私は、知りたかった
「シーナ様、ご婚約はいつになりますの?」
「シーナ様、王家からはどのようなお話が?」
「シーナ様、王子様ってどんなお方?」
中庭を通りかかると、綺麗どころのご令嬢が群れをなし、一人の少女を取り囲んでいるのが見えた。
群れの中心にいるのは噂の渦中にいる人物。ホワイトブロンドに翠の目をした少女、二年生のシーナだった。なるほど、とても美しく、ホワイトブロンドの髪は豊かに波打っている。
「わ、私、まだ何も知らないの。ごめんなさいね」
シーナは華やかな見た目とは裏腹に気弱そうな少女だった。「何も知らない」と、一言断るだけでも相当勇気が要ったのだろう。真っ赤な顔をしてご令嬢達にペコペコと頭を下げると、逃げるように去っていった。
(あれは大変だろうなあ……)
なんせあの噂はデタラメだ。噂を信じている生徒達から婚約や王子のことを聞かれたとしても、シーナには何も言えるはずがないのだ。
しかしシーナは『まだ』なにも知らない、と言った。肝心な部分をぼかしたまま、噂を否定しなかった。それはなぜ……?
「なるほど。あの少女がシーナですね」
ご令嬢達を眺めていたフローラの背後に、いつの間にかレイが立っていた。いつもタイミング良くフローラのもとへ現れるのだが、どういう能力をお持ちなのだろう。
「なんか、シーナ様も大変そうですね。噂のせいで囲まれてしまって」
「大変そうだと彼女を気の毒に思うのなら、フローラが名乗り出ればいい」
ぎくりとした。彼は、もっともなことを言っている。フローラが名乗り出れば、全て丸く収まるのだ。彼女達が髪を染める苦労も、噂に振り回されることも無くなるだろう。
「覚悟は決まりませんか」
「……私は、お母様みたいに『この人以外考えられない』っていう人と普通に恋愛をして、結婚したいので」
フローラはレイに向き合った。
ここのところ、毎晩寝る前に考える。
『王子』とは、いつ出会っていたのだろうか。フローラは婚約者候補として探し求められるほどのことを『王子』にしたのだろうか。なにも憶えていないフローラには分からないことばかりで。
そう、知らないことばかりなのだ。フローラがまともに話した事のある男子生徒というのもレイひとりだけ。だからこんなに毎日レイのことばかり考えてしまうのだ。
それなら他の男子とも、もっと話してみるべきではないだろうか。学園には他にも男子がいるのだから色々な人と話してみて、普通の恋愛をして、普通の結婚を……
そんなことを考えていると。
突然、レイがフローラの手を引き、耳元へと顔をよせた。
「そういうことなら、私と恋愛をしましょう」
彼は、甘く囁いた。
中庭からは、居合わせた女生徒達の悲鳴。
観衆からの痛いほどの視線。
ああ、だめだ。
レイがこんなことをするから、やっぱり彼のことしか見えなくなってしまうじゃないか────
その日から、学園はふたつの噂で沸き立った。
王家が王子とシーナの婚約を進めているという噂。そして、レイとフローラが付き合い始めたという噂だ。
「お前、あのレイと付き合い始めたんだってな。やるじゃん」
「違う!」
オンラードも、すっかり噂を信じてしまっている。
入学当初、目指していたものはなんだっただろう……確か目立ちたくなくて、地味にひっそりとやり過ごす予定だったはずだ。
それが今やどうだ。フローラが登校して着席するだけで、クラス内がザワつくほど浮きまくっているではないか。
「レイは噂を否定しないからなあ」
「もういい……私つかれた。森へ行ってくる」
今日はレイがコバルディア家へ来ていないため、あの猛勉強の予定もない。フローラは久しぶりに森へジャム用の果実を採りに向かった。
森といっても、コバルディア家の周りは『迷いの森』。行きは良くても帰りは必ず迷ってしまうため、帰宅するためには転移魔法が必須になる。ゆえに、コバルディア家の子供達は小さな頃から転移魔法を叩き込まれていたのだ。
