愛しの人
後半、レイ視点になります。
その日も、終業の鐘が鳴った。
校門へと向かう時間……レイが迎えに来ている時間だ。フローラは鐘が鳴り終わらないうちに校門へと急いだ。
(あっ……急いだつもりだけど遅かったみたいだわ……)
少し離れた場所からでも、またもやレイの隣にカロンの姿があるのが分かる。やはり、堂々と話すカロンはうっとりするほど凛々しくて、完璧な二人が並ぶと近づきがたいオーラが漂った。
遠巻きに見る生徒達は、今日もヒソヒソと噂する。素敵だ、お似合いだと……それはフローラの耳へとしっかり届く。
フローラといえば、もう昨日のように卑屈な気持ちは消え去ったのだが、噂を背に受けながら割り込むことはなんとなく憚られて……フローラは悩んだ。
(どうしようかしら……)
「フローラ」
もたもたと悩んでいたら、フローラを見つけたレイから先に声をかけられた。
とくに隠れていたわけでもないのだが、見つかってしまったフローラは仕方なくレイとカロンの元へと歩み寄る。
「どうしたのです、あんなところで」
「あ……、タイミングを計りかねてしまいまして」
「タイミングとは?」
「噂の切れ間といいますか……私が割り込んで良いタイミングというものが」
ぶつぶつと言い訳ばかりのフローラを見下ろすレイは、おかしげにクスリと笑う。
そしていつものようにフローラの肩を支えたかと思うと……ことさら甘い視線をフローラへと送った。
(な……なにかしら……?)
この場にそぐわぬ甘い瞳に、頬を撫でるレイの指に、フローラの第六感が警鐘を鳴らす。
「あの、一体なにをするおつもりで……?」
「大丈夫ですフローラ、そのまま」
レイの言う『大丈夫』。
フローラは知っている。
それがまったく信用できないということを。
「大丈夫……? レイ様、大丈夫って……?!」
嫌な予感がして、逃げようとしたがもう遅い。
レイは流れるように、フローラの頬へとキスをした。
「!?」
一瞬の事だった。キスを終えたレイの唇は、頬からゆっくりと離れてゆく。
頬に触れるだけのキス。
それでも、観衆からはただならぬどよめきが起こった。そのどよめきの大きさが、フローラの羞恥心をさらに煽ってくる。
(な、なんてことを……!)
フローラは取り急ぎレイから距離をとると、思わずカロンに目をやった。すぐ隣にいた彼女にはバッチリ見られてしまったはずだ。
視界に映ったカロンは、思いのほか無表情でこちらを凝視している。見ようによっては、こちらを睨みつけているようにも見えて────
「……本当に、仲がよろしいのね」
フローラの視線に気がついたカロンは取り繕うようにフッと微笑むと、いつものようにポニーテールをひるがえし去っていったのだった。
****
「なぜあんなことを!」
「あんなこと、とは」
「みみみ、見られてしまったじゃないですか! 皆の前で、キ、キスなんて……」
馬車の中で、フローラが先程のことを抗議した。
顔を真っ赤にして訴える彼女の姿。その抗議さえ愛しいと思える自分はおかしいのだろうか。抗議中の彼女にこのような気持ちを抱いているなど、知られたら怒られてしまうだろうか。
「……見られた、ではありません。見せました、念のために」
「念のために?」
フローラは『わけが分からない』とでも言うように首を傾げ、怪訝な顔でレイを見上げる。その仕草も可愛らしい。
「周りが勘違いしてはいけませんからね。見せたほうが手っ取り早いかと思いましたので」
「どういうことですか」
「フローラも言っていたではないですか、私には『カロンのほうがお似合い』だと。そんな馬鹿げた話は即刻消してしまわなければ」
レイが学園までフローラを迎えに行くと、カロンは挨拶と称してやってきた。そしてフローラが校門へと現れるのを待つ間、実にさりげなく話をするのだ。
けして馴れ馴れしいわけではない。話の内容としてはフローラの近況を報告したり、学園の現在の様子について語るというもので。カロンから『フローラと親しくしている者』として話をされれば、レイもなかなか無下には出来ない。
しかしその様子を見た周りの者達から『お似合い』だと言われるようなら話は別だ。フローラに誤解を与えてしまう、そんなものは。
「これからは迎えに行く度、キスしましょうか」
「勘弁して下さい……」
「フローラ、冗談ですよ」
「レイ様の言うことは冗談なのか本気なのか分かりません」
からかいすぎてしまっただろうか。彼女は顔を手で覆い、完全に俯いてしまった。ホワイトブロンドから見え隠れする小さな耳は、ほのかに赤く火照っている。
フローラ、全部可愛らしい。
恥ずかしがるその仕草も、真っ赤な耳も、彼女を迷わせる悩みも、すべて。
「……全部可愛らしい」
「え?」
「ああ、口に出ました。すみません」
「ち、ちょっとレイ様、何を考えてらっしゃったのですか!」
案の定、抗議中のフローラからは怒られてしまった。
しかし照れながら怒る彼女の顔も、この上なく愛しいのであった。
カロン・グラニティス。
歳は十八歳。マルフィール魔法学園の三年生。
街外れの集合住宅に一人で暮らす。
正義感の強い性格で、学園では生徒達を束ねる中心的人物。座学・実技共にトップクラスの成績を収め、教師陣からの信頼も厚い。
その優秀な成績から、卒業後はマルフィール城の文官見習いとなることが内定している。
(あの者、城で働くのか)
レイは執務室にて、深くため息をついた。
カロンについて調べ上げた資料をパラリとめくりながら、一気に気が重くなる。これでは、学園卒業後もフローラの近くをカロンがうろつくことになるだろう。
(一体どういうつもりでフローラに近付いた?)
カロンがただ『面倒見の良い上級生』というだけなら、それでよかった。
しかし以前は全く接触が無かったにもかかわらず、フローラの魔力が弱くなった途端、必要以上に構い始めた不自然さ。
加えて、彼女は転移魔法を使えるほどの実力を隠し持ち、フローラの代わりとしてあのイーゴに治癒魔法を施した。結果、現在はフローラを凌ぐほどの賞賛を浴びている。
(フローラに取ってかわりたい? いや……)
最初は、レイもその可能性を疑った。
カロンの容姿──ホワイトブロンドの髪に、翠の瞳。そして、治癒魔法の使い手。それはフローラと同じ、王家の『探し人』として条件を満たすものだった。
王子の婚約者候補としても噂に名前が挙がっており、それならばカロンもその他大勢と同じかと……『王子の婚約者』になろうと躍起になっていたうちの一人かと思ったのだ。
しかし、それも違う気がした。
レイに話しかけるカロンは、どこか得意げだった。会話の節々で『こんなにもフローラを支えている』『誰よりもフローラを理解している』と、優越感を得ているような印象を抱かせた。そう、婚約者であるレイよりも。
(王家に近寄りたいという下心よりも、むしろあれは)
一瞬であったが、レイは確かに見たのだ。
フローラにキスをしたあと、目の端をかすめたカロンの顔はまるで──
向けられていたのは、射抜くような鋭い眼差し。
それは敵意を感じさせる瞳だった。




