迷いの森の天使①
レイ視点のお話です。
「……はい。会いました。妖精と……天使にも」
あの日、私は不思議な兄妹に出会った。
迷いの森の中、瀕死状態の私を見かねて妖精達が呼んできてくれたのは……
沢山の妖精を侍らせた少年と……天使だった。
レイノル・マルフィール。
この国の王子として生を受けた私は、生まれつき身体がとても弱かった。
息が止まりそうになるまで咳込む朝。少し歩くだけで起こる発作。高熱で眠れないほど苦しい夜。己の身体に振り回され、日常生活を送ることもままならない毎日。
王子がこのような身体では、世継ぎとしてとても務まるはずが無い。私を産んでから子が産めなくなった母に代わり、早く側室を、早く第二の王子を。
それが当時、周りの口癖であった。
しかし父であるマルフィール王は、それをしなかった。ただ、母を愛し、息子である私を愛していた父は、決して周囲になびかなかった。
かたくなである王、子の産めない妃、身体の弱い私。そんな王家に不満を抱いた誰かが、ある日事件を起こした。
十二歳になった私は、皆が寝静まった深夜、突然何者かに拐われた。
力の無い私は、あっという間に誰かに担がれ、視界が暗転し……
目が覚めると、そこは森の中だった。
木の根元へ無造作に転がされていた私は、薄い部屋着に裸足。とてもじゃないが、屋外に耐えられる服装では無かった。
寒い。足が痛い。胸が苦しい。
木に印をつけ、迷わぬように気をつけながら……しばらくさまよい歩いたが、どうやら私が置いていかれたのは迷いの森のようだった。
あちこちに咲くのは図鑑で見た『迷いの花』。周りを飛んでいるのは、人を迷わせて楽しむ『森の妖精』。
身体の弱い私は、常人でも抜け出せることの無い森に置いていかれたのだ。
半日ほど歩き回っただけで、私の脆弱な身体はもう限界を迎えようとしていた。
木に寄りかかるように座った私の目からは、涙がこぼれた。それは苦しさからか、絶望からか。それとも……死への安堵から来た涙だったのか。
私がそのまま意識を手放しかけた時、遠くから足音が聞こえた。次第に近づくその足音は二人分。こんな場所へ、一体誰が。
渾身の力を込めて目蓋を開くと……
目の前に立っていたのは、なんと子供だった。
同じ歳くらいの金髪の少年と、隣に立つのは……世にも美しい、天使のような少女。
少年の周りには妖精が飛び回り、足元に森のリスがしがみついている。
天使は眩いホワイトブロンドの髪を風になびかせ、その瞳は森の泉を映したかのような翠。手には赤い林檎が沢山入ったカゴを持っていた。
二人は、泥だらけで死にかけている私を見て、とても驚いていた。
もう驚く気力も残っていない私は、現実感の無い彼らの姿をただぼんやりと眺めた。
「この子、死にそう」
「私たちが、迷わせたから」
「死んでしまう、どうしよう」
妖精達は、しきりに二人の周りを飛び回る。
そうか、もうすぐ私は死ぬのだ。妖精達は、『お迎え』を連れてきたのだと……
「やっと楽になれる……ありがとう」
私は、天使達に向かって礼を告げた。
人生の最後にこんな不思議な者達に出会えるなんて。
「ええ、今すぐ楽にしてあげる。大丈夫よ」
天使はふわりと駆け寄ると、ためらい無く泥だらけの私の身体を抱きしめた。天使からは、香ばしく甘い焼菓子の香りがして、朦朧とする意識の中で「天使も菓子を食べるのだろうか」と思ったことを覚えている。
温かい。やさしい。甘い。
人とは、死ぬ前にこのような幸福を味わうのか……
ただただ彼女の柔らかさに身を委ねていると、それは起こった。
彼女の中から、膨大な光が溢れた。
眩しくて、目も開けていられないほどの光。
それは森を光で包み込んでしまうのではないかと思うくらい……
光の中、真っ白な空間で、見えるのは美しい天使の姿だけ。
「あなたが、元気になりますように」
彼女が私の耳元で呟く。
すると溢れていた桁外れな光が、一斉に私の中へと流れ込んできた。
