小さなライバル
レイがコバルディア家へと訪れていたその日は、兄と街へ行く予定だった。
以前はフローラ一人で気ままに街へ飛んでいたのだが、転移魔法を使えなくなった今となってはそうもいかない。そのため、兄に頼んで街へ連れて行ってもらう約束をしていたのだ。
その前に、予定外の来客……レイがやって来たのだが。
「フローラはずっと、気にかけている少年がいるのですよね」
「はい、イーゴという五歳の男の子なんですけど。とても身体が弱くて」
フローラの正体が公になってからというもの、街では大勢から癒しの力を求められた。
怪我をした者、体調を崩した者、慢性的な不調に悩まされている者……皆の症状は様々で、ほとんどが一度の治癒魔法で回復しては去ってゆく。
しかし、イーゴは別だった。彼はいわゆる虚弱体質で、非常に身体が弱かった。フローラの治癒魔法をかければしばらく元気になるのだが、数日経てば元通りに体調を崩してしまう。
そんな彼のことが気がかりで仕方なくて。治癒魔法を使えなくなってしまってからも、フローラは度々イーゴの元へと通っていた。現在の身では、何か出来るわけでもないのだが……
「フローラの力でも、彼の体質が改善されないとは」
「ええ、もしかしたらイーゴ君と出会った時にはもう既に、私の治癒力は弱まっていたのかもしれませんね……」
「なるほど……私もご一緒しても良いですか?」
「レイ様も?」
王子であるレイがいきなり訪問しては、イーゴも驚いてしまうのではないだろうか。
少し心配ではあるけれど、レイをちらりと見上げてみても、彼はもう同行するつもりのようで席を立っている。
フローラは一抹の不安を抱きながら、イーゴの元へと向かったのだった。
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兄の転移魔法に連れられて、フローラ達は住宅街にある二階建ての家へと訪れた。玄関の扉をノックをすると、奥からはバタバタと走り寄る足音がする。
「フローラさん! いつも来てくれてありがとう……って、今日はレイノル殿下とご一緒なの!?」
「こんにちはクラベルさん。レイ様もイーゴ君にぜひ会いたいと仰って……いきなりで申し訳ないけれど、大丈夫かしら」
「ええ、驚くとは思うけれど、イーゴも喜ぶんじゃないかしら。さあ、上がって」
「突然お邪魔して申し訳ありません、クラベル」
イーゴは、魔法学園の同級生・クラベルの弟だった。
ある日、クラベルから相談を受けたのだ。
『弟を、助けてほしい』──そう語るクラベルの声は切羽詰まったように震えていて。藁にもすがる思いでフローラを頼ったのだろうということが、痛いほど伝わった。それならばと、フローラは相談を受けたその日のうちにクラベルの家へと向かったのだ。
初めて会ったイーゴの病状は、とても酷いものだった。咳をする気力もなくぐったりとしていて、食事も喉を通らない。力無く窓の外を見つめていた虚ろな目は、痛いほど覚えている。
「最近、イーゴの発作も落ち着いているの。フローラさんが治癒魔法をかけてくれていたおかげだわ」
クラベルは機嫌良く二階へと案内した。
(良かった……イーゴ君の体調は良いみたい)
彼女の顔色を見れば、イーゴの体調についても推し量ることができてしまう。弟の体調で一喜一憂する、弟思いの優しい姉なのだ。
「イーゴ、フローラさんがいらっしゃったわよ」
クラベルは軽くノックしたあと、ガチャリと部屋のドアを開いた。開け放たれた部屋からは、薬草の匂いがふわりと香る。
「フローラさま!」
クラベルの背中から部屋を覗き込むと、ベッドの上で上体を起こしたイーゴがこちらを振り返った。その表情は明るく、クラベルが言っていたとおり体調も落ち着いているようである。
「イーゴ君久しぶり。良かった、起きていられるのね?」
「うん、最近すごく楽で……全部フローラさまのおかげ」
「そんなことないわ、イーゴ君がちゃんとお薬を飲んでいるからよ」
崇拝にも似たイーゴからの眼差しに、フローラは曖昧に微笑んだ。
