(おまけ)フローラの悩み
後日談です。甘々ご注意下さい……
日差しが射し込む昼下がり。
コバルディア家のリビングで、フローラは悩んでいた。
「兄様」
「なに」
ソファに腰掛ける兄オンラードは、そわそわと身支度を整えていた。これから出かける予定でもあるのだろうか……いつも髪型など気にもしないのに、今日は入念に寝癖を直している。
「兄様なら、シーナ様から何を貰いたい?」
「なんだよ急に」
「もうすぐレイ様の誕生日なの」
もうすぐ、レイの婚約者となって初めて迎える『特別な日』だった。それがレイの誕生日。
彼にも以前それとなく伝えてみた。「誕生日に、なにかプレゼントを贈りたい」と。すると「フローラからの贈り物なら、何でも嬉しいですよ」と、予想通りの返事が返ってきてしまった。
「何でもいい、って一番困る」
「何でも嬉しいんだから仕方ねえじゃん」
オンラードもそうなのだろう。シーナから貰えるものなら、なんだって。お手製ランチでも刺繍入りのハンカチでも、なんなら道端に咲いている花だって。シーナから「オンラード様のために」などと言われたら、天にも昇る気持ちになるのだろう。
「何でも、って言われてもなあ……私、財力もセンスも無いから」
彼はすでに『何でも』持っているのだ。ハンカチも、タイも、ペンも……コバルディア家では用意出来ないほどの上等なものを。
なにせ、この国でただ一人の王子なのだから。
「ああ……贈り物って難しい……お妃教育より難しい」
「大変だな、お前も」
他人事のように知らん顔をするオンラードを、フローラはじっとりと睨んだ。
「緊張するから」と、なかなか城へ寄り付かなかったフローラだったが、最近やっと城へと通い始めた。覚悟はしていたが……そう、いわゆる『お妃教育』が始まったのだ。
フローラのために用意された選りすぐりの教師陣は、皆やさしい人達だった。至らぬフローラに対して異常なまでに気が長く、やさしく……しかし、圧が凄かった。
それはレイからの指導を彷彿とさせた。
教師から「フローラ様なら出来ますわ」と言われればフローラは頑張る他無く、やり遂げれば「さすがフローラ様! すごいですわ!」と褒め殺しにかかってくる。そして間髪入れず「さあ、次のステップに参りましょう。フローラ様なら出来ますわ」と、その繰り返しである。
教師達はフローラの育て方を熟知していた。絶対、レイの息がかかっているに違いない。
学園に通い、放課後は城へ通い、夕食さえも城でマナーのレッスンとして。くたくたになってコバルディア家へ帰り、泥のように眠る。そんな日々が続いていた。今日は久々の、貴重な休日だ。
「最近、忙しすぎてレイ様とも会えていないの。毎日のように城に行ってるのに」
「そうか、それはつらいな。俺は今からシーナと会うけどな!」
じゃーな! と転移魔法を使い、浮かれたオンラードは部屋から消えた。後に残されたのはフローラとベルデだけ。
そうか……兄は愛しのシーナとデートだったか……そうかそうか。だからあんなにもそわそわと落ち着かなかったのか。フローラへも生返事で。
「……うらやましい」
思わず口をついて出てしまった妬み。
フローラだって、レイとデートをしてみたい。思えば、レイとデートらしいことなんて……夕焼けの街を歩いたくらいだろうか。
レイを選ぶということは、『普通』のお付き合いはできないということ。そんなことは、分かっていた。仕方がない。それが自分の恋愛なのだから。
でも、それはそれ。これはこれ。
寂しいものは寂しいし、会いたいものは会いたいのだ。普通のデートをする兄が心底うらやましいし、一人きりですごす貴重な休日は孤独だった。
なにも我儘をぶつけているわけでは無い。一人、胸の中で思うだけなら自由だ。バチも当たらない。
「あー、うらやましい、うらやましい……」
テーブルに突っ伏すフローラに、ふさふさとベルデが寄り添った。さりげなくフローラを気遣うベルデ。なんだ、優しいところもあるじゃないか……人間味溢れるベルデを撫でていると、ふいに玄関のベルが鳴った。
まさか。期待で胸が膨れ上がる。
バタバタと玄関へと走ると……やはりそこにはレイが立っていた。
「レイ様!」
「フローラ……久しぶりですね」
レイはフローラに歩み寄ると、いつものように優しく抱きしめた。久しぶりのそれは、少し長く。彼の腕の中でいると、みるみるうちに心が満たされてゆく。先程まで「寂しい」「兄達がうらやましい」とうじうじしていた気持ちは、どこへ行ったのだろうか。
「オンラードは」
「兄は、デートへ行きました。妹を一人置いて」
「では、フローラと二人きりですね」
レイはからかうように微笑んだ。そんな顔も嬉しくて。会いに来てくれたことが嬉しくて。
嬉しい、嬉しい、嬉しい……
フローラは、レイをぎゅっと抱きしめ返した。
いつもこうやって会うことが出来たなら。
「……可愛らしいですね。どうしたのです」
