【SS】カロン、コバルディア家へ行く(コミックス三巻発売記念)
※カロン卒業式前(三部の前くらい)のお話です。
「フローラ様。わたくし……コバルディア家へお邪魔してみたいのです」
もうすぐ春を迎える今日この頃。
フローラには毎日頭を悩ませていることがあった。
カロンへの卒業祝いについてである。
「我が家へ……ですか? 面白くもなんともない普通の家なのですけれど」
「いいえ! フローラ様のお住まいであるというだけで、決して普通の家などではありません。もはや聖地にもなり得るでしょう」
「そんな大げさな」
「フローラ様だって仰っていたではありませんか、『また改めてお礼をさせてください』と。でしたらどうか」
「ええ……」
確かに先日、フローラはカロンに向かってそう言った。
やっとのことで魔力を取り戻せたフローラは、カロンに言葉では言い尽くせないほどの恩を感じていたのだ。
学園の代表として多忙な身にかかわらず、連日のように魔法練習に付き合い、イーゴの危機には力を貸してくれ……彼女のお陰でフローラの交友関係は広がり、魔力を取り戻した瞬間でさえカロンからの働きかけが大きかったように思う。
そんな彼女へ何かお礼をしたい気持ちは本当だった。
ただ、コバルディア家へ招くだけのことがお礼になどなる気はしない。
迷いの森なんて、迷ってしまうこと以外はただただ普通の森なのである。コバルディア家だって、建物自体はなんの変哲もないこじんまりとした家なのだ。お礼になんてなるだろうか。
そう思うのだけれど、カロンはずっと聖女フローラの住む迷いの森に憧れを抱いていたらしい。
「――では、今日にでも一緒にいらっしゃいますか? 本当に、期待されるような家ではないのですが」
「ああっ……! ありがとうございます、フローラ様!」
根負けしたフローラに、カロンはキラキラと目を輝かせる。
カロンがそこまで言うのなら……と、戸惑いつつ、夕飯へと招待することになったのだった。
◇ ◇ ◇
「フローラ様。どこが普通の森なのですか」
「えっ」
フローラと共に迷いの森へと降り立ったカロンの第一声は、予想だにしないものだった。
彼女は物珍しげに、森をぐるりと見渡している。
「――妖精が飛んでいるではないですか」
カロンは信じられないような顔をして、舞飛ぶ妖精達を眺めていた。
カロンの周りをクルクルと舞う妖精、木の枝で羽休めしている妖精、花びらの中に身を隠す妖精――
みんな初めて見るカロンに興味深々のようだ。
「はい、その子たちは迷いの森に住む妖精です」
「普通の森に、妖精は飛んでおりません」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
だって、ここは迷いの森なのである。迷いの森には迷いの妖精達が住んでいて、彼女達は迷い込んだ人間をさらに惑わせ、困らせ、楽しむのである。そういうものなのである。
「このような怪しい花も見たことがありません」
「それも、迷いの森ではポピュラーな花でして……」
迷いの森にはあちらこちらに『迷いの花』が咲いていて、甘い香りが侵入者を迷わせる。
確かにこの香りは独特なものかもしれないが、それもこの森では当たり前のもので……
「あと、フローラ様の足もと」
「足もと?」
「二足歩行の猫がいます」
フローラは自分の足もとへ視線を落とす。
するとそこにはいつの間にか、ベルデが得意げに立っていた。きっと初めての訪問者──カロンを歓迎してやって来たのだろう。
「あ……この子の名前はベルデと言いまして、我が家で飼っておりまして。とても賢い子なのですよ、ほらベルデ、カロン様にお辞儀して……」
「幻獣ですよね」
「……はい。カロン様を歓迎しているようです」
ベルデは美形が好きだ。レイにもすぐ懐いたが、カロンに対しても非常に愛想が良い。その小さな手にはささやかな花束を持っていて、きっとカロンのために森で用意したのだろう。可愛い奴である。
「幻獣に歓迎される経験も、普通ならば考えられませんね……」
「そ、そうかもしれないですね」
フローラは改めて反省した。
そうだった。いくらこじんまりとしているとはいえ、コバルディア家は普通ではなかったのだ。なんとなく、レイが初めて我が家へ来た時のことを思い出される。
(カロン様へのお礼に……なったのかもしれないわ)
普通じゃ無いコバルディア家を、カロンは感極まったように見上げている。
フローラはそんなカロンを部屋へ招き入れると、精一杯のおもてなしをしたのだった。
