イルレア王国の美術館 ~潜入編~ その2
「ふーっ、カイのポッケの中ってあったかいのはいいんだけど、少しせまいし息苦しいのが問題よねぇ」
ポケットから、手のひらにすっぽり収まりそうな、小さな小人が現れました。シャルロッテです。まるでシフォンケーキをそのまま服にしたような、ふわふわしたドレスを着ています。髪の毛は秋の小麦みたいな明るい金色で、やはりふわふわとしたくせっけでした。そして、オパール色のくりくりっとした目は、いたずらな光でいっぱいでした。
「本当はいっしょに並んでみたいのに、カイったらロッテが人間のサイズになるの、OKしてくれないんだもん」
「しかたがないだろう。シャルロッテは人形の……魔法細工のサイズじゃないと、いろいろいたずらしたりドジふんで、面倒ごとに巻きこまれるじゃないか」
カイはわざとらしくため息をついて、シャルロッテをすばやく胸ポケットにしまいこみました。
カイがいった通り、シャルロッテはイズンでした。ですが、その完成度はただの人形などとは全く違い、完全に人間そのものでした。継ぎ目や縫い目などは全く見られません。皮ふも髪も、人間と同じ感触でした。ただしそのひとみだけは、美しくみがかれたオパールでできていました。もちろんそれも非常に精巧にできていたので、ひとみが魔法玉であるということは、魔法細工師でなければ見破ることはできないでしょう。
「でも、いいにおいがするから、カイのポッケの中って好きよ。その中でも、胸のポッケは一番好きなの。まわりの景色がよく見えるし、それにカイの顔に一番近いんだもん」
小さな人形であるシャルロッテがしゃべっているというのに、カイは全く驚きませんでした。ただ、心配そうにまわりに視線をはわせて、小声でシャルロッテに注意したのです。
「あまりしゃべるなよ。静かにしないとこのまま帰るからな」
「あぁ、待ってよ! わかった、ロッテ、ちゃんと静かにするから。だからもう帰るなんていわないでよ」
カイは静かに胸ポケットをなでつけると、ふうっと小さくため息をつきました。
「じゃあシャルロッテも、これ以上しゃべらないって約束しろよ。そうしないと本当に帰るからな」
「うう……。わかった、約束するよ。でも、ちゃんとじっくり見せてね。カイったら、絵なんて興味ないとかいって、すぐに出ようとするんだもん。ロッテがいいっていうまで、ちゃんと絵の真ん前で待っておかないとやだよ」
ぐいっとシャルロッテが胸ポケットから身を乗り出したので、カイはあわててその頭を押さえこみました。
「ほら、あまり顔を出しすぎるなよ。それに、間違ってもこないだみたいに、飛び出したりするんじゃないぞ。ひやひやもんだったよ、誰かに見つかったら本当にやばいとこだったんだから」
「もうっ、わかってるってば。ね、カイ、そんなことよりほら、早く早く」
シャルロッテにせかされて、カイはしぶしぶと、人だかりのほうへ歩いていきました。他の絵画には、多くても一人か二人ぐらいしか鑑賞している人がいませんでしたが、お目当ての絵は違いました。何人もの人が食い入るように絵をながめていて、感嘆の声をもらしていたのです。カイもその人たちの群れに加わりました。
「リビアーノの、『約束』かあ……」
ほのかな緑の草原に、麦わらぼうしをかぶった少女が、馬に乗った青年と指切りをしています。ゆったりしたタッチで描かれていて、まるで幼い日の思い出のようです。
「はぁ……素敵」
ポケットから身を乗り出して、シャルロッテがつぶやきました。ですが、先ほどと違ってカイはシャルロッテを注意しません。右のポケットがもぞもぞと動きましたが、カイはそれにも気がつきませんでした。
「ロッテ、大丈夫? ちゃんとおとなしく隠れてるかしら?」
ティアラが小声で注意しますが、シャルロッテからはなにも反応がありません。それにカイも反応していないので、ティアラは心配になったのでしょうか、そーっと右ポケットから顔を出しました。
