王女との思い出
僕の生まれ故郷、クウナ村は決して豊かな村ではなかったが、綿花とオリーブの木を育て、それを街に出荷し、細々と生計を立てていた。
僕とその妹はそんな村のありふれた家庭に生まれたが、八歳の時、両親を亡くした。
流行病だった。
ある日高熱を出すと、嘔吐を繰り返し、そのまま帰らぬ人となった。
僕たち兄妹は、八歳にして最大の保護者を失ったわけである。
八歳にして天涯孤独の身になった哀れな兄妹であるが、不幸はそこでとどまった。
僕たちの母親は村長の一族の出で、兄妹は村長の一家が引き取ることになったのである。
無論、それでも兄妹たちには厳しい環境であったが、大人たちの庇護のないまま世間に放り出されるよりは何倍もマシであった。
僕たちを引き取ってくれた村長一家は物語に出てくるような意地悪な里親ではなく、精神的にも肉体的にも困窮することはなかった。
農作業の手伝いはさせられたが、三食、食事は与えてくれるし、妹には見栄えの良い服を買ってくれた。初等学校にも通わせてくれた。
村長である義父は少しばかり頭が固い人物であったが、それを差し引いても良い家庭に引き取られたと感謝すべきであった。
僕と妹は、その家庭で二年間を過ごし、二年目に彼女と出会った。
最初に紹介されたとき、僕は彼女がこの世界の人間ではないと悟った。
それほど可愛らしく、可憐な少女だったからだ。
金を溶かして紡いだような金色の髪、整った肢体、白磁器のような肌に、人形のように整った目鼻立ち。
僕のような庶民的な顔立ちとは一線を画す、貴人の顔立ちだった。
しかし、その感想は的を射ていた。
紹介されたときは義父から、
「遠縁の子供だ。おまえたちと同じような境遇にある。なにかと不憫な子なので仲良くしてあげなさい」
と、言われたが、すぐにそれは嘘だと判明する。
彼女――、半神的なまでの美しさを持った少女ルキナは、三ヶ月後には悪漢に襲撃される。
たかが村長の遠縁の娘をかどわかす悪漢など存在しない。
そしてたかが村長の遠縁の娘を取り戻すため、王都から親衛隊が派遣されることもない。
その事実が彼女の身分を語っている。
彼女は王族なのだ。
それは決して的外れな答えではないと思う。無論、大人たちに尋ねても答えてくれないだろうから、自力で彼女を取り戻すしかなかった。
なぜ、家族でもない少女を助けなければならないのだろうか。本来ならばすべて大人たちに任せて家にこもっていたかったが、そうはいかない事情があった。
――実は誘拐されたのは、ルキナではなく、僕の妹だったのだ。
妹はルキナと同じ髪の色をしており、似たような背格好をしていた。
悪漢たちは間違えて妹をさらったのである。
そのことについて、ルキナは申し訳なさそうにこう言った。
「ユークス、ごめんなさい、あなたの大切な妹を巻き込んでしまって」
「謝ってもらっても妹は帰ってきません。姫殿下、妹を取り戻す作戦に協力してください」
彼女は力強くうなずくと強力する旨を申し出てくれた。
「しかし、私が王女であるとユークスは知っていたのですね」
「あなたのように貴人めいた雰囲気を持った農民の子などいません。それにこの騒ぎを見るからにあなたは重要人物としか思えない」
「……たしかに私は王の娘です。今、父上は病に倒れ、国政は混乱し、王位を狙うものたちが暗躍しています。私はその血なまぐさい宮廷劇から逃れるためにこの村に避難してきました」
「そしてそこで農民の子供たちと仲良くなり、混乱が収まるのを待っていたのだけど、王宮の連中にかぎつけられ、刺客を派遣されたというわけか」
こくりとうなずくルキナ。
「事情を隠していたことは本当に申し訳ないです」
「人にはそれぞれ事情がありますよ。ともかく、僕は妹を助ける。そのことしか考えていません。王女様、ご協力ください」
「はい」
と、力強くうなずく王女。
その真摯な瞳は宝石のように美しかった。
こうして僕とルキナの妹奪還作戦は始まった。
妹は現在、ルキナの叔父に雇われた悪漢のもとにいる。
その目的はルキナの命であるが、ならば彼らはすぐに過ちに気がつくだろう。
なにせさらったのはルキナではなく、僕の妹なのだ。目的を果たすことはできない。
ならば即座にやつらの拠点に乗り込み、その旨を伝えて、本物のルキナと人質交換を申し出るべきであろう。
しかしそれは同時に一国のお姫様の命を差し出すことになる。
あるいは僕は罪を問われ、首をはねられるかもしれない。それにその本物のルキナがそんな条件に乗ってくれるわけがない。
そう思っていたが、それは大きな過ちであった。
お姫様はこともなげに言う。
「ユークス、その作戦を実行しましょう」
彼女はなんの迷いもなく同意する。
「どうしてですか? どうして姫様はそんな真似を」
彼女は笑顔で答える。
「もともと無関係のあなたたちを巻き込んだのは私。それにあなたたちは王都からやってきた世間知らずの私のことを対等の友達として扱ってくれました」
対等の友達とは、一緒にままごとをしたり、竹馬に乗ったり、野山を走り回ったことだろうか。
ならばそれはこちらも同じだった。
楽しかったのは彼女だけでなく、僕とその妹も楽しくてしかたなかった。
同年代の友人ができて嬉しくてしかたなかった。
彼女が義理を感じる必要などなにもなかった。
そう言いたかったが、それでも彼女は人質交換の件を譲らなかった。
結局、彼女に押される形で悪漢の拠点に向かうのだが、そこに向かうと信じられない光景が広がっていた。
立ち上る黒煙、舞い散る粉塵、悪漢の拠点と思われる廃村は燃え落ちていた。
王都のドラグーン部隊が僕たちよりも先に襲撃を加えてしまったようだ。
「私の命など、最初から気にかけていなかったのね、兄上は……」
彼女はそう漏らすが、それ以上説明することはなく、燃え落ちそうな馬屋へ入った。
なぜ、そこへ入ったのか、尋ねてみたが、彼女は「乙女の勘です」としか言わなかった。
その勘は見事に的中する。
そこには猿ぐつわをはめられている妹がいた。
すぐにそれを取り去り、抱きしめてやりたかったが、それはできない。
妹は鉄格子の中にいた。
炎はすぐ側まで迫っている。
このままでは妹は焼け死ぬだろう。いや、煙に呑まれて死んでしまうかもしれない。
しかし、そんな真似などさせない。
僕は手近にある棒を手に取るとそれで錠前を殴り続けた。
力一杯、体力の続く限り。
かんかんかん!
