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小さなライバル

 レイがコバルディア家へと訪れていたその日は、兄と街へ行く予定だった。


 以前はフローラ一人で気ままに街へ飛んでいたのだが、転移魔法を使えなくなった今となってはそうもいかない。そのため、兄に頼んで街へ連れて行ってもらう約束をしていたのだ。

 その前に、予定外の来客……レイがやって来たのだが。


「フローラはずっと、気にかけている少年がいるのですよね」

「はい、イーゴという五歳の男の子なんですけど。とても身体が弱くて」


 フローラの正体が公になってからというもの、街では大勢から癒しの力を求められた。

 怪我をした者、体調を崩した者、慢性的な不調に悩まされている者……皆の症状は様々で、ほとんどが一度の治癒魔法で回復しては去ってゆく。


 しかし、イーゴは別だった。彼はいわゆる虚弱体質で、非常に身体が弱かった。フローラの治癒魔法をかければしばらく元気になるのだが、数日経てば元通りに体調を崩してしまう。


 そんな彼のことが気がかりで仕方なくて。治癒魔法を使えなくなってしまってからも、フローラは度々イーゴの元へと通っていた。現在の身では、何か出来るわけでもないのだが……


「フローラの力でも、彼の体質が改善されないとは」

「ええ、もしかしたらイーゴ君と出会った時にはもう既に、私の治癒力は弱まっていたのかもしれませんね……」

「なるほど……私もご一緒しても良いですか?」

「レイ様も?」


 王子であるレイがいきなり訪問しては、イーゴも驚いてしまうのではないだろうか。

 少し心配ではあるけれど、レイをちらりと見上げてみても、彼はもう同行するつもりのようで席を立っている。


 フローラは一抹の不安を抱きながら、イーゴの元へと向かったのだった。



****



 兄の転移魔法に連れられて、フローラ達は住宅街にある二階建ての家へと訪れた。玄関の扉をノックをすると、奥からはバタバタと走り寄る足音がする。


「フローラさん! いつも来てくれてありがとう……って、今日はレイノル殿下とご一緒なの!?」

「こんにちはクラベルさん。レイ様もイーゴ君にぜひ会いたいと仰って……いきなりで申し訳ないけれど、大丈夫かしら」

「ええ、驚くとは思うけれど、イーゴも喜ぶんじゃないかしら。さあ、上がって」

「突然お邪魔して申し訳ありません、クラベル」


 イーゴは、魔法学園の同級生・クラベルの弟だった。


 ある日、クラベルから相談を受けたのだ。

『弟を、助けてほしい』──そう語るクラベルの声は切羽詰まったように震えていて。藁にもすがる思いでフローラを頼ったのだろうということが、痛いほど伝わった。それならばと、フローラは相談を受けたその日のうちにクラベルの家へと向かったのだ。


 初めて会ったイーゴの病状は、とても酷いものだった。咳をする気力もなくぐったりとしていて、食事も喉を通らない。力無く窓の外を見つめていた虚ろな目は、痛いほど覚えている。

 

 


「最近、イーゴの発作も落ち着いているの。フローラさんが治癒魔法をかけてくれていたおかげだわ」


 クラベルは機嫌良く二階へと案内した。


 (良かった……イーゴ君の体調は良いみたい)


 彼女の顔色を見れば、イーゴの体調についても推し量ることができてしまう。弟の体調で一喜一憂する、弟思いの優しい姉なのだ。


「イーゴ、フローラさんがいらっしゃったわよ」


 クラベルは軽くノックしたあと、ガチャリと部屋のドアを開いた。開け放たれた部屋からは、薬草の匂いがふわりと香る。


「フローラさま!」


 クラベルの背中から部屋を覗き込むと、ベッドの上で上体を起こしたイーゴがこちらを振り返った。その表情は明るく、クラベルが言っていたとおり体調も落ち着いているようである。


「イーゴ君久しぶり。良かった、起きていられるのね?」

「うん、最近すごく楽で……全部フローラさまのおかげ」

「そんなことないわ、イーゴ君がちゃんとお薬を飲んでいるからよ」


 崇拝にも似たイーゴからの眼差しに、フローラは曖昧に微笑んだ。

 だって、イーゴに処方されている薬はとても苦く量も多い。それをこんな小さな子供が毎日飲んでいるなんて、それだけでも褒められるべきことだ。

 彼は頑張っている。それに較べ、何も出来ない自分がもどかしい──

 