今なら、森にはアプリコットやマンダリンがたくさん実る。迷いの森はほとんど人も来ず、ほとんどフローラの取り放題である。
ひとつ、またひとつとアプリコットを採っていると、森の妖精から声をかけられた。
「久しぶり、フローラ」
「美味しそうなアプリコットね」
「あっちにも野イチゴがあったわ」
「こんにちは。皆さんも、おひとつずつどうぞ」
妖精にアプリコットを渡すと、彼女達は嬉しそうにくるくると飛び回った。
迷いの森を歩くと、こうやって森の妖精やドリアードなどから声を掛けられる事が常だった。思えば、これも母やオンラードといった幻獣使いの家族であることが原因なのだろうか。妖精達は、昔からフローラにもとても友好的であった。
(これもレイ様に知られたら、また「普通じゃ無い」って言われそうだわ)
無意識にレイのことを考えてしまっていたフローラは、一心不乱にアプリコットを収穫した。頭の中のレイを振り払うように。
「今日はあの子がいないね」
「背の高いあの子」
「メガネをかけたあの子」
妖精達が言っているのは、レイのことだろうか。コバルディア家は森の中。レイが来ていたことを、森の妖精達は把握していたようだ。
「レイ様のことね。今日は来なかったの」
「さみしいわ」
「来なかったのね」
「今度いつ来る?」
森の妖精達はめったに来ない来客を歓迎していたようだった。
「近いうちにまた来ると思うわ」
「会いたいわ」
「なつかしい」
「賢いあの子」
……なつかしい?
「なつかしいって、どういうこと?」
「大きくなったわ」
「泣いてたあの子」
「死にそうだったあの子」
大きくなった。森で泣いていた。
そして……死にそうだった?
……レイが?
「フローラ、またね」
「さようなら」
「アプリコットをありがとう」
妖精達は、くるくると舞いながら森の中に消えていった。
フローラに大きな謎を残したまま。
翌日、昼休み、屋上にて。
フローラはレイの綺麗な横顔をじっくりと眺めた。彼はアプリコットジャムをたっぷり挟んだジャムサンドを頬張っている。ジャムはフローラのお手製だ。
クラスで浮いてしまっているフローラは、昼休みを屋上で過ごすようになっていた。隣にはいつも当たり前のようにレイが座っている。フローラも、もう驚かない。
作りたてのアプリコットジャムが上出来だったのでレイにも勧めたところ、彼は喜んで受け取った。
「とても美味しいです。ありがとうございますフローラ」
「お口に合ってよかったです。……このジャム、森に実るアプリコットで作ったんです」
「そうですか」
試しに、『森』という単語を出してみた。しかしレイには特に目立った反応は無い。フローラがやきもきしていると、彼がふっと微笑んだ。
「見過ぎですよ。何かありましたか」
森の妖精達から聞いたこと。
レイはかつて、あの迷いの森で泣いていた。死にかけていた。『立場ある』はずの、保護されるべき彼が。それはフローラが立ち入ってもいい部分なのだろうか。
「なんですかフローラ」
何があったのか、聞いていいものだろうか。逆に、自分自身に聞く覚悟はあるのだろうか。聞いてしまえば、必然的に彼の口から素性を聞き出すことになる。そうなるともう、後戻りが出来ないのでは……
「フローラ」
気がつけば、黙り込んだままレイを眺め続けていた。様子のおかしいフローラを気遣うような彼の手が、そっとフローラの肩を支える。
「本当にどうしましたか。何があったのです」
レイが、心から心配するようにフローラを覗き込むから。その瞳が、心の奥まで覗き込もうとするから────
フローラはもっと知りたくなってしまった。
いや、もうずっとずっと……知りたかったのだ。
自分のことを強く求めていて……重いものを背負っている彼のことを。
「レイ様は、森で妖精に会ったことがありますか」
フローラは、小さな『覚悟』を決めた。
その言葉を受けて、レイは僅かに息を飲む。
肩を支える彼の手には、力がこもった。
「……はい。会いました。妖精と……天使にも」