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厭世のルシファー  作者: 六日
真昼の白い月
8/10

07

 翌日の放課後、作戦を決行する。

 宵は今日バイトがない。週五でバイトに行く宵だが、休みの曜日はほぼ確定していて、テスト期間だからといって変更されるわけでもない。それも当然、しなくても点数が取れるからだ。する必要がないのだ。普段の授業で完璧に仕上げてしまう。私がいくら逆立ちしたところで、真似できないものである。私の才能はすべて宵に吸い取られてしまったのではないかと常々思うわけだが。


 ふう、とため息を吐いた。

 宵には授業が終わったら教室で待っていてと伝えてある。今日はバイトもないし、急いで帰ってしまうこともないだろう。


「いや、待たせすぎたら帰りそう……、急ごうっと」


 満には後で迎えに来てと頼んであるし、大丈夫。作戦内容は至ってシンプルだ。宵を教室で待たす。陽太を連れて行く。私は急用ができて駄目になったから、代わりに陽太に勉強を教えてあげてと頼む。当然怒り出すだろう宵が予想できるので、満に大慌てで迎えに来てもらって、離脱。後は陽太が自分でなんとかするだろう。

 陽太に話を通しておくことも考えたのだが、あれは馬鹿なので駄目だ。絶対どこかしらで宵にバレるに違いない。ということで、満にだけ話してある。離脱してからは、満の家で勉強会の予定だ。


 そう、くっつけてしまえばいいのだ。それか、こっぴどく振られてしまえばいい。とにかくお役御免になりたかった。うだうだ抵抗しつつだらだら協力するより、パパッと済ませてしまおうということなのだ。


「満、よろしくね」

「了解。あっちの角からタイミング見計らってるから、何かしら合図して」

「わかった」


 廊下の曲がり角を指差した満と、一旦教室に戻る。箒を掃除用具入れに戻し、黒板の前で他の男子と談笑する陽太に声をかけた。陽太相手だと、男子たちも特に冷やかすことはない。陽太はそういう扱いで、そういうキャラを確立している。そこのところは非常に便利だ。


「もう始める?」

「うん。ちょっと着いてきてほしいんだけど」

「わかった!」

「あっ、荷物全部持ってきてね」


 はいはーい、と明るい返事をしてから、まもなく紺色のリュックサックを背負った陽太が駆けてきた。


「どっか違うとこでやるの?」

「そうなるかな」


 早足で歩いているはずなのに、陽太は悠々と隣を歩いている。男子の中では小さいといえども、女子の中でも低い方である私相手だと、それなりに脚の長さも違い、歩幅も違うらしい。それでも、身長、脚の長さといえば、満と同じくらい——いや、むしろ満の方が少し長いぐらいか。しかし、何かが決定的に違う。


「今日は満ちゃんいないの?」

「なに、二人だとご不満?」


 横目でちらと見やってから、口元に薄い笑みを携えた。

 弱みを握っているのは私だ。そう言い聞かせ、「何か」を追求することは止めた。思い描く二人とは、もちろん陽太と宵である。陽太はそんなこと知る由もない。でも、私は一言も嘘なんか吐いてない。騙すつもりはなかった。なんて、心の内で白を切る。

 陽太はきょとんと目を見開く。そして、ふんわりと、頬を緩めた。まるで、ひだまりのようだとさえ思った。


「とんでもない」


 からかい混じりなのは、こちらのはずだった。はずだったのに、それは途端に様相を変じてしまった。急速に顔に朱が昇っているだろうことが容易にわかる程度には、頬が熱い。

 私に向けてのものではないのに。わかってるのに。宵相手だとここまでデレてみせるのか。混乱する頭でそう悪態突いてから、はたと気付く。——違う。私だ。陽太は私と二人きりだと認識している。だとすると、私相手だというのにこんなに柔らかく笑ってみせたというのか。いや、きっと陽太は何も考えていない。


 頭では理解しているのにいよいよ顔を上げられなかった。瞳は数歩先の廊下しか映せない。しくじった、と思った。

 どうも調子を狂わされる。私はこの男が苦手だ、と思った。そうだ、苦手なのだ。

 鼻歌まで歌って上機嫌らしい相手をじとりと睨めつける。口はへの字に曲がった。私の視線に気付いた陽太が、さも不思議そうに小首を傾げた。いかにもこう思ってます、といったような仕草が、なぜか癪に障る。


「あれ、なんか怒った?」


 ああ、こんな調子では駄目だ。平常心。平常心。


「ううん、なんでもない」


 横に首を振って、両方の口角を持ち上げた。

 目的地である宵のクラスにたどり着き、開いた扉から教室内を覗けば、教卓付近に三人、外側の窓際に一人、そして丁度教室の中央付近に宵がいるだけだった。私は中に一歩、足を踏み入れる。足取り軽く後ろに着いてきていた陽太が、ようやくそこで宵の存在に気付いた。