「えらいわ、イーゴ君」

「へへ……ありがとうフローラさま!」


 照れ笑いをするイーゴは、ふとフローラの背後に視線を移した。


「フローラさま、後ろの人はだれですか」

「この国の王子様、レイノル様よ。今日はイーゴ君に会いたいそうで、一緒に来て下さったの」

「……フローラさまとご結婚する人?」

「えっ……け、結婚」

「そうですよ、イーゴ君。はじめまして」


 レイはイーゴに向かって穏やかに微笑んでみせたのだが、イーゴは何が気に入らなかったのか、挨拶もせず黙ったまま顔を背けてしまった。子供とはいえ失礼な態度に、姉であるクラベルは顔を青くしている。


「こ、こらイーゴ! 申し訳ありませんレイノル殿下」

「いいのですよ、いきなりお邪魔したこちらが悪いのですから」

「えーと……あっそうだ、イーゴ君! 今日はクッキーを持ってきたの」


 その場をごまかすように、フローラは籠から紙袋を取り出した。

 森のクルミをたくさん混ぜ込んだクッキーは、昨日のうちにフローラが焼いておいたもの。以前『お菓子を作るのが好き』と話したところ、イーゴから『フローラさまの作ったものを食べてみたい』と可愛いリクエストを貰ったため、腕を奮ったのだ。


「わあっ……! ありがとう、フローラさま!」

「どういたしまして。お口に合うかしら」

「……このクッキー、レイノル殿下も食べたの?」


 イーゴからの不思議な質問に、フローラとレイは顔を見合せる。


 昨日クッキーを焼いていたら、兄オンラードがひょっこり現れた。そして兄のつまみ食いによって、余っていたクッキーはきれいさっぱり無くなってしまったのだ。

 つまり、レイはこのクッキーを口にしていない。


「……いいえ。私は食べていませんが」

「本当!? ぼくだけのクッキー?」

「え、ええ。そうよ」


 正確に言えばオンラードもばくばく食べたのだが。この上なく喜んでいるイーゴを前に、そんなこと言えるはずがない。


「じゃあ、このクッキーを食べられるのはぼくだけだね! レイノル殿下は食べられない!」

「そ、そうね……」

 

 レイへの対抗心を隠そうとしないイーゴ。隣ではレイが静かに微笑んでいるが、そのよそゆきの顔からは感情が読み取れない。

 イーゴは本当に体調も良さそうだ。ひとまず安心したフローラはまた会う約束をして、彼の部屋を後にしたのだった。






「私にはライバルが多そうですね」


 玄関を出たところで、レイがフッと微笑んだ。


「ラ、ライバルですか? イーゴ君が、ですか」

「ええ。きっとイーゴだけではないのでしょうね」


 フローラが治癒魔法をかけたのは、もちろんイーゴだけでは無い。学園で、街で、数えきれないほどの人々に治癒魔法を施した。


「フローラに癒された者は、もれなくあなたの虜になっていますよ。イーゴのように」

「えっ、そんなことは」

「私がいい証拠ですよ。彼の気持ちは良く分かります」


 レイも、歩くこともままならないほど身体の弱い少年だった。迷いの森で野垂れ死にそうになっていたところを、フローラの癒しの力によって助けられたのだ。

 同じくフローラに助けられたイーゴの気持ちには、共感するところがあるのだろう。


「まあ、負けませんけどね。私は」

「は、はあ……」

「クッキーも、何度もいただいていますし」

「そ、そうですね」

「イーゴへのクッキーはどんなものを」

「えっ……クルミ入りの甘いクッキーですが」

「そうですか」

 

 もしかして先ほどの『イーゴだけのクッキー』を根に持っているのだろうか。まさか、一国の王子ともあろう人がクッキーごときで、そんな。


 恐る恐る彼を見上げてみれば、そこには負けず嫌いなレイの顔。


「……今度はレイ様だけのクッキーを用意しておきますから」


 フローラは、どうしても苦笑いを抑えられない。

「それは、ぜひお願いします」とうれしそうに微笑むレイに、とびきり美味しいクッキーを焼こうと心に誓ったのだった。

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