「えっ?」
「フローラから甘えられたのは初めてです」
身体中の血が顔に集まる。
フローラは急に我に返り、レイにしがみついていた手を離した。
「なぜ、離れるのですか」
「は、恥ずかしいからです。私こんな」
「嬉しかったのに」
レイが、嬉しかったのだと言った。フローラがしがみついて、甘えたことが。
「やっぱり、今日は来て正解でした」
レイはぽつりと呟いて、フローラの真っ赤な頬へと指を滑らせると……ゆっくりとやさしいキスをした。
今日が終われば、また会えない日々が始まる。でも今だけは、レイとコバルディア家で二人きり。フローラは貴重な休日を、二人で過ごせる喜びに浸ったのだった。
「私、フローラさん達がうらやましいです」
いつもの学園の屋上で。
物憂げなシーナから、そう言われて驚いた。つい昨日、彼女と兄のことを『うらやましい』と妬んだばかりだったから。
「一体どこが……? 私はシーナ様と兄の方が」
「だってフローラさんとレイ様は、ケンカなんてしないでしょう?」
フローラは耳を疑った。あのシーナ命の兄が、シーナとケンカをしたなんて。そんな馬鹿な。
そういえば、今日オンラードは屋上へ姿を見せない。昨日も、家に帰ってきたかと思ったら早々に自室へ閉じこもってしまった。デートで疲れたからかと思っていたが、まさかケンカをしていただなんて。
「あの兄がシーナ様とケンカですか? なにかの間違いでは?」
「いえ、昨日は気まずいまま別れてしまって」
シーナがぽつぽつと話し出した。
昨日オンラードとシーナは、街をぶらぶらとデートしたらしい。最初はよかった。でも歩くのが早い彼は、そのうちシーナの先を歩くようになってしまって。
どんどん先を行くオンラードの背中を見ながら歩くうちに、シーナは寂しくなってしまったということだった。
「歩くのが遅い私が悪いのですけれど。デートなのですから、オンラード様には一緒に隣を歩いて欲しいのに」
フローラは絶句した。まさかそんなことがケンカの原因になるなんて。
「それ、兄には伝えましたか?」
「いえ……こんなわがまま、鬱陶しいかと思って……。黙っていたら、オンラード様は落ち込んでしまって……そのまま」
「そんなの、わがままの内に入りませんよ。絶対に言うべきです」
むしろ兄は飛び上がってしまうのではないのだろうか。シーナから「隣を歩いて欲しい」なんて言われたら……
昼休みが終わりシーナと別れてからというもの、フローラは上の空だった。
『フローラさんとレイ様は、ケンカなんてしないでしょう?』
シーナからの言葉が、なんとなく胸に引っかかったまま。
確かに、レイとケンカ……したことはない。そもそも、ケンカにはならなかった。 レイはフローラのことなら、きっと何でも受け入れてしまうから。だから、フローラも彼を煩わせるようなことは言いたくない。『寂しい』『会いたい』などと、レイに言うことは無かったのだ。
ただ、シーナに向けた言葉……
『そんなの、わがままの内に入りませんよ。絶対に言うべきです』
フローラ自身の言葉が、ブーメランのように胸に刺さる。
『寂しい』と思うのは、『会いたい』と言うのは……わがままなのだろうか。そんな事を言うフローラを、レイは『煩わしい』などと思うだろうか……
『やっぱり、今日は来て正解でした』
昨日の、レイの呟きを思い出す。
もしかして、彼も何が正解なのか悩んでいるとしたら。フローラに出来ることは────
悩んで悩んで、悩みを拗らせた結果……フローラはレイの執務室前に立っていた。
本当は、ずっと『婚約者』として優等生でいたかった。
城でのレッスンをきちんと受け終われば、転移魔法で真っ直ぐコバルディア家へと帰るのが常だった。レイの所へ立ち寄りもせず、彼の邪魔にならぬように。それが『婚約者』として正しい姿だと。今日は初めての『寄り道』だった。
扉の前で警護する近衛兵へ断りを入れてから、震える手で執務室の扉をノックする。
「誰ですか」
返ってきたのはレイの声ではなかった。これは扉の内側を警護をしている兵の声だろうか。
扉の向こうに、レイがいる。
こうして改めて会いに来るだけで、何故かとても緊張した。扉一枚隔てるだけで、遠い人のように感じた。昨日だって会っているというのに。
「フローラです。もしご迷惑でなければ、お話が……」
名乗るやいなや、扉が開かれた。そして顔を出したのは声の主である兵では無く、部屋の主……レイその人で。
「フローラ?」
「レイ様、すみません。突然お邪魔して」
レイは驚いていた。それもそのはずだった。フローラ自ら、レイのプライベートな場所へ訪ねてくるなど初めてのことだったのだから。しかもこのような遅い時間に。
すぐさまフローラは部屋のソファへ通され、レイによって人払いがなされた。執務室にはフローラとレイ、二人きり。
「どうしました、話とは」
