聖女であるというのなら
フローラは、迷いの森に住むごく普通の少女であったはずだった。
魔法学園へ入学するまでは。
それが、王子レイノルの婚約者になったと思えば、今度は大神殿からの使者カロンが現れて。
『もし宜しければ、大神殿へいらっしゃいませんか』
フローラを『聖女』と呼び、大神殿へと誘うカロンの瞳は、誰から見ても本気のように思えた。
この期に及んで「私、聖女じゃ無いのですが」とは言えないところまで、話は進んでしまっている。
校門の周りを、生徒達がグルリと囲む。
その中心にはレイとカロン、そしてフローラの三人。レイもカロンも、遠巻きに見る生徒達も皆、静かにフローラの言葉を待っている。
(……私が、決めること)
学園入学当時は、こんなことになるなんて思ってもみなかった。ただただ平凡に、普通に……と願っていたあの頃と今をくらべると、もう決して引き返すことは出来なくて。
心を決めたフローラは、カロンのまっすぐな瞳を見つめ返し、己を奮い立たせた。
「カロン様。せっかくのお話ですが、私は大神殿では暮らせません」
フローラがきっぱりと言い切ると、カロンの眉が悲しげに下がった。自身の答えが彼女を傷つけてしまうと分かってはいたが、その顔を見ればやはり胸はズキリと痛む。
「なぜ……大神殿は決して、フローラ様に辛い思いはさせません」
「たしかに魔力を失って、辛かったです。けれど、ここにはレイ様がいて下さるから」
「……フローラ」
「私が、レイ様のおそばにいたいのです」
マイペースで変わっていて、少し過保護で。
フローラがどのような姿であっても、魔力を失っても──変わらぬ愛をくれる人。それがレイだった。
この人の元を離れることは考えられない。たとえ大神殿が、どんなにやさしくてすばらしい場所であったとしても。
ところが、そんなフローラの返事を理解できないとでも言うように、カロンは尚も追いすがる。
「しかしフローラ様。この者のそばにいては、これからも辛いことばかりです。私共は、フローラ様に平穏をお約束します。ですから」
「カロン様……私、平穏が欲しいわけじゃないんですよ」
レイの婚約者になってからというもの、フローラは力を使い続けた。
学園の生徒達に、街の住民達に、さらには遠方からフローラを頼ってくる者達に。彼等は「フローラなら癒してくれる」と、そう信じてフローラの元へとやって来る。瞳に、希望の光を宿しながら。
フローラは、その望みを叶えたかった。
自分なら救える目の前の人達を、救わないなどという選択肢は、フローラに無かった。
「皆から頼られたことは、本当に嬉しくて……。自分がしてきたことには、後悔していないから」
自身の魔力と引き換えに、こうして多くの人を救うことが出来たのも、レイの隣に立っているから。
彼と出会わなければ、きっとフローラは今もウィッグを被り続け、迷いの森に身を隠し……平凡に生き続けていただろう。己の恵まれた魔力を、狭い世界に閉じ込めたまま。
「これからも私、この場所で頑張りたいんです……!」
魔力を失ってからの無力感は、その想いをますます強く膨らませた。
あの日──イーゴが発作を起こした日。
イーゴを癒すカロンの背中を見ながら、フローラは唇を噛みしめた。
出来ることなら、イーゴをこの手で癒したいのに。イーゴだけでは無い……街の人々を、自分を頼ってくる者達を助けたいのに。魔力のないフローラには、それが出来ない。
力が欲しい。
カロンが言うように、もし自分が『聖女』であるというのなら──皆を救うための力が欲しい。
(私は────!)
フローラの昂った心に、フツフツとあたたかいものが込み上げる。それはずっとからっぽだった身体の奥に、じわじわと染み込んでくるようだった。
「えっ……」
この感覚は、身体が覚えている。
なつかしいぬくもりが、身体の芯から流れるように広がってゆく。
胸から腕へ、脚へ、そして指先へ。身体中を巡る慣れ親しんだ温度は、やがてフローラのすべてを満たして──淡く白い光が、身体をやわらかく包み込んだ。
「フローラ、もしかして」
「聖女様……!」
フローラを包む光は瞬く間に勢いを増し、目も開けていられないほどの輝きを放ち──とうとう辺りを真っ白の世界へと塗り変えた。
視界は一面、白い景色に覆われる。
生徒達の姿が見えない。学園の校舎も、門扉も、すべてフローラの魔力に照らされて。かろうじて、跪いたままのカロンが目に入る。彼女はこの光景に感激の涙を流していた。
そして呆然と隣を見上げれば──目をやさしく細め、フローラを見下ろすレイの顔。
「レ、レイ様、私、魔力が、身体も……」
あまりにも思いがけない事態に、うまく言葉を紡げない。
あたふたと戸惑うフローラに満面の笑みを浮かべたレイは、言葉を待つこと無く……勢い任せに彼女を抱きしめた。
「!? レ、レイ様、痛いです!」
「すみません……嬉しくて、つい」
彼はそう謝るものの、きつく抱きしめる腕は緩みそうにない。
(……レイ様)
これまで、どれだけ心配してくれていたというのだろう。どれだけその不安を隠していたのだろう。
フローラ以上に喜ぶレイを見ていてやっと、じわじわと実感がわいてきて。
「──よかった……フローラ」
「は、はいっ……」
レイの腕の中に身体を委ねれば、身も心も次第にゆるゆると溶けてゆく。いつの間にか彼の上着が濡れていて、やっと自分が涙を流していることに気がついた。
拭っても拭っても瞳からは勝手に涙が溢れてきて仕方がない。フローラは拭うことを諦めると、レイに向かって感情を爆発させた。
「ほ、本当によかったです、よかったっ、よかった……っ」
あたたかい彼の胸に顔を埋め、フローラは泣き続ける。
暴走したフローラの魔力はその日、魔法学園を白く包み込んだのだった。