金属がぶつかり合う音がこだまする。
そんなことで簡単に壊れる錠前ではなかったが、それでもそれ以外に錠前を壊す方法など思いつかなかった。
僕の苔の一念は神に届く。
絶対に壊れないだろうと思われた錠前がパキンと音を立てると同時に壊れた。
そのまま錠前を取り去ると、僕は妹を牢獄から出す。
抱きしめたい衝動を抑えながら、妹を屋外に出そうと抱きかかえるが、それはできなかった。
僕が牢の中に入った瞬間、天井に回った炎は馬屋の屋根を落とす。
幼い兄妹はそれに押しつぶされ、焼け死ぬことになる――、はずであったが、そうはならなかった。
ルキナの身体が輝き始めると、彼女の手のひらから青いオーラが放たれる。
それは魔法であった。
ルキナは魔法によって一時的に天井を支えると、僕たちを救った。
僕はそのまま妹を馬屋の外へ送り出す。
その間、ルキナは魔法で屋根を支え続けたが、それも永遠とはいかなかった。
僕が戻ると同時に彼女は地面に尽き伏す。
魔力が切れたとすぐに分かった。僕は最短距離で彼女のもとへ向かうとそのまま彼女を抱えて馬屋の外へ出た。
こうして三人は無事、助かったわけだが、ここで大団円とならないのが、この世界が悪意に満ちている証拠であった。
焼け落ちた別の建物から、ひとりの男が飛び出してくる。
彼はドラグーン部隊に惨殺されなかった代償として、全身に大やけどを負うこととなった。
いや、そのやけどは明らかに致命傷だった。もはや男は助かるまい。誰もがそう思った。
しかし、男はひとりでは死ぬ気はないらしい。
誰かを道連れにすべく、最後の力を振り絞ってライフルを構えた。
そして引き金を引く。
その銃弾はまっすぐに妹のもとへ向かったが、妹には命中しなかった。
代わりにルキナの肩に命中する。
そして男が死ぬと同時に彼女も崩れ落ちる。
「姫様! どうして?」
妹はそう尋ねるが、それは僕が聞きたいことでもあった。
ルキナは表情ひとつ歪めることなく、こう答える。
「大切な友人を救うのに理由などいるのでしょうか?」
彼女は春の陽光のような笑顔でそう言うと、そのまま気絶した。
結局、気絶した彼女をおぶって村に連れて行き、そのまま親衛隊に引き渡した。
それは彼女との別れを意味した。
事態を重く見た王都の重臣たちは、姫様を帰還させる決定を下す。
同時に姫様に怪我を負わせた責任を取らせるべく、義父と僕に罰を下そうとしたが、それは撤回される。
姫様が懸命に説得し、事件の責任をすべて自身で背負ってくれたからだ。
姫様はそれだけでなく、貧しい村の税を免除したり、村に教師を派遣してくれたり、いろいろと取りはからってくれた。
無論、姫様は王族。
以後、口をきくどころか、手紙の往復もしなかったが、それでも親衛隊を介して、一度だけ手紙が送られてきたことがあった。
その手紙には特徴的な文は一切なかった。
姫様を付け狙う派閥に目を付けられないための配慮だろう。
ただ、その手紙の中にはドングリが数個入っていた。
それは姫様がこの村にやってきたとき、僕と妹がプレゼントしたものだった。
そして手紙の文末はこう結ばれていた。
我が友ユークス――。
と。
以後、僕は騎士になるための勉強を始めた。騎士になり、親衛隊に入ればまた彼女と再会できると思ったのだ。
結局、それは叶わず、僕は徴兵され、前線に立ち、何度も復活しながら戦うことになるのだが、幼き頃に出逢った少女との思い出は、その後の人生の指針となっていた。
もしかしたら、ドラグーンに乗れるようになった今、姫様と再会できるかもしれない。
そんな淡い期待も心のどこかにあった。
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