フローラの事情②
「魔法が使えなくなった?」
「はい……正確に言うと、魔力が極端に弱くなってしまった、といいますか……」
一ヶ月ほど前のある日。
コバルディア家のリビングで、フローラは倒れた。
それは突然のことだった。
その日は、普段どおり学園へ登校していた。いつも通りに講義を受けて、放課後は街に寄って頼まれていた病人を癒し。その後コバルディア家へ帰宅したばかりのところを、いきなりの目眩に襲われたのだ。
経験したことのないような不調は、三日三晩続いた。ぼんやりとする頭、立ち上がるだけでふらつく身体、食事も喉を通らない。
遠のく意識の中で、兄や両親達、そして駆けつけてくれたレイの、ひどく心配する姿がみえた。レイにずっと手を握られていたことを覚えている。オンラードが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたことも。
心配してくれている皆のためにも、はやく身体を治さなければと……襲いかかる目眩を振り払うように、フローラは自身へと治癒魔法をかけ続けた。
父にも治癒魔法を繰り返しかけてもらいながら、なんとかやり過ごすことが出来たのだが。
やがて体調も落ち着き、動けるようになり気がついた。
自身の身体から、以前のような強い魔力が失われていることに。
「レイ様、私……魔法が使えなくなってしまいました」
身体が動くようにまで回復したフローラは、やっと城や学園に通うことができると、いつものように転移魔法で飛び立とうとしたのだが。
何度やってみても、魔法を発動することが出来ないのだ。
愕然とした。
転移魔法だけでは無い。料理の際にかまどに火をつけることも、夕闇の部屋へ灯りをともすことも。以前は造作なく魔法を使えていたのに、それすらも難しい。
「魔力がとても弱くなっていて……今まで出来ていたことが出来なくなっているんです、なにも──」
途方に暮れるフローラに父は言った。
もしかすると「魔力切れを起こしているのではないか」と。
『魔法学園の聖女』と呼ばれるようになって、学園だけではなく街中の……国中の有名人となってしまったフローラ。
保健医の手伝いだけでは飽き足らず、やがて望まれるがままに街の人々にも治癒魔法を施すようになった。街の人々から感謝や期待をされれば、やはりフローラは嬉しくて。期待されればされるほど、学園で、街で──治癒魔法をかけ続ける日々は続いた。
その結果……
「父が言うには、魔力が枯渇してしまったのでは、と」
「なるほど……フローラほどの魔力の持ち主でも、あれだけ使っていれば、ということでしょうか」
フローラはまだ十代。心身共に成長途中で、本来であれば魔力も不安定な時期である。そんな時に、急激な魔力の消耗があれば何かあっても不思議ではない。
「せめて座学だけでもしっかりしなければと思って、学園に復帰してみたのですが……兄と一緒じゃないと登校も難しくて。実はここ一ヶ月の登城も、兄に同行して貰っていたのです」
コバルディア家は、迷いの森の中にあった。
徒歩では学園や城まで辿り着くことなど到底出来ない。馬車という交通手段も使えない。転移魔法が使えるかどうかというのは、コバルディア家にとって死活問題なのである。
「魔力が無いと私、本当に何も出来なくて。こんなこと……レイ様に言えませんでした」
レイに向かって洗いざらい吐き出したフローラは、心細げに俯いた。震えそうになる手をぎゅっと握りしめながら、言い出せなかった心の内を口にする。
「──失望されたくなかったんです」
「フローラに、失望……ですか?」
「はい」
「私が?」
レイはぽかんとした表情で、隣からフローラを見下ろした。
「は、はい。レイ様や……国王様や王妃様も、このような私にがっかりするのではと」
「なぜです」
(なぜ、って──)
フローラから、魔力が失われたのだ。
聖女の末裔で、魔力が強くて、レイの人生を変えるほどの癒しの力を持っていて。
それがフローラのアイデンティティであった。
そんなフローラから魔力が失われたということは、すなわちその類まれな個性が失われてしまった……そう言っても過言では無い。
彼女は今や、以前望んでいたような『平凡』な──普通の人間だ。
そんなフローラを、レイはどう思うだろうか。王や王妃は、城の者達は、国民は。
考えれば考えるほど身動きが取れなくなって、何も言い出せぬまま一ヶ月が経ってしまったのである。
「だって魔法が……癒しの力が使えない私なんて、王子の婚約者にしては普通過ぎて……相応しく無いと思いませんか」
「フローラが普通なわけ無いでしょう」
「えっ」
ぐずぐずと悩むフローラを前に、レイはバッサリと言い切った。そして彼の話は淡々と進んでゆく。
「事情は分かりました。ただ、転移魔法が使えないのは不便ですね。コバルディア家は迷いの森にありますから」
「あ、あの、レイ様」
「朝はオンラードが学園まで送るわけですね。なら放課後、城への送り迎えは私がしましょう」
「ええ!?」
レイは強引な男だった。呆然とするフローラを置いてけぼりにして、話はあらぬ方向に進んでゆく。
「放課後、門の前でフローラを待つこととしましょう。城からの帰りは私が責任を持ってコバルディア家まで送りますから、ご心配無く」
「そんな……送り迎えだなんて、レイ様にそんなことをして頂くわけには」
一国の王子に送り迎えしてもらうなど、本来なら有り得ない。けれどマイペースな彼なら有り得てしまうのだ。
「ええと……これまで通り、兄に頼んで──」
「──つらかったですね、フローラ」
突然。どう断ろうか思案するフローラが気づいた時にはもう、彼の胸に抱き寄せられていた。
オンラードが驚いてこちらを見ている、シーナだって顔を赤くして目を逸らす。けれどレイは、そんなことも厭わずに。
「レ、レイ様?」
「つらいことを、よく話してくれましたね」
フローラを包み込むレイの香りと、身体中に伝わるやさしい声。
それはあたたかな体温と共に、じわじわと胸の奥へと染み込んでゆく。
魔力が無くなってしまった自分を、レイがどう思うか……王家が、国民がどう思うか。
フローラは、ずっとそれが怖かった。
そのことばかり考えていた。けれど。
レイが受け入れてくれた今──やっと、自分のために泣くことができる。自分を憐れむことができる。
それに気付けば、溢れる涙を堪えることは到底出来なくなってしまって。
「……レイ様……わ、私、つらいです」
「そうでしょう、ずっと我慢していたのでしょう」
「どうしたらいいのか分からなくて」
つらくて、悲しくて、惨めで。
今まで当たり前にあったものが突然すっかり無くなってしまって、自分が空っぽになったようだった。これからどう生きてゆけば良いのか、頭が真っ白になるくらいに。
「ま、魔力の無い私なんて、何も……価値がありません」
「私にとってフローラは特別です。これから、何があっても、ずっと」
涙でにじむ視界に、レイのやさしい眼差しが溶けてゆく。
彼は耳元で、念を押すように「覚えておいてくださいね」と囁いた。




