卑屈な想いに囚われて
フローラはレイと共に馬車へと乗り込んだ。
ぱたりと馬車の扉が閉じられて、車内は外の喧騒から隔離される。
『レイ様とカロン様、お似合いだったわね』
馬車へと乗り込む直前に聞こえた言葉が、頭の中を反芻して止まらない。それが何気なく発せられた言葉だと分かっていても、弱ったフローラの心を支配するには充分だった。
(私……ここに居ていいのかしら)
『お似合い』なカロンを差し置いて、フローラはレイの隣に座っている。
いつも通り座席に隣合うレイとフローラだが、この日はわずかに離れて座った。それは本当に無意識のことだった。
しかし、レイにとってそれが不自然に写るのは当然で。
「フローラ?」
車内の静寂が恨めしい。いつもなら、この静けさが恋しいほどであったのに。
フローラの胸からは、ドクン、ドクンと嫌な音が響いてくる。もうカロンの姿は見えないのに、ここはレイと二人きりだというのに……その醜い音は消えることがない。
「フローラ、どうかしましたか」
「いえ……なにも」
「本当に?」
「……ええと、少し疲れてしまったのかもしれません」
視線を落としたままのフローラは口数も少ない。レイはじっと彼女の顔を覗き込んだ。
彼が、動揺を隠せないフローラに気づかないはずがない。誤魔化したところで彼からは見透かされている気がして、フローラはレイの瞳を直視できなかった。
「疲れたのですか」
「……魔法が、まだまだ上手くいかなくて」
「カロンから、空き時間に魔法の練習をしていると聞きましたが……まさか、また無理をしているのでは」
「カロン様から?」
フローラが校門へ着いたときには、すでにレイとカロンは並び立っていた。そして二人が和やかに談笑する姿を、この目で見てしまったのだ。
美しい王子レイの隣に、洗練された『学園の女王』カロンの姿。王子相手に怯むことなく話をするカロンは凛としていて、フローラだって思わず見蕩れた。
そんな立派過ぎる二人を前にすると、凡人に成り果てた自分が無価値のように思えてしまって。
レイとカロンが並ぶ姿を見た瞬間、フローラも思ってしまったのだ。『なんてお似合いなのだろう』と。
「……カロン様と、なにを話していらっしゃったのですか」
「フローラが毎日とても頑張っていると……それだけですよ」
「はい、私なりに頑張ってはいます。でも魔力は戻りません」
なぜ、カロンからレイへそのような報告されなければならないのだろう。魔力の回復が順調であればそれも良かったかもしれない。でも、そうで無い今はただみじめなだけ。
「焦る必要はありませんよ。疲れるのであれば、練習を控えてみては」
「だって、今の私には何も無いじゃないですか」
つい、フローラの口からは不安が飛び出した。
一度吐き出してしまえば、自虐的な言葉を留めることはできなくて。
「魔力のない私なんて、レイ様に相応しくないのでは」
「フローラ?」
「私はもうただの凡人です、カロン様みたいな立派なかたがレイ様にはお似合いなのでは──」
自身の言葉にハッとした時にはもう遅かった。思わず口を突いて出てしまった卑屈な想いは、自身の胸を遠慮なく傷付ける。
こんな事を言ってもレイを困らせるだけで、言うべきではないと分かっているのに。
ガタゴトと揺れる馬車に、再び沈黙が訪れる。
言ってしまったことは、取り消したくても戻らない。それは本心などでは無いと、訂正したくても。
「──フローラは何も分かっていないのですね」
隣から呟かれた、レイらしからぬ低い声。顔を上げれば、彼は静かにこちらを見下ろしていた。
きらりと光る眼鏡の奥で、彼の瞳は揺れている。その瞳に捕えられたフローラは、金縛りにあったかのように身動きをとることができなくて。
「あなただけが特別だと……そう言ったのに」
微動だにしないフローラへ、無遠慮に彼が触れた。レイの冷たい指先が、ゆっくりとフローラの頬へ触れ、首筋へ触れ……唇をなぞる。
「何も、分かっていない────」
頬を彼の手に包まれれば、フローラには彼を受け入れる他すべは無かった。
馬車の中、隣合うレイからはされるがまま……できることは、ただレイに唇を許すだけ。
「魔力がどうであろうと、他の者がどうあろうと、私達が婚約していることは揺るぎません」
「レ、レイさま……」
「覚えていて下さい。あなたは私の唯一なのだと」
──彼は静かに怒っていた。
『婚約者』であるフローラに。
「フローラ、絶対に離しません」
馬車の中、何度もキスが繰り返される。
そのたび触れる吐息に、あまい言葉。
名前を呼ぶ彼の低い声に、頭の奥はぼんやりと痺れて。
経験の無い強引さに戸惑いながら、フローラはレイからの執着を受け止め続けた。




