兄の恋
昼休み、いつもの屋上。
フローラがランチを摂っていると、中庭にホワイトブロンド数人の集団が見えた。これだけ集まると、なんとも壮観である。
真ん中にはシーナ。ベンチに座っていたシーナを、少女達が取り囲んでいる状態だ。
(……? なんか様子がおかしいわ)
この間のように、ご令嬢達に囲まれて噂についてチヤホヤ……という雰囲気では無い。
そのうち一人の少女が、シーナの肩をドンと押した。これは穏やかではない。フローラが中庭へ向かおうと立ち上がった時。
ホワイトブロンド集団の元へと走り寄る、金色の頭が現れた。フローラは目を疑った。
あれは……我が兄オンラードだ。
兄が少女達に向かって何か捲し立てている。
怯んだ少女達は、何か捨て台詞を吐いたあと散り散りに去っていった。
残されたのは兄と、ベンチに座って呆然としていたシーナ。
我に返った彼女は、兄に向かってぺこぺこと何度も何度も頭を下げて。顔を赤くした兄は意を決してシーナの隣へ座り、何やら話しかけている。
(み……見ちゃった……)
「オンラードも、なかなかやりますね」
いつの間にか、隣にはレイが座っていた。フローラが中庭で起こった出来事へ釘付けになっている間に、レイも一部始終を観察していたようだった。
「案外、彼は本気なのかもしれませんね」
「まさか……シーナ様には傷を治してもらっただけですよ?」
「フローラ。恋とは理屈じゃないのですよ」
理屈っぽいこの人に、『理屈じゃない』と言われてしまった。
ただ、たしかにあのような兄の姿は初めて見る。単純で素直なオンラードは、恋に対しても素直だったということか……
「あの噂は、嘘かもしれない」
「兄様、あの噂って?」
「シーナと王子が婚約する噂だよ」
コバルディア家のソファには、いつものようにオンラードとレイが腰かけている。兄は嘘かもしれない噂に、物憂げな表情を浮かべた。
「もっと喜べばいいじゃない。婚約者候補じゃ無かったんでしょ? なんでそんなに落ち込んでるのよ」
「シーナが『嘘つき』呼ばわりされてたんだぞ。許せねえ」
なるほど、昼休みの事件はそういうことだったのか。
オンラードによると、あの噂はデタラメだと詰め寄る女生徒がいたらしい。
その少女も勿論ホワイトブロンドで、王子の婚約者になりたいという者だった。少女がたまたま城の関係者に話を聞いたら、王子とシーナの婚約話など聞いたことが無いと言ったという。
(ああ……シーナ様……)
それで同じようなホワイトブロンドの者達に囲まれて、糾弾されていたというのか。
(反論、出来なかったんだろうな)
そもそもが本当にデタラメな噂だった上に、気弱そうな彼女だから。ずっと黙って耐えていたのだろう。そこに、颯爽とオンラードが現れた。シーナが何度も頭を下げていたのは、オンラードへ礼を言っていたのだろう。
「兄様、格好良かったわよ」
「なんだ、見てたのか」
……『噂は嘘』ということに喜ぶよりも、シーナが『嘘つき』になる方が悔しいなんて。
これはレイの言っていた通り、本気かもしれない。
「ああ……シーナの笑った顔が見たいなあ……」
オンラードは天を仰いだ。
恋する兄の顔は、なんだか別の人のように見えた。
翌日から、シーナは見事に孤立した。
あんなにシーナの事を褒めそやしていた令嬢達も、今やポツンと座るシーナを遠巻きに眺めるだけ。
一人きりで陰口を浴び続けるシーナが、フローラはもどかしかった。フローラですらこう思うのだから、オンラードは相当だろう。
「オンラードの気持ちは分かりますよ」
屋上でレイは昼食を食べ終え、食後のコーヒーを一口飲んだ。
「私もフローラが『大したことない』なんて陰口を言われることは我慢なりませんでした」
「そ、そうですか……」
そういえば、座学試験が最下位で陰口を叩かれた時、レイはフローラ以上にムキになっていた。そのお陰で、その後の試験は一位が取れているわけだが。
「……ありがとうございます」
「いきなりなんですか、フローラ」
「今思えば、レイ様が私の代わりに腹を立ててくれたから、私は気に病まず済んだのかもしれません」
