レイの家
放課後のコバルディア家。
レイを連れて帰宅した兄は固まった。
いつも座っている自宅のソファに、愛しのシーナがいたからだ。
「えっ……なんで?」
なんで? なんで? と、オンラードは先程からそれしか口に出来なくなってしまった。よっぽど信じられないのだろう。喜ぶ暇もなく焦っている。
「突然お邪魔して、申し訳ありません……」
「シーナ様は私が誘ったの。屋上で、泣いていたから」
シーナが泣いていた事を伝えると、オンラードは顔を青くして彼女へ駆け寄った。
「どうして、シーナ、泣くなんて」
「オンラード様……」
「また何かされたのか」
「いえ、事情がありまして……」
二人は、二人の世界に入ってしまったようだ。これはこうやって妹が見ていて良いものなのだろうか。気まずい。
「ここはオンラードに任せて、二人きりにして差し上げたらどうです」
後ろからレイに小さく声を掛けられた。彼の提案も、もっともだ。
見つめ合うオンラードとシーナ。二人の邪魔にならぬように、フローラはレイを連れて街へと飛び立った。
「兄様は、シーナ様の笑顔を見られるでしょうか」
「問題無さそうな気はしますね」
フローラはレイと二人、街を歩いた。夕暮れ時とは違ってまだ明るい街は活気があり、また違った雰囲気だ。
兄のためにも、しばらく家へは戻れない。どこかで時間をつぶす必要がある……初めてのカフェへ入ってみる? それとも、雑貨屋をぶらぶらしてみる?
「レイ様は帰りますか? 私はまだこの辺りをうろうろしていますけど」
「時間があるようなら私の家へ来ませんか。庭のバラが見ごろなのですが」
一瞬、なにを言われたのか分からなかった。
『家』……レイの家とは……
「それってマルフィール城じゃないですか」
「そうですが」
「無理ですよ! 行きません」
「なぜ」
レイは平然とフローラを見下ろす。
なぜって……おかしいだろう。王子がいきなり、制服姿の女生徒を連れて帰ってきたら。城が騒然とするだろう。
「大丈夫です。ウィッグもメガネも付けているではないですか。バレませんよ」
「バレるかどうかの問題じゃないんですよ。私は一般人なんですよ? 場違いですよ」
「王子の友人として迎え入れましょう、さあ」
「えっ……えっ」
そうだった、レイは強引な人だった……
手を引かれるがままに歩くと、荘厳なマルフィール城がどんどん近づいてくる。心の準備も何も無いまま、フローラは城門へと足を踏み入れた。
そうして今フローラは……なんとマルフィール王の執務室にいる。
(全っ然、大丈夫じゃ無かった……)
生まれて初めて見る高級そうなソファに、レイと並んで座る。目の前にはレイの父……マルフィール王が座っていた。
「父上、こちらはフローラ。私の友人です」
「ほう、お前が身分を明かすほど信頼している『御友人』か」
「フ、フローラ・コバルディアと申します。初めまして……」
緊張し過ぎて、なにを話していいのか分からない。とりあえずレイに任せて口をつぐんではいるが、先程から、王の視線を痛いほど感じる。
実は、城門へと足を踏み入れた瞬間に『王子が少女を連れて帰ってきた』と王へ報告が成されたのだ。おかげで二人は王の執務室まで呼び出され、こうして面会に至っている。
「フローラさん、そう固くならず。いきなり呼び出して悪かったね。息子が友人を連れてくるのは初めてで驚いたのでね」
「いえ……」
「フローラは、バラを見に来ただけです。まさか王と面会する事になるとは思っても無かったので、緊張しているのですよ」
レイが淡々と告げると、それもそうだろう、と王は声を上げて笑った。ずいぶんと機嫌が良いみたいだ。
「フローラさんは、綺麗な翠の瞳をしていますね」
「……ありがとうございます」
「して、あなたの『髪』は何色なのかな?」
ぎくりとした。
王は、真っ直ぐにフローラを見ている。
それはすべてを見透かすような目。誤魔化そうにも息が止まりそうなほどの緊張。この王を前にして嘘はつけないと……フローラが口を開こうとした時。
「ご覧の通り、『茶色』ですよ。父上」
「レイノル……そうか、まだ『茶色』か」
レイがフローラを遮った。
「フローラさん、せっかくなので城を楽しんで。またいつでも遊びに来てくださいね」
マルフィール王は、フローラに向かって慈しみ深い笑みを浮かべた。まるで身内に向ける笑顔のように。
「バレたじゃないですか!」
「そうですね。バレましたね」
フローラはレイに城の庭を案内してもらった。それはそれは見事だった。大輪のバラが咲き誇り、生垣は芸術品のように美しく刈り込まれている。
「バレましたが、大丈夫ですよ」
「もう、レイ様の『大丈夫』はなにも信用出来ません……」
よりにもよってマルフィール王に、一瞬でバレてしまった。王の前ではウィッグと眼鏡など無力だと、フローラは身をもって痛感した。
どう見ても、フローラのことを『探し人』だと分かっていたようだった。そうでなければ、ただの一般人である少女に王が「またいつでも遊びにおいで」などと言ったりしないだろう。
釈然としないフローラの背後から、ジャリ……とテラスを踏みしめる音が聞こえた。
フローラの背後に誰かを見つけたレイが、小さくため息をつく。
「まあっ……レイノル、その方は?」
「……母上」
テラスを埋め尽くす白バラ。その中に現れたのは、スラリとした長身の、儚げな女性。レイに『母上』と呼ばれた人物。つまり……
「もしかして、王妃様……」
「はい、私の母です」
「レイノルが女の子を連れてくる日が来るなんて……」
「は、初めまして、フローラ・コバルディアと申します」
なんてことだ。王のみならず、王妃にまで遭遇してしまうとは。
感激したように瞳を潤ませた王妃は、フローラの側までやって来た。
「なんて美しいグリーンアイなのでしょう……でもなぜ、髪の色が茶色なの? あなたの髪は、ホワイトブロンドで……」
「母上、フローラの髪は『茶色』です」
「だって、レイノルが連れてくるなんて『例の少女』しかありえないから……でも茶色も可愛らしくてとっても似合っているわ」
やはり王妃にもフローラの正体はバレている。王妃はフローラの手をぎゅっと握りしめた。
「フローラさん、ありがとう。あの日、レイノルを助けてくれて」
「えっ……」
「今、城が平和なのも貴女のお陰よ。ずっとお礼を申し上げたかったの」
王妃は慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。
フローラは何も言えなかった。バレているとはいえ、今はまだウィッグを被り正体を偽っている。それも王族に向かって。それについて、王も王妃も、レイも……誰もフローラを責めたりしない。
(私は……)
自分が、いかに王家に待ち望まれていたかが伝わってくる。
「……私も父も母も、髪色などはどうでも良いのです。フローラがフローラであるのなら」
それは、いつかレイから貰った言葉だった。
どのようなフローラであっても、全肯定する言葉。
「フローラさん。また御一緒にお茶しましょうね」
小鳥がさえずる庭園。
微笑む王妃に、微笑むレイ。
マルフィール城は、制服姿のフローラをまるごと受け入れたのだった。