「え? 宵?」


 席に着きスマホに指を滑らせていた宵だったが、その声で頭を上げ、顔ごとこちらを向く。そして、微かに顔を歪めた。


「あれ? ここ宵のクラス?」

「……明」


 ただでさえ高くない声が地を這う。左右に目が泳ぐも、意を決し、手を合わせた。


「宵、本当に悪いんだけど、私どうしても急用入っちゃってね、行かなくちゃいけないの。それで、私の代わりに陽太のテスト勉強見てあげてほしい! 突然ごめんね……でも、他に頼めるの宵しかいなくて……」


 他の生徒がいる手前だろう、私の名前を呼んで以降口を開けずにいる宵に向かって拝む。びしびしと感じる痛い視線が宵の不機嫌さを物語っているが、無視だ。一歩後ろにいる陽太は「へ」と間抜けな声を出した。それも無視だ。


 だんまりを貫く宵と、懇願する私。


 教卓の方から、見かねたらしい女子生徒たちが声を潜めて「あれだけ頼んでるのに可哀想」「双子にも冷たいんだね」「こわぁ」「明ちゃん人気あるから僻んでるんじゃない?」などと好き勝手話しているのが私の耳にまでも届く。もちろん宵にも聞こえているに違いない。証拠に、眉間の皺が三倍になった。実際のところ、僻んでいるのは私の方だというのに、他人の目にはそういうふうに映るのだから、厄介だ。宵にだけわかるように悲しげに目を伏せる。


 なんて、ここまでは私が意図的に仕組んだ理想の展開なのだから、本当は何の不都合もないはずなのに。ジクリ。胸が痛むのは罪悪感からか。


 不意に、横から風が吹いた。


「ね、宵と明ちゃんは仲良しだって知ってた?」


 斜め前で、腹の底が真っ黒な人間には目が眩みそうな光が揺れた。横顔にキラリと星が瞬く。それまでの空気をたった一言で断ち切ったのは、陽太だった。

 正面から見ずとも、愛想のいい屈託のない笑みを浮かべているだろうことがわかる。口が大きく弧を描いている。


「なに?」

「わかんない」


 突然話しかけられて動揺した様子の彼女たちのうち二人が顔を見合わせた。一人は陽太をじっと見つめている。


「ああ見えて、宵だって明ちゃんのこと大好きなんだよ。一緒に帰ろうって誘っても、家に迎えに行くって言っても、明ちゃんと二人で行きたいからって理由で嫌だって言うし。明ちゃんが俺に掃除やら日直やら押し付けられてたこと知った時は、その美しい顔が般若になったし。……それに、明ちゃんは優しすぎて、頼まれたら嫌でも断れない性格なんだからーって。俺に向かって、馬鹿面で何も考えずに明ちゃんのこと巻き込むなって言うんだよ! いくら何でも馬鹿面は言いすぎ!」


 は。声にならなかった一音は口の中で霧消した。陽太が発した言葉を理解しようとぐるぐる頭が回る。しかし、ぐるぐるとその言葉が脳裏で回るばかりで、一向に意味を咀嚼することができない。陽太は最終不貞腐れたような声をあげたが、その横顔には笑みさえ伺える。ふと視線をずらすと、顔を真っ赤に染め上げて口をパクパクと開閉させる宵がいた。


「お、ま、」


 宵も見るからに動揺していたが、私も何から整理をつければ良いのかもわからなかった。陽太の言動に意表を突かれ、その発言内容が胸にくる。

 不覚にもドキリとしたのだ。

 それでも、その反動をもってして鋭く尖った氷が胸に突き刺さる。最初にやってきたのは、良心の痛みだった。そして、温かさにじわりじわりと氷が溶けて、やがて何とも言えない生ぬるい水が残った。私がもっと強くて、もっと自分に自信が持てたなら。自己嫌悪に陥りかけていた私を図らずしも助けたのは、満だった。


「ちょっとぉー、遅いから様子見に来たらハルタってやっぱバカ——って、うっわ、キラボシさん超顔赤い! い、意外すぎる……」


 突然、肩口から声がして滑稽なほど肩が大きく揺れた。振り返らなくたってわかる。外で待機していたはずの満である。

 私の視線の先には、変わらず夕焼けのように赤い顔で陽太を睨みつける宵がいて。


「殺す……!」


 やがて怒りのあまりその肩だけでなく全身をぶるぶると震わせたかと思えば、物騒なことを口にした。何やら満的には楽しい展開らしく、興奮のあまり私の肩を強く叩いているが、私はやはり現状に置いてけぼりにされている。わかることといえば痛いということぐらいだ。


