古都シオン ~探索編~ その10
「なっ……」
絶句するカイを見て、男は再び両手を広げました。それはまるで、今にもその剣で自分の胸を貫いてくれといっているかのようでした。
「カイ……」
ティアラの心配そうな声が、内ポケットから聞こえてきました。シャルロッテも内ポケットで、身を硬くしているのが伝わってきます。
ろうそくの炎がゆらめきました。ジッジジッと、かすかに音を立てて炎が燃えています。ろうが熱に溶かされて、とろりと垂れていきました。ろうそくの明かりが、カイの剣に影を作ります。その影がわずかに動きました。男はそっと目を閉じ、わずかにうなずきました。
「……だめだ、殺すなんて……おれにはできない」
カイの言葉に、男はゆっくりと目を開きました。赤いひとみには、燃え尽きたあとの灰のような、さびしさに満ちた光がただよっていました。カイは男の視線から逃れるかのように、顔をそむけて首をふりました。
「……おれはロドルフォに命じられて、今までいろんな国でスパイの仕事をしてきた。その途中で、人を傷つけたことだってある。……だが、おれは人を殺すことだけはしなかった。すまないが、おれにはできない。あんたを殺すことなんてできない。……すまない」
カイの言葉を聞いて、男は少しだけ息をはきました。それは生きている人間と同じく、空気を白くにごしました。
「……きっと君も、とらわれているんだね」
カイはなにも答えませんでした。またもや重苦しい沈黙が、二人のまわりを包みました。今さらながらに寒さが骨身にしみて、カイはくちびるをかみしめました。男もかすかに身をふるわせましたが、それは一瞬のことでした。
「……わかった。それなら別の頼みを聞いてくれないか? この女性を探してほしいんだ」
再び男はローブのポケットから、くしゃくしゃになった手紙と写真を取り出しました。男はゆっくりとカイのほうへ近づいていきましたが、途中でやはり見えない壁にはばまれたかのように、歩みを止めてしまいました。男はしゃがみこみ、手紙と写真を地面に置いて、再びうしろへ下がりました。
「これで君たちも写真にふれることができるだろう」
男の言葉に、カイはけげんそうな顔をしましたが、やがて写真と手紙を拾い上げました。
「この女性のことか?」
カイに聞かれて、男はわずかにうなずきました。写真には、今よりもほおがふっくらした男と、美しい金色の髪をした女性が写っていました。男は今のような真っ白な髪に赤いひとみではなく、黒い髪に黒いひとみをしていました。写真から見える男は、若さとエネルギーにあふれた、ハンサムな青年そのものでした。手紙には封がされていたので、カイは男に問いかけるような視線を投げかけました。
「ありがとう。その手紙はそのままその、ルリアという女性に渡してくれ。……とはいっても、その写真は五十年以上前に撮ったものだから、彼女はもう亡くなっているかもしれない。生きていたとしても、もうおばあちゃんになっているだろう。当時はマスカーヴの北門近くに住んでいたが、今はどうだろう。引っ越してしまったかもしれないが……」
「……もしかして、あなたの恋人さんだったの?」
えんりょがちにたずねるティアラに、男は照れくさそうに笑ってうなずきました。
「そうだよ。とてもきれいな髪をした女性だった。ずっと昔に、ぼくたちは結婚の約束までしていたんだ。ぼくが研究を終わらせて、マスカーヴの町に戻ったら結婚式を挙げようって約束していたんだ。……もう五十年以上たっているから、きっとルリアは待ってはいないだろうけど」
「そんな……そんなことないわ! 恋人さんは、ルリアさんはきっとあなたのこと、待っているわよ!」
ティアラにいわれて、男は赤く染まった目を静かに細めました。その目にはもうカイも、研究室も映っていないようでした。きっと遠くに置き忘れていた人のことを思い出していたのでしょう。男は静かにつぶやきました。
「……もしまだルリアが生きていたら、愛していたと伝えておくれ」
男の言葉に、カイはしっかりとうなずきました。
「わかった。きっと探し出すよ」
男はほっとしたようにほほえみ、その場につかれたようにすわりこみました。手に持っていた賢者の砂が入った小ビンを、自分の前に置いてため息をつきました。
「それじゃあ、ぼくの最後の仕事を片付けさせてもらおうか。ぼくはずっと待っていたんだ。この砂を渡せる誰かが来るのを。君たちにこの賢者の砂を渡すことで、ようやくぼくは時のバトンをつなぐことができる。時間は止まらない。ずっと走り続けるだろう。だが、これでようやくぼくのレースはゴールにたどり着くことができたんだ。……ずっと夢見てきたゴールに……」
男は賢者の砂が入った小ビンを手に取って、カイにひょいっと投げ渡したのです。砂が一瞬きらめき、カイが受け取ったとたんに、目が焼けるほどの光を放ったのでした。思わず目をおおい、そして光が収まったあと、男のいたところを見ると……そこにはすでに男のすがたはありませんでした。
――ようやく逝ける。これでやっと、仲間のところへ逝けるんだ――
光の砂が、ろうそくの炎にちらちらと照らされていましたが、それはやがてけむりのように空気に溶けて消えていきました。あとに残ったのは、頼りないろうそくの明かりと、そして雪国特有の、重苦しい沈黙だけでした。
いつもお読みくださいましてありがとうございます。
明日からはまた毎日1話ずつの更新となります。
明日からもどうぞよろしくお願いいたします。