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宮廷墨絵師物語  作者: 紫水ゆきこ
第一章
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第一話 下町の画聖、(強制)勧誘される(上)

 風光るという言葉が似合う、徐々に力強さを増す日差しが風をも輝かすのではと思わせるような天候のもと、大衆食堂『燦々』は今日も客が溢れていた。


 炒めた肉や野菜、煮込まれたスープに薬膳粥、それから口をさっぱりさせる茶、餡の詰まった肉饅頭。

 客はそれぞれが求めた料理を豪快に食べ進めたり、微笑みながら味わったり、静かに目を閉じて想いに耽ったりと様々な表情を浮かべ、各々が楽しんでいた。


 そのような状況をコウ 紹藍シャオランはいつものように観察しながら、次々と料理を運んでいた。


(本当にここのお客さんたちはいい顔で食べるよね。今度紙が買えたら、またこの風景を描こう)


 そうして想像を膨らませる紹藍は十六歳。

 六歳の頃からこの店で働く彼女は、元士族の名家である玲家の血を引いている。

 だが、紹藍が令嬢として生活したことは一度もない。

 若くして玲家当主を継いでいた父は流行病で紹藍が生まれる前に亡くなり、母は父と同じ病に罹った庶民の治療に財産をすべて使い切ったため、生まれた時には玲という家名は潰え、庶民だったのだから。


 もっとも、紹藍は『令嬢だったらよかったのに』と思ったことが一度もない。

 良家の令嬢の生活を知らないからというのも理由にあるが、何より日々の生活に不満はなかったからだ。


 しかし不満はなくとも、金の工面に困ったことなら多数ある。

 母は懸命に働きながら紹藍を育てていたもの、もともと病気がちであった。

 しかし金がないと薬が買えない。薬が買えないと体が良くならず、働けない。


 その悪循環を打破しようと、紹藍は六歳になったときに現在働くこの食堂に自分を売り込み、職を得た。


(でも、よくあの歳で雇ってもらえたわよね。記憶力がよくて助かったわ)


 あまりに幼い労働者では役に立たないと最初は女将にも断られかけたのだが、紹藍は記憶力でその関門を突破した。


 断るための口実にすぎない試用期間中に、どんなに混み合っていても注文も配膳も間違わない正確さを披露したのだ。しかも、誰よりも動きが早く迷うことがない。

 当時は体の小ささがネックであったが、利点を大きく認めてもらえたのが勝因だった。


 ただ、職を得て看板娘として順調に成長した状況でも貧乏生活から免れることはない。決して給金が上がってないわけではない。しかし年々母の薬代が増えていくため、余裕ができないのだ。


 それでも、決して生活できないわけではない。

 なので、あまり紹藍は悲観することはしていなかった。


 そして貧乏な生活にあっても、紹藍は趣味を見つけることができたため、心を穏やかに保つことができていた。


 紹藍の趣味は絵を描くことだった。


 当初は食堂で働く時間以外は他所で働きたいと考えていたが、やはり年齢が原因ですぐに雇ってもらえる場所はなかった。燦々に頼み込んだ時のように、試用期間を設けてもらうこともできず、働けるということを示すことができない。


 そんな状況に対し半ばいじけた紹藍は、なんとなく土に木の枝で絵を描いた。

 しかしそれらは思ったよりも楽しく、そのうち熱中してしまった。やがて通行人にこれは見事だと誉められ、日課になっていった。


 その後、通行人の要望に応えて色々描いていると、やがて報酬として墨や、お下がりの筆をもらうことがあった。

 そこで紹藍は河原で綺麗に表面が削られた石を探して動物や鳥を描いてみると、文鎮として使いたいと買取を申し出られることが発生するようになった。おかげで今は食堂の一角で販売も行っている。