「あれ……メイ? 生きてる?」


 ひらひらと視界で肌色がぶれる。焦点が合い、はたと気付けば、前の方に陽太に掴みかかる宵がいて慌てて仲裁に入った。


「ストップ! 宵、ストップ!」

「ヒイイ! 宵ってアバンギャルドォ!」

「絶対意味わかってないくせに横文字使うな!」

「よいぃ! 見られてるから! 落ち着いて……!」


 宵の両肩口を押しやり引き離す。胸倉を掴まれ、なすがままがくがくと揺さぶられていた陽太は解放されてげほげほと咳き込んだ。

 鼻息を荒くして今にでも足が出そうな宵を押しとどめて、教室内を見渡す。教卓にいる彼女たちは全員して目も耳も疑っているようだった。思わず苦笑をもらすと、そのうちの一人と目が合った。私の苦笑いが決め手になったのかもしれない、察した様子の彼女は眉を下げて私に小さく会釈すると、他の二人を引き連れて行ってしまった。そして、奥の窓際で勉強している男子生徒は、騒ぎを遠慮がちに一瞥すると背中を丸めて勉強を再開させた。なんというか、悪いことをしてしまった。


「……落ち着いた?」


 ようやく力の抜けた宵がぶっすぅと膨れっ面になった。真顔の時の垢抜けた様は見る影もない。外でそのような姿は本当に久しぶりで、自然と頬が緩む。その笑いを噛み殺しながら覗き込んでやると、恨みがましそうな焦げ茶の瞳に睨まれた。しかし、顔が赤いので何も怖くはない。耐え切れず吹き出すと、そのまま肩口に額を乗せにきたので、その頭に手を置いた。


「うわ。私も混ぜてよー」


 突然横からの衝撃。宵もろともぐらつくが、なんとか踏ん張る。普段から慣れているため笑い声をあげる余裕さえある私とは対照的に、宵が苦しそうに呻いた。


「ちょ、っとぉ! 誰よあんた! 苦しい! 明!」

「メイのしんゆー。望月満でぇすよろしくぅー」

「満……」

「明ちゃんの心の友。日名子は、」

「お前だけは指一本触れるな」


 どさくさに紛れようとした馬鹿が一匹、宵に容赦なく蹴りを入れられて地に伏せた。それを見て満がケラケラと笑った。


「あーあ。ヒナ子ちゃんかわいそぉー」

「宵……」


 どうやら、慈悲深いのは私だけのようだ。負傷した陽太の様子を見るために、宵の頭と、満の腕から逃れようとしたところで、再度何らかの力で引き寄せられる。

 まるで犯人に捕まった人質のように首元に紺色が巻かれた。セーラー服の袖である。気付けば体は反転していて、背後から「こいつとは本当に仲良さそうね」とつぶやくのが聞こえた。かと思えば、更に首元に力が加わった。


「ぐぇっ」

「気に入らないから離れてよ、もち」

「もち?」

「モチ?」

「し、しぬ……!」


 急に酸素が入り込み咽せる。満から引き剥がされると、その紺の腕からも解放された。先ほどの陽太の二の舞だと思いながら、背後に私を隠して仁王立ちしている宵を見やる。下に転がっていた陽太も復活したようで、しっかり地に足をつけていた。


「モチって……もしかして、私のこと? ……ひっ」

「あんた以外に誰がいんのよ」

「ひ、ひい! 斬新! も、モチ、ひいっ」


 宵の背後から顔を出すと、案の定引き笑いを起こして呼吸困難にさえ陥っている満が見えた。


「でた、謎のあだ名」

「謎っていうか、雑いだけじゃない?」


 陽太が可笑しそうに呟いた。それに対して私が反応を示すと、こちらを見た陽太が「確かに」と笑った。

 その笑顔に、なぜか痛覚が刺激された。覚えのある痛み。記憶を掘り起こすことはためらわれた。何も思い出すまいと、何かを押さえつける。


「やばい! キラボシさん面白すぎる……! ねえねえ、ヨイって呼んでいい? メイとハルタだけじゃなくって、私とも仲良くしよーよーねーえー」

「うざ」

「流石にバッサリすぎるって!」


 満のはしゃぐ声がなんだか遠くに聞こえる。途端に、全身から力が抜け落ちたような、酷い脱力感に襲われた。ふと隣から視線を感じたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。


「ちょちょちょ、待って。満ちゃん待って。俺が口説いてるところだから」


 金色が慌てて二人に割って入る。わざとらしい言い回し。わざとらしいドヤ顔。

 思考は急速にぼんやりとした。

 私は、この感情を知っている。引き金なんて、案外ちっぽけなものだ。宵に向ける馬鹿面を見て悟ってしまうくらいだ。

 本当にどうしようもなくて、厄介事ばかり引き起こしてくれるトラブルメーカーで、——なのに、どうしてキラキラと輝いて見えてしまうのだろうか。もう何度だろうか。その笑顔が太陽のようだと見紛ったのは。

 無理に押さえつけていた蓋が外れるのは、それがいっぱいいっぱいであればこそ、ほんの些細なことで溢れ出してしまうらしい。底抜けに馬鹿で救いようのない馬鹿で宵に想いを寄せる馬鹿。


 そして、私は、どうやら、その馬鹿に想いを寄せているらしい。


 すとんと胸に落ちた痛みの答えが、更に痛みを増幅させた。

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