フローラは、ずっと言いたかった礼を伝えた。
恥ずかしいのでレイの顔は見ないでおこうと思ったのだが、彼がそれを許さない。隣から、すごく見られているのが分かるから。ちら、とレイを横目で覗くと、彼はフローラに身体を向け優しく微笑んでいた。
「あなたに感謝されるのは、いいものですね」
「いつも、レイ様には感謝していますよ」
「では、これからもこうやって言葉にして下さいますか」
レイを見てしまえば彼の瞳に囚われてしまう。目を逸らせなくなってしまう。
二人きり見つめ合い、彼の手がフローラの頬を撫でようとした時。
ガチャリと、屋上の扉が開いた。
扉の向こうには……なんとシーナが立っていた。ランチを抱えた彼女はこちらに気づくと、フローラとバッチリ目が合った。
「も、申し訳ありません! お邪魔しました!」
シーナは顔を真っ赤にして、立ち去ろうとした。どこからどう見ても、フローラとレイが『いい雰囲気』だったからだ。
「待って! シーナ様待って! 誤解です!」
「誤解ではありませんけどね」
「レイ様は黙って! シーナ様は待って!」
何度も呼び止めて、やっとシーナはこちらを振り向いてくれた。依然として顔は真っ赤だ。
「せっかく屋上にいらっしゃったのですから……シーナ様、もし良かったら御一緒しませんか」
「でも……お邪魔ですから」
「そんなことありません! ねえ? レイ様」
「………………はい」
フローラは半ば無理矢理、シーナを隣へと誘った。きっと彼女はどこにも居場所がなくて、屋上へと足を運んでみたのだろう。教室で浮きまくっているフローラと同じように。
シーナは遠慮がちにフローラの隣へと腰掛けた。
(わあ……本当に、なんてかわいい)
ふわふわとした髪が光に透けて、綿菓子のよう。気弱げな顔も、小動物のようで……
間近で見た彼女は、庇護欲を掻き立てられるような美少女だった。兄はこの方が。
「シーナ様。この間は、兄の怪我を治して下さってありがとうございました」
「オンラード様のことですね? 逆に、私がぶつかったせいで怪我をさせてしまって……」
申し訳ありませんでした、とシーナから謝られてしまった。やはりどうしても、自ら嘘の噂を流して他を出し抜こうとするような少女では無いように見える。
「オンラード様はこの間も、責められて当然の私を助けてくださったのです。なんとお礼を言っていいか……」
「シーナ様が責められて当然とは……?」
伏し目がちなシーナは、ぽつりぽつりと口を開いた。
『王子とシーナの婚約話』は、全くの嘘であったこと。商売をしている親が上流階級との繋がりを持ちたくて、さもシーナが有力候補かのように噂を流したこと。それらを全て、親から口止めされていたこと……
『おおよそ裏で親が糸を引いているのでしょう』
以前、レイが推測していた通りであった。
堰を切ったように話し始めたシーナの目からは、こらえていた涙が溢れ出す。
「もう、嫌なんです。注目を浴びるのも、髪を染め続けるのも、嘘をつくのも、誤魔化すのも……全部全部、嫌で……」
「シーナ様……」
彼女はぽろぽろと流れる涙を拭うことなく、泣き続けた。
フローラはシーナの背中にそっと手を添えてみたが、彼女が泣き止む気配は一向にない。
……ああ、今ここにオンラードがいたのなら。兄なら、シーナをどうしただろう。
「ええと……兄は……兄は……」
「……オンラード様が、どうされたのですか?」
いきなり兄の名前を出したことで、シーナの涙が弱まった。
「兄は、シーナ様を心配していました」
「オンラード様が……」
「シーナ様の笑顔が見たいと言っていたんです」
「……わ、私の?」
瞬間、シーナの頬がさあっと赤く染まった。
(あれっ……これはもしかして)
「もし都合がよろしければ、放課後うちへ来ませんか?」
「コバルディア家へ、ですか?!」
「兄はシーナ様の、一番の味方だと思うんですよね……心配しているので、会ってやってくれませんか」
シーナは赤い顔のまま固まってしまった。
彼女の涙は、いつの間にか止まっていた。




