外部から聞き、江遵たちと紹藍のことを勘違いして思っているのかもしれないと思い紹藍は尋ねた。

 実際は自分も関わっているのだから間違いではないのだが、面倒なので噂の通り自分は関わっていないことにしたいと紹藍が思っていると、芙蓉は目を瞬かせたあと「そういう事にしておきましょうか……?」と口にした。

 どうやら、本当に知っているらしい。

 逆に紹藍が驚いていると、芙蓉は笑った。


「どうして知っているのか、お知りになりたいかしら?」

「そうですね、どうしてそう思われているのかは興味があるというか……」

「では、もう一つ私のお願い事を聞いてはいただけないでしょうか?」

「どのような事でしょうか?」


 内容を尋ねてはみたものの、おそらく創作の絵のことではないかと紹藍は思った。それなら描いていても楽しかったので、断る理由は何もない。

 だが、依頼は想像から大きく外れていた。


「実は下級妃の住まいに幽霊が出ると騒ぎになっているのです。どうにかできませんでしょうか」

「え……?」


 幽霊の存在を紹藍も信じてはいない。

 あの大禍で大勢の人が亡くなっているにも関わらず、下町で一度も見たことがないのがその理由だ。もしかすると存在しているものの自分では認知できないだけかもしれないが、いずれにしても役に立てそうにはないと思ったのだが。


「幽霊騒ぎなんて困りますよね。幽霊は創作でこそ本領を発揮するものではないですか」

「え?」


 思っていた話とは展開が異なり、思わず間の抜けた声が出てしまう。


「さ、左様でございます……ね?」

「本当に迷惑ですよね。一時期は何か物騒なことが起こるのではと宦官の見回りも増やされましたが、原因がわからないままうやむやになっているのです」

「つまり……白妃様が仰りたいのは、幽霊でない何かがあると思われるので、幽霊の名誉を保つためにも解決したいと?」

「ええ。だいたいその通りでございます」


 幽霊に怯えるわけではなく、むしろ幽霊を守りたいという旨に紹藍はただただ『後宮で生きていく方々はやはりただものではない』と思わずにはいられなかった。


「そもそも見回りは毎日決まった時間に行われるはずですが、実際に行われているかどうかは怪しいものです。下級妃たちが私たちのところなんてどうでもいいのでしょうと噂していますから」

「それは……」

「本当に何もなければ、それでいいのです。けれど、宦官の言葉だけでは信用できません」


 妃が宦官を信用しないことは、よくあることだ。相手をよく知らずとも、去勢までしてその地位を得たいのかという侮蔑の気持ちが勝るのだろう。

 実際に禁城では宦官だろうがなかろうが、贈賄の習慣が根付いている。だからより宦官に疑いの目が向いても不思議ではない。

 そこに階級に差があるとはいえ、同じ妃が見回りをしていないと指摘するのであれば、他の目を欲することも自然だろう。


「かしこまりました。解決できるかどうかは別としまして……一度、調べさせていただきましょう」

「ありがとうございます。では、まず噂の場所や見回りの範囲について説明いたしますね」


 手際よく説明を始めた芙蓉の様子からは、彼女もすでに独自に調べようとしていたことが感じられる。だが、妃である以上動きにくい場面もあるのだろう。

 その後芙蓉を描くという当初の目的は一旦保留となった旨を江遵に報告し、迎えた同日夜。


「思ったより寒い」


 上着は持ってきたものの、動かないという条件下では風が吹くと身震いもしたくなる。

 とはいえ、今までの人生で紹藍は風邪など一度も引いたことがない。そのため心配はいらないのだが、思わず『早く異変が起きてくれ』と願いたくもなってくる。


(いや、何もないのが一番なんだけど! 何もなければ明日もよね! 厚着してくれば済むかもしれないけど、部屋でゆっくりするほうが絶対いいし!)


 しかも、時間の流れが異様に遅く感じる……と思えば、丑時の鐘の音が聞こえる。


(って、宦官の見回り本当にないの!?)


 本来ならもう一度目の巡回が終わっているはずだが、紹藍は一度もその姿を見ていない。そして、見逃すわけもない。

 このままだと二度目の巡回もなさそうだが、はてさて、状況を調べなくてもよいものかと少し迷う。

 ここを離れては幽霊の調査は中断する。

 だが、宦官の仕事ぶりに問題があると分かっていて放置するのもいかがなものか。


(……少なくとも二度目の見回りまでに、まだ時間はある。別の道を巡回しているだけかもしれないけれど、一度夜間警備の待機所へ向かってみようかしら)


 行ったとしても今日の巡回担当が誰であるか分かるわけではない。だが、例えば業務に関係のない話で盛り上がった故のサボりであれば、それは報告せねばならないことだ。

 一体どういう雰囲気なのかと知るために向かうことも悪くはないだろう。


 そう紹藍が思いながら移動を開始し、しばらく歩いた。

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