◇◇◇
「私、夢のような時間を過ごしました」
翌日、カロンは幸せそうに呟いた。
ここはマルフィール城、レイの執務室。来春から文官見習いとして城勤めを始めるカロンは、時々登城し勤務準備を始めている。そして上司との打ち合わせが終われば、こうしてフローラ達のもとへ顔を出すのである。
「コバルディア家で晩餐をご馳走になったなんて、一族の誉れです……!」
「そんな、カロン様おおげさですよ」
昨晩のコバルディア家の夕飯は、香草を効かせた煮魚と焼き野菜、あとは卵のスープ、そしてパン。
突然のことだったために普段通りの素朴なメニューとなってしまったが、カロンには好評であったようである。
「煮魚もスープも、身体中に染み渡るようなお味で……頂くのが勿体ないくらいでした」
「普通の献立なのですが」
「毎日食べたいくらいです。でしょう? レイノル殿下? 食べてみたいでしょう?」
自慢するカロンを、レイは恨みがましくジロリと睨んだ。しかしカロンはそんな視線も物ともせず、相変わらず挑発的な微笑みを浮かべる。
「お食事をいただきながら、ご両親とも楽しくお話をさせて頂きましたわ。『今後ともフローラをよろしくお願いします』なんて仰られて」
「何……!?」
カロンが、フローラの両親と食卓を囲んだ。
これはレイにとって大きな遅れだ。彼はフローラの手料理を食べたことがあっても、両親とテーブルを囲んだことは無いのである。
「……まさかカロンに先を越されるとは」
「レイ様、落ち着いてください? ただ一緒にお食事しただけですよ?」
「これが落ち着いていられるでしょうか……」
悔しげなレイを見て、ようやくカロンも満足したようだ。勝者の笑みを浮かべている。
(まあ、コバルディア家に満足していただけたのなら良かったわ)
少々、レイが気の毒ではあるけれど。
レイ相手に散々自慢をして気が済んだのか、カロンはようやく帰り支度を始めた。
「とにかく、コバルディア家だけではなく迷いの森も不思議で魅力的な場所でした」
「そうでしょう。フローラは普通と言いますが」
「まるで異世界でしたわ」
「それについては同感です」
先ほどまで言い争っていた彼等は、うんうんと頷きながらコバルディア家について語り合う。
このふたり、基本的には似ているのだ。二人がかりで『普通ではない』ことを指摘されると、フローラとしては肩身が狭い。
「妖精など初めて見ましたし、幻獣も。あのようなあたたかい晩餐も、私には初めてのことでした」
「いいですね……うらやましい」
先ほどとは打って変わって素直なカロンの感想に、レイからも素直な言葉が漏れる。
「フローラ、私も今度招待してもらえますか」
「えっ、レイ様を?」
「いつか私も、コバルディア家の晩餐にご招待されてみたいですね」
コバルディア家の食卓に、レイも。
本当に素朴な食卓なのだが、彼は本気でカロンをうらやましく思っているらしい。
「とはいっても普通過ぎるくらい普通の夕飯ですよ?」
「私にとっては、そうじゃ無い」
「お口に合うかどうかも……」
「――私も、ご両親と話をしたいと思うのです。もちろん、料理も楽しみではありますが……フローラの『婚約者』として、コバルディア家のことをもっと知りたい。そう思うのは変ですか?」
「い、いえ、そんなことはありませんが」
カロンのことは『恩人』として両親に紹介したけれど、レイは『婚約者』だ。両親と面識があるとはいえ、なかなか緊張する。
(どんな話をしようというのかしら。うちの両親を『お父さま』『お母さま』と呼ぶのかしら……? レイ様が……?)
レイと両親の会話を想像するだけで、なんとなく『婚約』している事実が生々しく感じられてしまって――フローラの頬はどんどん頬は赤くなっていった。
「ま、またいつかご招待します」
「絶対ですよ」
「はい、いずれ……」
「いつにします?」
及び腰のフローラを、レイが逃がすことはない。さっそく具体的な話を進めるレイに、カロンも自身と近いものを感じたらしい。
「フローラ様。観念したほうがよろしいですよ、この男はこうと決めたら諦めません」
レイはそのとおりと言わんばかりに、赤い顔のフローラを愛しそうに見つめる。
フローラのことならば、余すこと無く知っておきたい――そんな顔だ。
ドキドキとして緊張もするけれど、我が家を知りたいと言うレイの気持ちはくすぐったい。
(帰ったら、お父さま達に話をしてみようかしら……)
そして妖精やベルデ達と共に、精一杯のおもてなしをしよう。そう心に決めたのだった。