 さらには紙と新しい筆を持ち込みで人物画や風景を描いてほしいと報酬付きの依頼を受けるようになり、気付けば第二の職業のようになっていた。


 現在働いている食堂にも紹藍が女将からの依頼で描いた大きな風景画が飾られている。

 紹藍が描いた中でも特にこの絵は興味惹かれる者が多いことから、紹藍は店では『下町の画聖』と呼ばれているが、これは本人にとってかなり恥ずかしい呼び名でもある。


(誰かに師事したわけでも、きちんと修行したわけでもなく、自由に描いてるだけだから、本当に絵に詳しい人に画聖なんてたいそうな響きを知られたら絶対笑われるわね)


 もちろん自分で名乗るわけではないのだが、聞いた人は紹藍が名乗っているか否かなど知らないだろう。


 描いたものを喜んでもらうことは嬉しいが、不相応な呼び名は恥ずかしいので是非やめてもらいたいとは思っている。


 そもそも似顔絵ひとつで定食二食分の基本料金で画聖と呼ばれるのは、いささか大袈裟すぎる。


(もちろんもう少し稼げるようになったら、もっと自分の描きたい絵をもっと描きたいとも思うけどね)


 紙は高い。

 そのため練習はいつも木片に使い古した筆を使っている。

 だが、いつか生活に余裕ができれば紙を買い、しっかりした筆で自分の描きたい絵を遠慮なく描いてみたい。

 販売用の文鎮は比較的好きなものを書いているが、やはり滲みやぼかしを楽しむとなると紙が必要だ。


 そう、紹藍が考えていた時だった。


「なんだ、このゴミの集まったような空間は」


 それは明らかにこの場所を見下した、失礼な声だった。


(何事かしら?)


 紹藍が入口を見ると、そこにはこれでもかというほど丸い身体をした男がいた。日に焼けていない肌はこの食堂では珍しい上、身体が満足する以上の偏った食事を普段から摂取していることが窺え、おそらく庶民ではなく士族なのだろうと想像ができる。


(その割に衣服の仕立ては雑で、生地もやや傷んでいる。士族だとしても裕福そうではないわ)


 ただし、たとえ裕福であっても馬鹿にしていいものがこの場にあるわけではない。かといって無視していれば暴れ出すだろうことは想像できたので、紹藍は渋々男の元へ行った。


「いらっしゃいませ」

「何を言っている? 私は客ではない」

(じゃあ来ないでよ)


 口から飛び出しそうになった言葉をぐっと堪え、代わりに「左様でございますか」と返答した紹藍は表面上にこやかに続けて問いかけた。


「では、どのようなご用件でおいでになったのでしょうか」

「ここに下町の画聖とやらが出入りしているときいてやってきた」

「下町の画聖ですか」


 まさか自分のことを探しにくる士族がいるとは思わず、紹藍は内心顔を引き攣らせた。士族というだけでも面倒なのに、その中でも特に面倒そうな相手が自分を訪ねてくるなど、嘘であってほしいと切に願わずにはいられない。


「取り立ててやろうと思ってな。こんな貧そうなところに入り浸るのではなく、我が家で絵が描けることを光栄に思うだろう」

「左様でございますか。では、お断りいたしますので、どうぞお帰りくださいませ」

「は?」

「私にご用事がおありのようですが、生憎魅力的なお誘いだと感じませんでしたので、どうぞお引き取りくださいませ」


 そうして紹藍は優雅に一礼をした。

 これは紹藍ができる、数少ない上流階級の動作である。

 手習などはできずとも挨拶ならば稽古できると、母から何度も指導を受けたことであるので、違和感など生じる隙のない完璧な流れを築けている。


 だが、紹藍の返答に初め間抜けにも口を開けていた丸い男は、その後顔を真っ赤にさせた。


「ふざけるな!! 女の画家だと!?」

「ふざけてなどおりません」

「私に嘘をつくな! 適当にあしらって構わないと本気で思っているのか!?」


 本気で断っているので決して適当ではないのだが、紹藍は少し参った。女性画家がいないというのは、誤りとまでは言えない。少なくとも有名な画家で女性画家はいない。紹藍が知らないだけの可能性はもちろんあるが、過去に一度『お前が男であったなら弟子に考えてやってもよかったのにな』と言われたことがあり、女性画家基本的にいないものであるのだろうと認識している。