レイは、フローラの隣へと腰掛けた。執務を投げ出してまで心配げにフローラを見つめる彼へ、この馬鹿みたいに拗らせた想いをそのまま伝えて良いものか。
言いあぐねていると、フローラの手をレイの冷たい手が柔らかく包み込んだ。
「……嫌になりましたか」
「え?」
レイが、思いもよらぬ言葉を口にした。それは彼らしからぬ……辛さを押し殺すような、小さな声。
「フローラには、『理想』と真逆の生活を強いていると……自覚しています」
「え、え?」
「もしフローラが望むなら、妃教育は切り上げても構いません」
「ええ?」
「私の婚約者としていてくれるだけで、それで……」
どうしたというのだろうレイは。いきなり縋り出したレイの手を、フローラは慌てて握り直した。
「レイ様待って。私、嫌だなんて思っていませんよ!」
「……それでは、フローラの話とは」
驚いた。どうやらレイが思う『フローラ』とは、相当ネガティブな人間だったようだ。
レイの気持ちは、レイのもの。
フローラの気持ちも、フローラのもの。
やはり、相手の気持ちなど相手に聞いてみないと分からない。
身に染みて思い知った。伝えないと分からないことはあるのだと。
「今日、私がこちらへお邪魔したのは理由がありまして」
「はい」
「とても、馬鹿みたいな理由なんですが……」
どんどん顔が赤くなってゆく。
レイが見ている。じっと、不安げにフローラの言葉を待っている。
言いにくい。あんなに思い詰めていたレイの後で、こんな馬鹿馬鹿しいこと。許されるものだろうか……
フローラは、意を決して口を開いた。
「一度来れば、次からは転移魔法で飛んで来れると思って」
二人きりの執務室に、静寂が流れる。
レイは真顔で黙ったまま。
呆れているだろうか、単純なフローラに。もうこれで『優等生』は失格だ。
「……いつ、飛んでくるのですか」
「ええと……私のレッスンが終わり次第ですかね?」
「どのくらい」
「ご迷惑にならない程度で……時々でいいので」
「何時頃まで」
「レイ様が執務中でしたら五分で帰ります。もしお取込み中でしたら一瞬でも」
レイが話を詰めてくるから……フローラは、怒涛の如く心の内を吐きだした。もう、わがまま放題だ。分かっていても止まらなかった。
「転移魔法で来れば、誰の手も煩わせません。ほんの少し会うことが出来たなら、私の寂しさは消えるんです、ですから」
「五分ですか」
レイが、フローラの言い訳のような言葉を遮った。
「は、はい。五分だけでも……」
「私は、五分で帰せる気がしない」
フローラはレイの腕の中へと引き寄せられた。見上げれば、レイは先程までの思い詰めたような顔ではなく……穏やかな表情でこちらを見ている。
「こんな可愛らしいことを言う婚約者を、五分で手放せる男が果たして存在するのでしょうか」
「……お邪魔かと思って」
「フローラが邪魔なことなど、あるはずが無いでしょう」
レイはフローラを膝の上へと抱き上げた。こんな大胆なことをされたのは初めてだ。
「レ、レイ様!」
「私もずっと、会いたかったですよ」
フローラを見つめるレイの目はとても優しくて。
間近で目と目を合わせれば、どうしても引き寄せられる。ゆっくりと何度も唇を合わせれば、二人の気持ちが伝わる気がした。
お互いの内側を少しだけ共有できたような……そんな夜だった。
レイは、お妃教育の教師陣からフローラの様子について逐一報告を受けていたようだった。毎日頑張っていると……そして、いつも彼女がクタクタに疲れて帰ってゆくとも。
フローラに無理をさせているのが分かっていて、自分だけ会いたいからと能天気に会いに行くことは憚られたとレイは言った。
しかし昨日の休日だけは、どうしても会いたくなって……コバルディア家へ飛んでしまったとのことだった。
「レイ様への誕生日プレゼント、思い付きました」
「なんですか」
「二人でお休みを取って……デートをしませんか」
「……それは楽しみですね」
二人は目を合わせ笑い合った。
それは普通ではないデート。物々しく警護が沢山ついて、おそらく行く場所も限られる。
それでも、それがレイとフローラの『デート』なのだ。
二人はレイの誕生日に想いを馳せた。きっと素晴らしい一日になるだろうと────
日差しが射し込む昼下がり。
コバルディア家のリビングで、フローラは悩んでいた。
「兄様」
「なに」
ソファに腰掛ける兄オンラードは、そわそわと身支度を整えていた。仲直りしたオンラードとシーナは、これからデートのリベンジだ。兄はいつも以上に、入念な身だしなみのチェックを行っていた。
「兄様なら、シーナ様にどんな服を着て欲しい?」
「なんだよ急に」
「もうすぐレイ様とデートなの」
フローラの悩み。
それは幸せで胸を埋め尽くすもの。
これからもフローラは悩み続ける。
きっと、ずっとずっと、尽きること無く────
──終──
誤字報告ありがとうございました!
いつも申し訳ないです(>_<)