「カイ、ロッテ、どうしたの?」
ティアラもシャルロッテと同じく、イズンでした。小麦のような金髪は、シャルロッテと違ってさらさらのショートヘアーでした。顔立ちはシャルロッテとうりふたつで、同じようにくりくりっとした目をしています。ですが、そのひとみもよく見ると、アクアマリンでできていました。ティアラのイズニウムです。まわりにすばやく目を走らせ、誰にも見られていないことを確認してから、ティアラはゆっくりと顔をあげました。
「カイ、ロッテの頭が出てるわよ、注意しないと……」
見あげたティアラの目に、カイの顔が飛びこんできて、ティアラはハッと口をつぐみました。カイは少しくちびるをかみしめながら、なにかを思い出すように絵を見つめていたのです。
「……ローザ……」
カイのつぶやきを聞いて、ティアラはおしだまってしまいましたが、やがてポンポンッとポケットの内側をたたいてささやいたのです。
「カイ……。ほ、ほら、そろそろ行かなきゃ、任務でしょ」
ティアラにたたかれて、カイはようやく気がついたのか、右ポケットに目をやりました。そして胸ポケットにも視線を向け、顔をしかめたのです。
「おい、シャルロッテ、なにやってるんだよ。そんなにポケットから出るなって。ほら、早く戻れ。もう行くからな」
カイに軽く頭を押さえられて、シャルロッテは少し抵抗していましたが、しぶしぶ顔を引っこめました。
「さて、それじゃ帰るとするか」
人ごみから離れると、再度カイはあたりに目を走らせてから、すばやくシャルロッテを胸ポケットから引っこ抜きました。そのまま左ポケットに押しこみます。
「ちょっと、カイったら、レディをあつかうのにそんな乱暴にしたらダメなんだよ!」
「お前がわがままいうからだろ。それに顔を出すなっていったのに、あんなに身を乗り出して。みんな絵にくぎづけだったからよかったものの、一歩間違えればおれたちの正体がばれるところだったんだぞ」
カイのお説教に対する返事の代わりに、左ポケットのあたりに激痛が走りました。
「いてっ!」
近くで絵を鑑賞していた老夫婦が、なにごとかとカイをふりかえりました。カイは視線を合わさないようにうつむき、足早にその場から離れました。
「悪かったよ、ただ、次からは気をつけてくれよ」
左ポケットをそっとなでてから、カイは奥に続いている通路を歩いていきました。奥に行くほど、人のすがたはまばらになっていき、最終的には人はおろか絵も飾られていない通路へと出たのです。
「ちょっと待った、お客さん、そっちは立ち入り禁止だよ、ほら、そこに書いてんだろ」
通路を進もうとすると、警備員らしき男がカイを呼び止めました。カイのまゆがぴくりと動きましたが、すぐに愛想のいい表情を作って、警備員らしき男に親しげに礼儀正しくあやまったのです。
「あ、これは申し訳ありませんでした。こちらが立ち入り禁止になっているとは、知らなかったもので」
カイはちらりと、通路の奥に目をやりました。明るいライトで照らされた通路なのに、なぜかそこは、どんよりと空気がよどんでいます。それに目ざとく気づいて、カイは満足そうにほほえみました。
「ったく、看板も出てるってのに」
ぶつぶつと文句をいう警備員の目を盗み、カイは胸ポケットに手を当てました。ひょいっとシャルロッテが顔を出し、それから軽くカイの手をたたきました。
「すみません、ところで出口はどちらになりますか?」
「なんだ、お客さん迷ってこんなとこまできちまったのか? しょうがないな、ほら、そこを左に行って、そのまままっすぐいきゃあ出口だよ。」
警備員に軽く会釈してから、カイはその場をあとにしました。しかし、口元にはうっすらと笑みを浮かべているのでした。
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本日はこのあと21時及び22時台に1話ずつ投稿予定です。