何も出来ずに
ふわりとした浮遊感とともに、カロン、フローラ、クラベルの三人は住宅街へと降り立った。
(ここは……たしかに、クラベルの家の近くだわ)
レイいわく、転移魔法は高度な魔法のはず。少なくとも魔法学園へ通うだけでは習得不可能だ。
なのに、カロンはどうだろう。二人を連れて飛び立てるほどの魔力に、目的の場所へと正確に降り立つ、この精度。これまで公にはしていなかったようだが、完璧な転移魔法ではないだろうか。
「カロン様は……転移魔法が使えるのですね?」
「ええ、あまり使うことはないのだけれど。それよりクラベル、家はどちら?」
「は、はい、こちらです!」
駆け足で案内するクラベルについて行くと、彼女の家から母親と思われる女性が飛び出した。
「ああ良かった、クラベル! フローラ様を連れてきてくれたのね」
「ええ、でも、今回はフローラさんではなくて……」
母親からの期待と、クラベルが口ごもる姿。居合わせることで、なんとも居た堪れない気持ちになる。
駆けつけた手前、フローラは悩んだ。ここまで来ておいて『私は何も出来ません』と、残酷なことを伝えてよいものか。
そんなフローラを庇うように、カロンが前へ名乗り出た。
「カロンと申します、イーゴ君のお母様。事情がありまして、今回は私が致しましょう」
「フローラ様ではなくて、あなたが?」
「はい。フローラさんほどではありませんが、治癒魔法を使えますので」
「……大丈夫なのですか?」
「ええ、全力を尽くしましょう」
母親の不審げな表情を受け流しつつ、カロンは颯爽と階段を登ってゆく。その背中からは、言い様のない頼もしささえ感じさせられた。
「イーゴ……もう安心よ、フローラさん達がお見えになったわ」
クラベルが声をかけたのちに部屋の扉を開けてみれば、いつも以上に強い薬の匂いと……ベッドに伏せるイーゴの姿があった。
苦しげに顔を歪ませる彼の脇には、真新しい吐血の跡。
「イーゴ君……!」
「……フローラさま……来てくれて、ありがとう」
(なぜ──ありがとう、なんて)
虚ろな目をしたイーゴは、フローラの姿を確認すると嬉しそうに笑った。フローラが何も出来ないことを彼は知っているはずなのに。
カロンはそんな彼のそばへ跪くと、目線を合わせながら優しく語りかけた。
「イーゴ君こんにちは、カロンと言います。今日は私がフローラさんのかわりに治癒魔法をかけるわね」
「カロンさま……?」
「フローラさんじゃなくて申し訳ないわね。けど、大丈夫。きっと今よりはずっと楽になるわ。さあ、目を閉じて」
「う、うん」
イーゴは言われるがまま、素直にその瞼を閉じる。それを見届けたカロンが彼の額へと手のひらを当てると、手のひらから白い光が漏れ出した。
(これは──)
カロンの治癒魔法を目の当たりにしたフローラは、思わず息を飲んだ。
カロンが治癒魔法を習得していることは知っていたが、実際に目にするのは初めてだったのだ。
安定した魔力に、落ち着いたあたたかい光。
婚約者候補であったシーナ達の、覚えて間もない治癒魔法とはまったく違う。これはどちらかといえば、父が使う手馴れた治癒魔法にとても似ている────
カロンの手のひらから溢れる光は徐々にその質量を増し、やがてイーゴの身体を白く包み込んだ。
苦しげに眉間を寄せていた彼の表情が、次第に緩んでゆくのが分かる。カロンの治癒魔法が効いているのだろう。
カロンは時間をかけてゆっくりと、イーゴへ治癒魔法をかけ続ける。
フローラはただ、その背中を見つめることしか出来なかった。
「カロン様、今日は本当にありがとうございました」
「そんなに頭を下げないで、クラベル。イーゴ君が落ち着いて良かったわ」
外に出ると、あたりはすっかり夕焼けに染まっていた。カロンは時間も忘れてイーゴの治癒に専念していたようだ。
カロンから念入りに治癒魔法を施されたイーゴは、そのうち穏やかな寝息を立てて眠りについた。カロンは彼がぐっすりと熟睡したことを確認してから、やっと魔法を解いたのだ。
その完璧なまでの処置に、フローラは心が揺さぶられた。
「カロン様には、なんとお礼を言っていいか分かりません……フローラさんも、来て下さって本当にありがとう」
「いえ、私はなにも……」
実際、フローラは礼を言われることなど何もしていない。後ろからカロンとイーゴの姿を見守ることしか出来なかったのだから。
(私は、なぜここに居るの)
今日ほど、自身の無力を恨めしく思ったことは無い。
目の前に苦しむイーゴがいたのに、何も出来ず、ただそこに立ち尽くすだけ。なのにイーゴから、クラベルから、礼を言われる。イーゴを救ったのはカロンなのに。
(私は、なぜ何も出来ないの)
なぜ、なぜ──
自分を責めれば責めるほど、胸が苦しい。
「フローラ」
フローラの瞳に涙が浮かびそうになった時。
ちょうどタイミングよく、目の前にレイが現れた。彼も転移魔法でやって来たようだ。
「レイ様、なぜここに」
「学園へ迎えに行けば、フローラとカロンがこちらへ向かったと聞いて……イーゴは無事なのですか」
「ええ、カロン様が処置して下さいました」
「カロンが」
目を丸くしたレイがくるりとカロンに向き直ると、彼女は軽く会釈をした。
「イーゴ君は無事ですよ。今は寝ています」
「それは良かった……ありがとうございました、カロン」
「いえ、お役に立てたなら何よりです。それではフローラさん、またね」
カロンはそう告げると、再び転移魔法で飛び立ってしまった。あっさりとした彼女の振る舞いは、先ほどまでの出来事が些細なことのようにさえ思えてしまうほどで。
「……彼女は一体何者なのですか」
カロンは……美しく、凛としていて──治癒魔法も転移魔法も使いこなす完全無欠な『魔法学園の女王』。
レイは、謎多きカロンが去った後を見つめ続ける。
フローラの胸には、小さなざわめきが芽生え始めたのだった。