だって、イーゴに処方されている薬はとても苦く量も多い。それをこんな小さな子供が毎日飲んでいるなんて、それだけでも褒められるべきことだ。
彼は頑張っている。それに較べ、何も出来ない自分がもどかしい──
「えらいわ、イーゴ君」
「へへ……ありがとうフローラさま!」
照れ笑いをするイーゴは、ふとフローラの背後に視線を移した。
「フローラさま、後ろの人はだれですか」
「この国の王子様、レイノル様よ。今日はイーゴ君に会いたいそうで、一緒に来て下さったの」
「……フローラさまとご結婚する人?」
「えっ……け、結婚」
「そうですよ、イーゴ君。はじめまして」
レイはイーゴに向かって穏やかに微笑んでみせたのだが、イーゴは何が気に入らなかったのか、挨拶もせず黙ったまま顔を背けてしまった。子供とはいえ失礼な態度に、姉であるクラベルは顔を青くしている。
「こ、こらイーゴ! 申し訳ありませんレイノル殿下」
「いいのですよ、いきなりお邪魔したこちらが悪いのですから」
「えーと……あっそうだ、イーゴ君! 今日はクッキーを持ってきたの」
その場をごまかすように、フローラは籠から紙袋を取り出した。
森のクルミをたくさん混ぜ込んだクッキーは、昨日のうちにフローラが焼いておいたもの。以前『お菓子を作るのが好き』と話したところ、イーゴから『フローラさまの作ったものを食べてみたい』と可愛いリクエストを貰ったため、腕を奮ったのだ。
「わあっ……! ありがとう、フローラさま!」
「どういたしまして。お口に合うかしら」
「……このクッキー、レイノル殿下も食べたの?」
イーゴからの不思議な質問に、フローラとレイは顔を見合せる。
昨日クッキーを焼いていたら、兄オンラードがひょっこり現れた。そして兄のつまみ食いによって、余っていたクッキーはきれいさっぱり無くなってしまったのだ。
つまり、レイはこのクッキーを口にしていない。
「……いいえ。私は食べていませんが」
「本当!? ぼくだけのクッキー?」
「え、ええ。そうよ」
正確に言えばオンラードもばくばく食べたのだが。この上なく喜んでいるイーゴを前に、そんなこと言えるはずがない。
「じゃあ、このクッキーを食べられるのはぼくだけだね! レイノル殿下は食べられない!」
「そ、そうね……」
レイへの対抗心を隠そうとしないイーゴ。隣ではレイが静かに微笑んでいるが、そのよそゆきの顔からは感情が読み取れない。
イーゴは本当に体調も良さそうだ。ひとまず安心したフローラはまた会う約束をして、彼の部屋を後にしたのだった。
「私にはライバルが多そうですね」
玄関を出たところで、レイがフッと微笑んだ。
「ラ、ライバルですか? イーゴ君が、ですか」
「ええ。きっとイーゴだけではないのでしょうね」
フローラが治癒魔法をかけたのは、もちろんイーゴだけでは無い。学園で、街で、数えきれないほどの人々に治癒魔法を施した。
「フローラに癒された者は、もれなくあなたの虜になっていますよ。イーゴのように」
「えっ、そんなことは」
「私がいい証拠ですよ。彼の気持ちは良く分かります」
レイも、歩くこともままならないほど身体の弱い少年だった。迷いの森で野垂れ死にそうになっていたところを、フローラの癒しの力によって助けられたのだ。
同じくフローラに助けられたイーゴの気持ちには、共感するところがあるのだろう。
「まあ、負けませんけどね。私は」
「は、はあ……」
「クッキーも、何度もいただいていますし」
「そ、そうですね」
「イーゴへのクッキーはどんなものを」
「えっ……クルミ入りの甘いクッキーですが」
「そうですか」
もしかして先ほどの『イーゴだけのクッキー』を根に持っているのだろうか。まさか、一国の王子ともあろう人がクッキーごときで、そんな。
恐る恐る彼を見上げてみれば、そこには負けず嫌いなレイの顔。
「……今度はレイ様だけのクッキーを用意しておきますから」
フローラは、どうしても苦笑いを抑えられない。
「それは、ぜひお願いします」とうれしそうに微笑むレイに、とびきり美味しいクッキーを焼こうと心に誓ったのだった。