 だが、そもそも紹藍の職業は画家ではない。

 本業は食堂の従業員、趣味の延長で絵を描かせてもらっているだけだ。


「店主を出せ! この無礼者を放っておく気か!?」

「なんだよ、さっきからうるさいね!」


 丸い男が叫んだからというよりは、初めの侮辱から溜まりかねていたのだろう。それまで調理に従事していた女将は怒りを露わにしていた。


「な、誰にものを言っている!!」

「うるさいお前に言ってるんだ! 画聖は断っているだろう、客でないなら早く出ていっとくれ!」


 相手が士族だろうと女将に怯む気配はまったくなかった。その姿に食堂の客は尊敬の眼差しを送っているが、それはますます丸い男の神経を逆撫でた。


「店ぐるみで私を侮辱する気か!?」


 そう言った士族は腰に手を当てた。

 そこには長剣がある。


(まずい)


 そう思った紹藍は丸い男が女将に向かおうとするところに割り入ろうとした。

 同時に刃物が見えたところで客から悲鳴もあがる。


 だがその直後に鈍い音が響き、丸い男は倒れた。

 それは丸い男が一人でに転んだように見えた者が大半だっただろう。

 だが、紹藍には見えていた。

 麺を啜っていた男が素早く立ち上がり、女将と丸い男の間に入り、すっと剣を避けて綺麗に丸い男を殴り飛ばしたことを。

 それはまるで武官のような俊敏な身のこなしであったが、男は優男といった風態で、戦いに向くようには思えない。


「だ、誰だ! 貴様は!」


 丸い男の言葉に紹藍も初めて同意した。

 一体何者だ、と。

 それに対して男は短く返答した。


蜻蛉省せいれいしょう


 それは紹藍にとって聞きなれない単語であった。しかし疑問に思った紹藍とは対照的に丸い男は固まり、震え、そして土下座した。


(え、どういうこと……?)


 何が起こっているのかは不明でも、少なくとも優男が丸い男より身分が高いことはわかる。

 

「女将はこの者にどのような処分をされたいだろうか?」

「え……? そ、そうだね。その男にこの通りへの出禁と下町の画聖への接触禁止、あとは今壊れた椅子の弁償は求めたいね。あとは面倒だからいらないよ」

「お、お支払い致します!」


 丸い男は今までの態度から一変し、手持ちだったらしい金子入りの巾着を置いて逃げるように店を出た。巾着には実損以上の額が入っているのは明らかだ。

 男はそれを見送ってから、紹藍と女将の顔を見た。


「大事はないようだな」

「え、ええ」

「ああ、ありがとよ。あんた、強いね……?」


 女将の言葉が疑問形になったのは、物理的な強さもさることながら、一言で丸い男を震えさせたこともあるのだろう。

 しかし、なぜその言葉で丸い男が逃げ帰ったのかはわからない。


「ま、まぁ、お兄さんのお陰で早く片付いたし! 何か追加で食べないかい? ほら、お代はさっきの奴が置いていったし!」

「それは魅力的な誘いだが、実はたくさん注文したから満腹が近くてね。それに、私の用事も見つかったので、その誘いはまたにするよ」


 用事とはなんだ、食事が目的ではないのかと紹藍は一瞬だけ思ったが、この男は少々だらしのない服の着方をしているものの、その生地や仕立ては先ほどの士族よりよほどよいものだった。

 もしかしたら先ほどの士族よりも位の高い士族かもしれないと紹藍が思っていると、軽く一礼した。


「実は私も下町の画聖を探しに来ていたんだ」

(え、嘘でしょ)

「まずは話を聞いてもらえるか?」


 士族が自分を訪ねて来たことなど今までなかったはずなのに、なぜ一日で二人も士族がやってくるのか。


(もしかして厄日?)


 しかし場を収めてくれた男を無視する訳にもいかず、紹藍は乾いた笑みを男に返すことになった。



ーーー

当面、6時と18時の1日2回の更新を予定しております。

よろしくお願いいたします。

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