ポーカーフェイスが崩れるとき
『周りが勘違いしてはいけませんからね。見せたほうが手っ取り早いかと思いましたので』
レイがそう言って公衆の面前でやらかしたキスには、絶大な効果があったらしい。
次の日から嘘のように、レイとカロンの噂はぴたりと止んでしまった。
恥ずかしいことこの上無かったが、目撃したであろう生徒達に『レイノル殿下はフローラを溺愛している』という印象を植え付けた。彼の思惑通りである。
(それにしてもカロン様のあの表情……気のせいかしら)
いつも落ち着いていて、感情を表に出すことの無いカロン。彼女はイーゴの発作を目の当たりにした時でさえ、顔色ひとつ変えず冷静に処置を施した。
そんなカロンが、フローラの言葉に顔を赤くしてうろたえ、レイの話題については、一瞬ではあったが不快を顕にし、昨日のキスではあの鋭い視線。
兄からの忠告がフローラの頭をよぎる。
彼女の笑顔の裏側には、やはりなにかあるのだろうか……
悶々とカロンのことを考えながら、レイの待つ校門へと歩く。
今度はキスを阻止しなければ。今日もきっと、カロンはレイの隣に立っている。また彼女に目撃されでもしたら大変だ。
『これからは迎えに行く度、キスしましょうか』
昨日、レイは真顔で『冗談』だと言っていたが、彼の冗談はこの上なく分かりにくい。ここは気を引き締め、警戒しておかねばならない──
「あっ、フローラさん! 早く来てくださいっ」
「シーナ様? どうされたのですか?」
「あの……少し様子がおかしいのです」
校門前の人だかりから、フローラを見つけたシーナが駆け寄ってくる。
生徒達に行く手を阻まれその先は見えないが、シーナの不安げな顔を見るに、何か不穏な事態のようであるらしい。
「カロン様とレイ様が……なんだか、言い合いみたいになってしまって」
「ええっ!?」
あの二人が言い合いなんて。
美しく完璧な王子レイノルと、これまた完璧な学園の女王カロン。目立つ二人の言い争いなんて、暇を持て余した生徒達にとって格好の餌食である。
(なぜ……昨日まで、あんなに和やかな関係だったのに)
フローラは人垣を掻き分け、やっとのことで校門付近が見える場所まで辿り着いた。
生徒達の間から覗き見ると、そこには腕を組んでカロンを見下ろすレイと、同じく腕を組んだままレイを睨みつけるカロンの姿があるではないか。
「殿下ともあろうお方が公衆の面前でキスなど、褒められることではありませんわね」
「なぜ、あなたにそこまで言われなければならないのです」
「お言葉ですが、このような人目の多い場所でキスされるフローラさんの気持ちをお考えになったことは?」
「いつも考えていますよ、フローラのことは」
淡々と睨み合いが続いているが、その『言い合い』の内容とは、昨日のキスの件だった。まさか、こんなところでも。
(も、もういいじゃない、キスの件を掘り返すのは……)
しかし二人の応戦は止まらない。
「本当でしょうか。フローラさんのことをお考えなら、彼女のことはもう自由にされては」
「どういう意味です?」
「彼女が魔力について思い悩んでいることはご存知ですよね?」
しばらく様子を窺っていたのだが、どうもカロンが一方的にレイへ突っかかっているような……そんな印象を受ける。
「フローラ様の、その聖なる力が公になってからというもの……多くの人から癒しを望まれ、彼女はそのたび全力を尽くされていました」
「フローラ……『様』?」
「力を失ってからもなお、癒しの力を期待され、そしてその力を使えないことに失望され。フローラ様がどれほど傷付いていらっしゃるのか、考えたことはありますか」
(カロン様……?)
なんだか、カロンの様子がおかしい。
いつも冷静なカロンが興奮気味である……というのも勿論だが、ひときわ異様に思わせるのは、フローラを普段以上に敬うその姿勢である。
「フローラ様は、見世物になるために現れたのではありません。人々に都合良く使われるためでもありません」
「カロン、あなたは一体何の話をしているのです」
「『御触れ』で縛り付け、今度は『婚約者』として縛り付け……結果としてフローラ様は、力を失ってしまった。もう、フローラ様を解放なさって下さい」
あたりはしんと静まり返った。
カロンが言っているのはつまり、王子相手に『フローラとの婚約を解消しろ』というとても無礼な話である。
冷静でポーカーフェイス。要領の良いはずだったカロン。なのに、フローラのためにここまで言ってしまうなんて。
このままではカロンの立場が危うくなってしまう。
「……フローラを手放すつもりはありませんよ」
「そうやって、あなたの我儘でフローラ様は……」
「も、もうやめて下さい!」
校門の周りを生徒達がぐるりと取囲む中フローラが二人の目の前へと飛び出すと、視線は一気に集中する。
なぜこんなにも目立つ場所で言い争うのだろう。
フローラはいつだって目立ちたくないというのに────
しかしこの場を収めることができるのは、フローラただ一人しかいない。つまり自分が飛び込むしか無いのだ。
フローラが現れたことで、睨み合っていた二人がくるりと振り返る。
「フローラ」
「フローラ様」
二人からの視線、そして生徒達の好奇の視線。
視線を受けすぎて、もう身体には穴があきそうなほど。
フローラは仕方なく口を開いた。
「カ、カロン様、落ち着いて下さい。婚約は、レイ様の我儘などではありません。私がレイ様のおそばにいたいと、そう望んだのですよ」
「……では、このまま縛られ続けるおつもりですか。もし力が戻ったとしても、フローラ様はまた搾取され続けるでしょう。そのような日々をお望みですか」
カロンはフローラの手をぎゅっと握ると、眉間に皺を寄せ悔しげに呟く。
「なにより私達の聖女様に人前で軽々とキスなど、無礼な……やはり我慢出来ません、許せない……っ」
「カロン様……?」
事情はよく分からないが、どうやら公衆の面前で披露されたキスがカロンの逆鱗に触れてしまったらしい。
(いえ、それよりも……)
彼女は、フローラのことを『聖女様』と呼んだ。
ざわつくのは観衆だけではない。レイも瞳を大きく見開き、もちろんフローラも息を飲んだ。
だって憧れのカロンが、フローラの手を取ったまま足元へと跪く。
「聖女フローラ様、私は大神殿から参りました。貴女様のしもべとして」




