フローラの事情①
二部の投稿を開始しました。
よろしくお願いいたします!
「失礼します、レイノル殿下。本日もフローラ様は無事お妃教育を終えてお帰りになったとの連絡が入っております」
「そうですか……分かりました」
用件だけ伝えると、側近の男は恭しく執務室から下がって行く。
扉が閉められたのを見届け、レイは軽くため息をついた。執務室の窓から見える庭園は、あの夏の日、フローラが降り立った庭。
あの日から季節は巡り、冬を通り過ぎ──もうすぐ春を迎えようとしている。
婚約を結んでからというもの、フローラはいつもお妃教育を受けた後、レイの執務室へとやって来ていた。
そして遠慮がちに二人きりのひとときを過ごしたあと、決まって「また来ます」と頬を染め、照れながら去ってゆく。
レイはそんな彼女が愛しくてたまらなかった。
もっとここに居れば良いのに。毎日でも来れば良いのに。そう願うのだが、フローラは「そんなわけには」と節度を守ろうとする。
そのけなげな姿勢が、更に彼女への思いを募らせた。
しかし最近、フローラは変わってしまった。
よそよそしく、まるでレイを避けるかのように。
事の始まりは一ヶ月ほど前。コバルディア家から『フローラが倒れた』との連絡が入ってからだ。
報告を受けたレイは、すぐコバルディア家へと駆けつけた。するとそこには、弱々しくベッドへ横たわるフローラがいて。
聖女の血を引き、強力な治癒力を持つ彼女が倒れるなど、初めてのことだった。本来なら、自身の不調も自ら癒せてしまえるのだから。
しかしその日は突然倒れたのだ。気を失ったように瞼を伏せたままの彼女に、皆は頭を抱えた。
医師を呼び、手を尽くし……あとは彼女の回復を信じて祈るほか無かった。
フローラほどでは無いものの、彼女の父も強い治癒力の持ち主である。そんな父親が連日治癒魔法を施し、彼女の身体自体は数日で回復したのだが。
そこからだ。
フローラの異変が始まったのは。
体調が回復してから数日後、フローラは学園への登校を再開した。
お妃教育としてマルフィール城へも無理のない程度に通っているが、あからさまにレイの執務室へ足を運ぶ頻度は落ちた。数日に一度やって来るが、訪れる彼女はどこか気もそぞろで。時折なにかを言いたげにレイを見つめても、いざ目が合うとフイと逸らす。そしてなにかと理由をつけ誤魔化しては、足早に執務室を後にするのだ。
(もう一ヶ月、この調子だ)
いくらなんでもおかしい気がする。
もしかすると、まだ体調が優れないのかもしれない。そうであれば、再度きちんと医師に見てもらう必要があるのではないか。その可能性を考え、レイはフローラやコバルディア家へと何度も受診を勧めた。しかし彼らはそれをも「必要が無い」と拒否をする。まるでレイや王家から遠ざかるかのようだ。
病をきっかけとして、突然レイを避けるようになってしまった彼女。
(もしかしたら病とは別に、なにか理由が……)
レイの疑念は日に日に増してゆくばかりだった。
歯がゆさに頭を悩ませていた、そんな時。再び執務室の扉がノックされ、側近から再び報告がなされた。
「レイノル殿下。先程学園から報告がありまして……最近、なにやらフローラ様の様子がおかしいと──」
****
マルフィール魔法学園。
昼休み、春のような陽気の屋上には爽やかな風が吹き抜ける。その度に、ホワイトブロンドの美しい髪は輝き、さらさらとなびく。
「フローラさん、このところ体調はどうですか?」
「身体は、もう全然大丈夫なんです。ご心配をおかけしてすみません、シーナ様」
気遣わしげな表情でフローラの隣に座るシーナと、その奥でシーナお手製ランチを頬張る兄オンラード。もう馴染みの光景だ。
「大丈夫なわりに、レイからは逃げまくってるけどな」
「兄様!」
「本当の事じゃねえか」
「う……」
オンラードの言うことに、反論出来ない。なんせフローラはもう一ヶ月も、レイに『あること』を伝えていなかった。
「あいつ、めちゃくちゃ心配してるぞ。いい加減言ってやれよ」
「まさかフローラさん、レイ様にはこのことをまだお伝えしてないのですか?」
「……どうしても、勇気が出なくて」
日が経つたび、城でレイに会うたび、フローラの胸は後ろめたさでズキリと傷んだ。彼はなかなか姿を見せないフローラのことを心配してくれている。もどかしい思いを抱いていることだろう。
でも、どうしても言い出すことが出来ないでいた。
王子の婚約者として告げなければならないことなのに、このままでは駄目だと頭では分かっているのに。このことを伝えてしまったらどうなるのか、フローラは怖くてたまらなかった。
レイは、どう思うだろう。王家は、国は、こんなふうになってしまった自分を一体どう思うだろう。
「こんなこと、言えなくて──」
「何が『言えない』のです?」
不意に、屋上の空気が凍りついた。
フローラの背後から、声がしたのだ。
それは魔法学園の屋上にいるはずのない人物の声。
(…………え?)
まさかこんな場所に、彼が現れるはずがない。夏には学園を去ったはずなのだから。
「フローラ。何が言えないというのです」
ただ、彼は在学当時から神出鬼没な男だった。
広大な学園からフローラを見つけ出しては、いつの間にか背後から現れる。そう、こんなふうに後ろから声をかけてきて──
「フローラ」
目の前のシーナとオンラードは顔を青くして固まっていた。フローラの背後を見上げて、まるで恐ろしいものを目の当たりにしたかのように。
名を呼ぶその静かな声はとてつもない圧力で、フローラの背中へとのしかかってくる。振り向こうにも振り向けない。怖すぎて。
なぜなら、フローラには彼を避けている自覚があったから。
「……な、なぜここに」
「こちらを向かないのですか、フローラ」
背後には、確かに『彼』がいる。
振り向けないままのフローラの隣に、彼はストンと腰を下ろした。それだけで凄まじいプレッシャーを感じるのはどうしてだろう。
「ち、ちょっと、振り向くことが出来ません」
「なぜ」
「急なことで……心の準備というものがまだ」
王子の婚約者であるフローラの様子がおかしいことは、学園から城へと報告が成されても当然である。そこまでは想定済みだった。
ただ……まさか王子である彼自ら、学園までやって来るなんて思ってもみなかったのだ。
フローラがしどろもどろに返事をすると、背中ごしの彼は小さくため息をついた。
「私は、フローラに会いに来たのに」
息混じりに、彼は呟く。
「私だけですか、あなたに会いたいと思うのは」
「そっ、そんなわけないじゃないですか!」
彼の寂しさを含んだ声に、フローラは思わず振り向いてしまった。
「あ……」
間近に見るレイの姿──黒髪が麗しいマルフィール王国王子、レイノル・マルフィール。
相変わらず美しい彼はフローラが振り向いた途端、柔らかく顔を綻ばせた。
「やっとこちらを見てくれましたね」
「す、すみません」
「ところで」
レイは完璧な笑顔を湛えたまま、フローラの手を取った。笑ってはいるものの、彼からは『今日こそは逃がさない』と強い凄みを感じさせる。
「フローラは、私に何が言えないのですか」
レイは再度、フローラに問い質した。
この手を握るレイの手は、フローラが口を割るまで離さないと物語っている。
もう、こうなってはレイから話を逸らすことは出来ない……フローラは観念して口を開いた。
「──実は私……魔法が使えなくなってしまったのです」
誤字報告、ありがとうございました(>_<)




