王家の選択
入学以来、フローラが帰宅後いちばんにすることは、ウィッグと眼鏡を外すことだった。
テーブルの上に並べたウィッグと眼鏡を横目に眺めた。
ブラウンのウィッグと銀縁の眼鏡。これをつけていれば地味になる。普通の生活を送れると、入学前は信じて疑いもしなかったもの。
『あなたの『髪色』は何色なのかな?』
『茶色『も』可愛らしくてとっても似合っているわ』
先日マルフィール城で、王と王妃に正体がバレてしまった。初対面であると言うのに、王と王妃は一瞬で正体を見破ったのだ。フローラは、あんなにもウィッグと眼鏡を装着した姿が虚しいと思ったことは無い。
そもそも変装を始めたのは、王家から逃れるためだったのに。『王子の婚約者』として王家に捕えられては困ると、両親がフローラを守るためにウィッグと眼鏡を用意したのだった。
ところが王家はというと。フローラの存在を認めた今も、捕らえるどころか「良かったらまた来てね」とあっさりしたものだった。
何かを強要されることも無く、あちらからアクションを起こすことも無い。
ただただ、待っているのだ。フローラが王家に心を許すまで。
王家の人間全員にバレてしまった今、フローラは一体何のためにウィッグを被るのだろう。
世間の目から逃れるため?
それとも、まだ王家から……レイから、逃げるため……?
昼休み、フローラは屋上から中庭を見下ろした。
中庭の隅にあるベンチには、シーナと……兄オンラードの姿。
彼女が遠慮がちに取り出した包みを開けて、オンラードは顔を覆い感激している様子だ。どうやらシーナお手製のランチか何かを貰ったのだろう。シーナも嬉しそうに笑っている。
(なんか……なんか、幸せそうで……)
「羨ましいですね」
振り向くと、レイが同じように中庭を見下ろしていた。
「はい。シーナ様が笑顔になって良かったです」
「やる時はやる男ですね、オンラードは」
フローラもそう思った。オンラードを見直したのは、本人には内緒だ。
「レイ様も、人を羨ましいなどと思うんですね」
「当たり前ですよ」
むしろ人々から羨まれる立場のレイが、他人を『羨ましい』と思うことがあるなんて。なんとなく意外で、フローラは彼を少し身近に感じた。
「私はずっとあなた方コバルディア兄弟を羨ましいと思っていますよ」
「まさか!」
「本当ですよ。迷いの森で助けられたあの日からずっと、コバルディア家に憧れて止みません」
マルフィール王国王子ともあろう人が。自分達一家など、ただ魔力が高いだけのいい加減な家族だ。
「駄目ですよ、レイ様が私達相手にそんな事を言っては……」
「たとえば、あの者達を見ても羨ましいと思いますよ」
レイは中庭を指さした。男同士でふざけ合っている者。次のテストに向けてノートを確認している者。歩きながらパンをかじる者。
「普通の、平凡な毎日を送っている者達が、私は心から羨ましい」
「……レイ様?」
「私は、どうしても『普通の結婚』をすることは無理なので」
レイは中庭から視線を外さぬまま、淡々と呟く。
「フローラの理想を叶えることが出来ない」
どうしたのだろう。今日のレイは、どこか変だ。表情は変わらないのに、なんとなく後ろ向きで……
「私は、そろそろ学園を去ります」
「……え?」
思考が止まった。
周りの雑音も耳に入らない。
今、レイはなんと言った?
「元々、あなた方と接触するために無理を言って入学したので」
王族である『レイノル・マルフィール』は、オンラードの入学をきっかけに『レイ・クレシエンテ』として無理矢理、学園へ入学した。そして無事にオンラードと接触し、フローラを見つけ出す事が出来たのだ。
「本来、王族が学園に通う前例が無いのです。城の外は危険を伴いますからね……更に言うなら、私は我が国ただ一人の王子ですから、父は常にひやひやしていたことでしょう」
フローラを見つけ出すという目的を果たした今、もうこれ以上は……と王から話があったらしい。レイ自身も一度無理を通した手前、これ以上の我儘は言えなかった。
「王からの話が無くとも、そろそろ退かなければと思っていました。城関係者と繋がりのある生徒もいるようですし」
指先が冷たくなるのは、何故だろう。
もう初夏だ。ぬるい風が屋上を通り過ぎていくのに。
「そろそろって、いつですか」
「フローラ」
「『恋愛をしましょう』って言ってくれたじゃないですか。『待つ』って言ってくれたのに」
馬鹿みたいな文句を言っているのは分かっている。なのに口からぽろぽろとこぼれて止まらない。
「レイ様が学園をやめてしまったら……もう会えないじゃないですか」
「だから、会いに来てください」
レイがフローラの手をとった。
いつもひんやりと冷たい彼の手が、熱く……力強い。
「城で、いつまでも待っています。フローラが私の元へ来てくれるまで」
「城で待つのは『レイノル様』でしょう。私は、その勇気が無いと……」
「それでも待っています。ずっと、フローラだけを」
彼の優しい手が、フローラの頬を拭う。
いつの間にか彼女の頬を流れていた涙は、「寂しい、寂しい」と、全力で訴えた。
「まさかレイが王子だったとはなあ」
放課後。リビングのソファに座るのはオンラードひとり。リビングが広く感じるのは気のせいではない。当たり前のように座っていたレイは、もういない。
あの日から数日後、レイは本当に学園から去っていった。実は王子だった、と身分を明かして。
学園は大騒ぎになった。王子の婚約者になりたかったホワイトブロンドの少女達は特に。
「フローラさんは知ってたの?」
「レイノル様はなぜ学園へ通ってたの?」
レイといつも一緒にいたフローラは、クラスメイトから全く口を利いたことのない者まで、彼について根掘り葉掘り聞かれた。
フローラは「『探し人』が見つかったから、彼は学園を去った」とだけ、事実を皆に伝えた。
王子を祝う者、がっかりする者、レイが『レイノル』だったこと自体を悲しむファン……その反応は様々だ。
「レイのファンが『探し人許さねえ』って燃えてるぜ」
「怖すぎるわね。私、卒業までウィッグ取れないじゃない」
たった今帰宅したフローラは、ばさりとウィッグを取った。現れるのは、誰よりも輝く髪。レイが探し求めていた、眩い光。
「やっぱり『探し人』ってフローラだったのか」
「ええ」
「じゃあ……お前、未来の王妃様か!」
「…………」
オンラードがわざとからかっているのは分かっている。「違う!」とフローラから怒られると思っていた兄は、心配げに彼女を見つめた。
「私、分からない」
「フローラ……」
「どうしたらいいのか分からないの」
以前のように「違う!」と、意地を張れたら良かった。「普通の恋愛をして、普通の結婚をして」と、理想だけを口に出来たら。
まだ、王家に捕らえられた方が楽だった。王家に甘え、レイに甘えて、自分の気持ちも何もかも王家のせいにすることが出来たのだから。
王家はそれをしなかった。
レイがフローラをマルフィール城へ連れて行ったのは、きっと転移魔法で自ら飛んでこられるようにするため。
マルフィール城はいつでも来ていい場所なのだと、レイからの意思表示だろう。
彼らは……レイは、待っている。フローラの決断を。覚悟を。
フローラが、胸へと飛び込んで来ることを────
あと二話ほどで完結予定です。
よろしければ最後までお付き合い下さいませ
(⋆ᵕᴗᵕ⋆)✩.*˚




