魔法学園の聖女
マルフィール王国中に、王家からの知らせが広がった。
王家が探し求めていた少女が見つかった。
王子と少女の婚約が、無事に成されたと────
めでたい知らせに、国中がお祭りのように盛り上がった。
街の目抜き通りには垂れ幕が掛かり、そこかしこに色とりどりの花が飾られる。この国唯一の王子と、まだ見ぬ少女を祝福するように。
あの日、城にフローラが現れたことでマルフィール王家は歓びに沸いた。
王は機嫌良く笑い、王妃は感激の涙を浮かべ……レイはというと「フローラの気が変わらぬうちに婚約を」と、こちらが若干引いてしまうくらいにサクサクと段取りを整えた。
そして先日、なんと王家総出でコバルディア家へと挨拶に来たのである。
父と母は固まっていた。自称『普通』なコバルディア家の、自称『何の変哲もない』狭いリビングに、王と王妃、そして王子が、フローラ自らに連れられて頭を下げに来たのだから。「王子との婚約を許して下さい」と。
「我々は一度、コバルディア家へお邪魔してみたかったのです。なるほど、これは本当におとぎ話の世界だ」
王と王妃はコバルディア家の結界や妖精に興味津々であった。不思議な植物に不思議な生き物、そして不思議とあたたかい……夢のようなコバルディア家。
「レイノルが憧れ続けた気持ちが、よく分かりましたわ」
王家は皆、コバルディア家の虜になってしまった。また来たいと言い出す始末。
「いつでも来てくださいな」
最初こそ固まっていた母も、王家のまたの来訪を快く歓迎した。
「お母さんもお父さんも特殊な環境で育ったから、『普通』の生活って素晴らしいと今でも思っているけれど……やっぱり好きな人と一緒になるのが一番幸せだものね」
そう言って母はにこにこと笑い、父は涙を滲ませた。父は「辛くなったらいつでも婚約を解消しなさい」と、何度も何度もフローラに言い聞かせて……王家を凍りつかせたりしたのだった。
そうして、フローラは王子レイノルの婚約者となった。
だからといって生活そのものが変わる訳ではなく……依然として迷いの森から魔法学園へ通学する『普通』の毎日を送っている。
婚約者となって、変わったことといえば……
「あれっ……レイ様」
「おかえり、フローラ」
フローラが帰宅すると、コバルディア家の庭にレイが立っていた。
周りには森の妖精達が集まっている。なにかお喋りをしていたのだろうか、美しいレイと美しい妖精……とても絵になっていて、フローラは思わず見惚れてしまう。
レイは、最近ついに転移魔法を会得した。なんと、迷いの森にあるコバルディア家へ通うためだけに。
学園を去った後、転移魔法習得のために魔法院へと頭を下げ、みっちりと教え込んで貰っていたらしい。元々魔力量も多く努力家のレイは、一ヶ月ほどで無事に転移魔法の使い手となった。恐ろしい執念である。
彼は言った。「待つのは性に合わないことが分かりました」と……
彼は、晴れて迷いの森へ自由に行き来出来るようになったのだ。
「会いたい時に会いに来ることが出来るというのは、いいものですね」
「忙しいのに、わざわざ来ていただいてすみません。もう少し待ってもらえるなら、私もお城まで行くのに」
「フローラはなかなか城に来ないでしょう」
フローラにとって、やはり城はまだ緊張する場所だった。行くと必ず王や王妃が会いに来てくれるので、そんなに度々行っては迷惑なのでは……と気を遣ってしまうのだ。
「それに、城だとフローラと二人きりになれない」
レイは帰ってきたばかりのフローラを抱きしめると、当たり前のように軽くキスをした。
そして真っ赤な顔のフローラを見て満足げに微笑むと、更に何度もキスを繰り返す。
これも、婚約者同士となって変わったこと。
レイから『遠慮』が無くなった。
指を絡める、頬を撫でる、髪を弄ぶ、抱きしめる。そんなフルコースの最後には必ずキスがやって来る。淡々とした彼からは想像も出来ないような甘い時間が、迷いの森に流れるのだ。
長く甘いキスが終わる頃には、フローラの処理能力は限界を迎えていて。とろとろに脱力してしまうフローラを見て、レイはまた満足そうに微笑むのであった。
「そういえば、フローラ。魔法学園の噂を聞きましたが」
「また噂ですか。今度はなんですか?」
「魔法学園に、『聖女』が現れたと」
フローラは絶句した。まさか……
「フローラ。貴女のことでは?」
「そんな……」
「その姿では、『聖女』と噂されても違和感ありませんね」
レイは小さくため息をついた。
婚約者となり、一番変わったこと。
それはフローラ自身だった。
魔法学園は騒然とした。
ざわつく生徒達が道を空ける。彼女が風を切って歩く度に、髪が輝く、瞳が光る。まるでその者自身が輝きを放っているかのように。
晴れ晴れとした表情で歩くのは……
ホワイトブロンドの髪をサラサラとなびかせ、翠の瞳を輝かせた……制服姿の天使だった。
生徒達は皆、見惚れた。
そして誰もが悟った。彼女は学園を去ったレイ……王子レイノルの婚約者。彼女こそが王家の求めていた『探し人』だと。
フローラは、自分を偽ることをやめたのだ。
茶色のウィッグと眼鏡をきっぱりと取り払い、目立たないようにと手加減していた魔法も今では全力を解放している。クラスメイトに驚かれようが引かれようが、惜しみなく魔法を使うようになった。
特に怪我や病気にはフローラの無尽蔵な治癒魔法が大いに役立つ。学園の保健医に頼られるがまま、怪我人や病人にバンバンと癒しの力を使っていたら……
まさか聖女扱いをされてしまうとは。
「私、聖女じゃないんですけど」
「聖女の末裔ですけどね」
「やりすぎたでしょうか……」
「どんどん平凡からかけ離れていきますね」
「…………私もう、平凡じゃなくてもいいんです」
レイが意外そうな顔をした。
「貴女の理想は『普通』で『平凡な生活』であったのでは?」
「それだと、レイ様と一緒にいることは出来ないので」
フローラはレイの腕の中、じわじわと声が小さくなってゆく。
「私は、レイ様がいいので」
いくら普通の恋愛が素敵でも、平凡な暮らしが素晴らしくても……もう、レイ以外は考えられなかった。
フローラは、レイでなければ駄目だった。
レイがフローラだけを求めるように。
「私も、フローラがいいですよ」
すぐそこにあるのは、レイの幸せそうな瞳。その瞳には、レイの虜となってしまった自分が映っている。
これはまた、たくさんのキスが降ってきそうだ……フローラは覚悟してそっと目を閉じた。
(でも……レイ様、森だって二人きりにはなれないんですよ)
木陰から、ベルデがこっそり覗いている。
森の妖精が、ドリアードが、こちらを見ている。
リスが、キツネが、シカが……
皆が、愛し合う二人を見ている。
「フローラ、愛しています」
終わらないキスに、森の妖精が花びらを降らせる。
迷いの森は、平凡じゃない彼らの恋を受け入れる。
揺れる木々が、花の香りが、舞う妖精達が、二人の恋を祝福しているようだった。
──[完]──
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