その魔力は温かく、やさしく……やはり甘い。
私を落ち着かせるように微笑む天使に、私の目は釘付けになっていた。
光が私の胸へと吸収されると共に、徐々に森の姿が現れ……白い世界は消えてゆく。
最後に一筋の光が私に落ちると、あたりは本来の森の姿を取り戻した。
「気分はどう?」
天使は、先程までの出来事がたわいないものかのように、あっけらかんと問いかけた。
そういえば……、息ができる。胸の痛みが消えている。足も動く。手も……
「信じられないほど、いい気分だ」
私は、また泣いていた。
もう自分は死を待つだけかと思っていた。でも、こうして生きている。
光を呑み込んだ私の身体は、以前よりも生命力に溢れていて。息が、こんなに楽だなんて。頭の痛みが、胸の痛みが無くなるなんて……
「よかった。元気になった」
彼女は私の様子に安心して、輝くような笑顔を作った。
ああ……胸が痛い。先程、彼女の力で胸の痛みは無くなったはずなのに。
「あっ。今気付いたけど、あなた凄く泥だらけ!」
「これは……ずっと森をさまよっていて」
私を抱きしめたせいで、天使の着ていたワンピースも泥にまみれてしまっていた。申し訳なさで謝ろうとした時。
「兄様の服を貸してあげたら。サイズは同じくらいでしょ」
「じゃあ一度うちに帰るか」
二人は勝手に話をまとめると、さっさと私の手を取った。
何事かと戸惑っているうちに、今度は少年が白く光り出し……三人まとめて宙に浮いたではないか。
「な、なに」
「家に帰って着替えを貸してあげる。眩しいから目をつぶっていて」
天使に言われるがまま、私は無我夢中で目をつぶった。初めての浮遊感とともに、目蓋の裏には強い光を感じる。
(なんだこれは……なんなんだ、この二人は)
目蓋に感じる光が収まったかと思うと、ふわりと地面に降り立った。
そろりと目を開けると……
そこは……おとぎ話の世界だった。
小ぢんまりとした二階建ての家は、一見普通の家だった。
でも違う。庭には迷いの花が咲きほこり、妖精が飛び交う。金の小鳥がさえずる木々には、見たことも無い実がなり、森の妖精達はその実を食べて……
この二人は、なんと迷いの森に住んでいた。大人さえ入ったら出ることは出来ないと、滅多なことでは近寄らないこの森に。
「こっちよ」
案内されて室内へと入ると、そこに広がるのはほわりとした焼菓子の香り。彼女から香っている匂いの正体だ。
「あのシャツなら合うんじゃない?」
「じゃあ、このズボンと……」
奥でごそごそとしていた二人は、私に貸してくれる着替えを選んでやって来た。私がそれに着替えている間に、天使はキッチンで湯を沸かし、カップを用意し……
「よかったら、どうぞ」
テーブルの上には温かいお茶と、りんごのクッキーが用意された。ちょうど三人分。
「兄様。私たちもおやつにしよう」
「ああ。このクッキーは美味いぞ。こいつが焼いたんだ」
この日三人で食べたクッキーの味を、私は一生忘れない。空腹の胃に優しい甘さが沁み込んで、湯気の立つお茶が疲れきった私の心を溶かして。
「美味しい……とても」
「でしょう! たくさん食べてね」
天使の笑顔。少年とのたわいない話。鳥のさえずり。三人の笑い声。そして……嘘のように楽になった身体。
十二年間生きてきて初めてだった。こんな穏やかで幸せな時間を過ごしたのは……
私は、少年の転移魔法で街まで送ってもらうとそのまま別れた。
「またな!」
少年は八重歯をちらりと輝かせ、軽く手を振ると再び魔法で去っていった。いとも簡単に。
「……また、彼らに会いたい」
けれど。
夢のような時間に浸っていた私は、忘れていたのだ。
彼らの名を聞くことも、
自分の名を伝えることも……
そして、次の約束も。
誤字王です……
今回もどなたでしょうか、親切な方が報告して下さいました。
いつも誤字報告ありがとうございます(>_<;)




