ずっとそばで見守って
迷いの森は、静かな夕暮れ。
あたりは淡い夕日に染まり、妖精達の姿もまばらで、どことなくうら寂しい。
フローラ達はイーゴ、カロンと別れ、コバルディア家へと戻ることにした。大量の魔力を消費したフローラを一刻も早く休ませたいと、レイの希望によるものだ。
「今日は……治癒魔法が無事成功して安心しました」
「はい。イーゴ君は泣いてしまいましたけど……」
フローラの治癒魔法を受けたあと、イーゴは嘘のように楽になった身体を眺め、驚いていたようだった。彼はしばらく目を丸くしてぼんやりと呆けていたのだが、我に返った途端ぽろぽろと涙を流し始めたのである。
『ぼくが元気になったら、もうフローラさまは来ないでしょ……?』
そしてイーゴは泣きながらフローラにすがりついた。可愛らしいイーゴに心を鷲掴みされたフローラは、彼の小さな身体を抱きしめ続けた。彼の綺麗な涙が止まるまで──
「本っ当にかわいかった……私、また絶対会いに行きます」
「まったく……フローラは甘いですね」
レイはぴしゃりとフローラにダメ出しをする。
「あなたに会いたいというのは、きっとイーゴだけではありませんよ」
「そ、そうでしょうか」
「そうです。これからもフローラに会いたいと望む者すべてと会うつもりですか」
「それは……できるかぎりは会いたいと思っていますが」
フローラの返事を聞いて、レイは小さくため息をついた。
「フローラ、あなたはそうやって望まれるまま皆と会い、皆平等に癒し、その結果倒れたことをお忘れでは無いですよね?」
「は、はい、もちろんです」
「それでもその考えを変えることは無いと?」
レイが語気を強くする気持ちも分かった。
今回、レイにはどれだけ心配をかけ続けたか分からない。力を失ったことで卑屈になったフローラは、レイを避けて、八つ当たりをして……思い返すだけでも赤面するほど情けない。
「カロンのことは気に入りませんが、彼女の言うことには一理ありますね。このまま私の隣にいれば、またあなたは力を失うことに成りかねません」
「そんな……」
レイとカロンの言葉はもっともで、フローラの胸にグサリと突き刺さる。
けれど、もし目の前に病で悩んでいる人がいたら。怪我で苦しむ人が助けを求めていたら……?
やはりフローラは無視することなど出来ないだろう。フローラ自身だけではなく、これはレイにも容易に想像がついてしまう。
二人は束の間、目を合わせて考え込んだのだが。
やがて諦めたように目を伏せたレイは、上着から何かを取り出した。
「フローラ、これを」
レイの懐から出てきたのは、古ぼけた赤い革張りの小箱だった。それをフローラの前に差し出すと、そっと蓋を開けてみせる。
「これは……指輪、ですね?」
「はい、護身の指輪です。これを身に付けていれば、多少は身体への負担を減らしてくれるでしょう」
小箱の中には、銀の指輪が鎮座していた。彫り込まれた蔦の模様は繊細で、中央には虹色に輝く不思議な石が控えめにあしらわれている。
身につけた者の身体を護るという、貴重な指輪。決して派手では無いのだが、それはやんごとなき佇まいの指輪で……
「な、なんだか高そうな指輪ですね……?」
「そうですね。国宝です」
「国宝」
「城の宝物庫で管理していたものなのですが。これからはフローラのものです」
「国宝が……?」
フローラはフリーズした。
混乱で訳が分からないうちに、レイはその国宝を手に取ると、フローラの指へとぐいぐいはめ込んでゆく。
「ちょ、ちょっとレイ様、もっと丁重に! 国宝ですよ!」
「これからはこの指輪を肌身離さず身につけるように」
「えっ……えっ、国宝を?」
「許可は取っています。かつての王妃も、この指輪を身につけていたとのことで。問題ありません」
もうこれも決定事項のようであった。まさか国宝指定されている護身の指輪を身につける羽目になってしまうとは……けれど今回のレイの心労を思うと、「国宝の指輪なんて正直引く」とはとてもじゃないが口に出せない。
「……今日イーゴを癒すフローラを見て、あの日を思い出しました」
「あの日?」
「迷いの森で、フローラに助けられたあの時です。……私はあなたのことを天使だと思ったのですよ」
「えっ」
「しかし……フローラは天使ではなく、聖女だったのですね」
ついにレイまでもが自分のことを『聖女』と言う。けれど、もう不思議と嫌じゃない。
フローラを見つめるレイが、当時を思い出して照れたように笑うので。彼への愛しさで、胸はこの上なく締めつけられた。
(レイ様……)
彼に握られたままの手には、はめられたばかりの護身の指輪が輝いている。
フローラの身を護るためとはいえ、これほどの指輪を持ち出す許可など、そう簡単には下りなかったのではないだろうか。
彼の想いをずっしりと受け取った気がして……フローラは、神秘的な光を放つ指輪を見つめ続けた。
「フローラ。これからは些細なことでも、何か異変があればすぐ私へ伝えてください」
「それは……はい、すみませんでした」
「あなた以上に大事なものなどありませんので」
フローラの手をとったまま、レイは言い聞かせるように呟く。
彼の冷たい手はやがてフローラの指を求め、お互いを確かめるように絡まり合った。
レイはフローラのことを『甘い』と言うけれど。
彼こそ、頑固なフローラに甘過ぎる。結局、そのままのフローラを受け入れ、愛してしまうのだから。
「レイ様……これからも見守っていていただけますか」
「フローラ」
声がふるえる。気持ちを言葉にして伝えれば、自覚した想いは溢れて止まりそうになかった。
「私……魔力を失って、たくさん気付くことがありました。それでも、レイ様の隣にいたいと思うので」
突然の告白に、レイの顔が思わず緩んだ。
その笑顔はいつも、フローラの心を和ませる。
「──フローラからそんな風に言われると……何でもしてしまいそうですね」
「ずっと一緒にいてくれますか?」
「当たり前でしょう」
やっぱり、レイはフローラに甘い。
そんな甘い彼が、愛おしい。
別れ際に気持ちを伝え合えば、別れがたくて。
繋がれた手はなかなか離れそうになくて──寄り添うふたりは、幸せなキスをする。
二人が微笑み合った瞬間、おだやかな風が通り過ぎた。
それはまるで聖女の恋を応援するようで────
風にのって、迷いの森には爽やかな春の香りが舞い降りた。
【完】
最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました!!




