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厭世のルシファー  作者: 六日
朝露
5/10

04

「いた! 明ちゃん! ちょっと来て!」


 お昼を食べ終え、次の授業が移動教室だったため、私たちは用意を持って廊下を歩いていた。そこへ単独でやって来た陽太が、明らかに面倒事を携えてやってきた。


「な、なに? 今?」

「今直ぐ!」

「えー私も行きたーい」

「満ちゃんも来ていいから! 急いで! とにかく!」


 なぜか満まで乗り気なのだから回避する術もなく、先導する陽太の後を追う満に引っ張られて廊下を走る羽目になった。


「そこから俺の勇姿見守ってて。あ、でもピンチになったら助けに来てよ?」


 満を避けた後ろには階段があり、訳がわからないながらもとりあえず防火扉に身を寄せてそこから顔を覗かせた。視線の先には真っ直ぐ続く廊下があり、何かをしでかそうとしているらしい陽太は既にしっかりと視界に収まっている。そして、陽太は数歩進んだところでなぜかこちらを振り返り、絵に描いたような真剣な表情で敬礼してみせ、これまたなぜか背後で満がそれに応じて敬礼を返した。


「なにこれ……」

「さあ?」


 高めに見積もってもせいぜい一五五センチしかない私に比べて、低めに見積もってもゆうゆうと一六五センチはある満は、私よりも幾分も高い地点から無邪気で無責任な声を落とした。

 ふと、嫌でも目に入る金色の向こう側に、見慣れた人物を見た。あっ、と存外棒読みの声がもれる。といのも、驚く間もなく様々な懸念が頭を占めたからだ。悠長に声をあげている余裕なんてない。これと瓜二つだといわれるのだから、私も相当に顔は整っているに違いない。可憐で清楚な風貌ながら、どこか近寄りがたい凛とした壮麗な気色をにじませたその姿が、先程までの嫌な予感を更に加速的に煽る。


 茶番は唐突に始まった。


 あっ、ごめん! 大丈夫? これ、君のだよね。……怒った? わざとじゃないんだ! あー、でもそんな問題じゃないよね。本当にごめん! ね、どうしたら許してくれる? あっ何かおごるよ。お詫びに。何が良い? 何が好き? あ! そんなことより、俺、ヒナコハルタっつーの。お日さまの日に、名前の名、子どもの子、太陽を逆さまにして、日名子陽太。 君、きらぼしさんでしょ。明ちゃんの双子のいもーと。

 ——ま、知っててぶつかったんだけど、ね、


「駄目、無理、見てらんない、やめて、ああぁあ……」

「っし、しぬぅ……!」

「馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの」

「やめ、こっれ以上笑かすのよし、てよ……ひぃっ、三回っ!」

「私こういうの無理なんだってば笑えない……あああ……」


 こちらからは、あのどうしようもない金色がどのような表情をしているのかはわからない。


「あれ、ずぅえったい、ドヤ顔だから!」


 満は腰を折り曲げてひいひい言いながら私の肩を容赦なくバンバンと叩いてくる。

 今現在不運に巻き込まれている相手——煌星宵もおそらく移動教室のために廊下を歩いていたのだろう。持ち物からして家庭科だろうか。


 宵の立場から考えて、ことの経緯をざっくり説明するとこうだ。

 ——調理室に向かうべく一人で歩いていた。すると、真正面から軽いジョギング程度のスピードで走ってくる眩しい金色が視界に入ったので、ぶつからないように廊下の端に寄った。


 そして、ぶつかったのだ。


 両手は床に張り付き、尻餅をついたまま、状況を把握できず目を白黒させた。しかし、相手は突然怒涛の言葉責めである。散らばった教科書の類に視線を泳がすも、ずいと顔を接近させてきたために反射的に仰け反った。そんな様子を気にも介さず、極めつけに小首を傾げて渾身のドヤ顔を晒している——ここは満の解釈だが、その相手は日名子陽太という人物らしい。

 ——さて、ここまで宵は一言も口を挟んでいない。元々の人見知りする性格を発揮する以前に、困惑のあまり一言も発することができなかったのだろう。私たちが散々言いたい放題している間、無言で見つめ合う二人。その間に万が一、億が一もラブロマンスが舞い降りているということはないだろうと予想しつつも、周りを通る生徒の視線にも反応を示さない二人に、いや、そんな、まさか、と私が狼狽え始めた頃。

 不意に金色が猛烈なスピードでこちら側にぐりんと顔を向けた。


「な、なに急に……え?」


 その顔が真っ赤に染まっている。


「ごめん! 見るつもりじゃ——いや、見てな、」

「きっしょ……」

「え?」

「え?」


 陽太と満がほぼ同時に間抜けな声を出した。

 スカートを手で払いながら立ち上がった宵は、サッと教科書たちを拾い上げて何事もなかったかのようにその場を後にする。方向にしてこちらに歩いてきたわけだが、宵はすこぶる不機嫌な表情を私にお向けになり、明、帰ったら言い訳聞いてあげる、と抑揚のない静かな声でそう告げられた後、横を通り抜け階段を下りていきなさった。

 冷や汗をかきながら硬直していると、なにやら幽霊か妖怪か非現実的なものでも見たようなまんまるい四つの目がこちらを凝視していた。は、はは、と乾いた笑いが力なく唇から伝い落ちる。


「……アフレコ?」


 どうしてもあの暴言と宵が結びつかなかったのだろう。満が苦し紛れに絞り出した結論がそれだった。

 よろよろと覚束ない足取りで歩き出した陽太の視線は未だに宙を彷徨っている。


「……きらぼ、し……さ、ま?」

「自然と敬称つけたくなる気持ちはわかるよ」


 流石に同情もしたくなった。無事とはとても言えない、瀕死状態でご帰還した陽太に軽く声をかけてやると、俯きながら微かに震えだしたではないか。


「ま、まぁ、でもわかったでしょ、これで」

「いやーまだ信じられない。あの顔で、」

「元気だしなよ。自業自得かもしれないけど、あっ、ほら、宵に絶対顔覚えられたって」


 焦って取り繕えば取り繕うほど、ことごとく傷を抉るような言葉が生産されてしまい——なんというか本音しか出ない。これは本当に泣かせてしまうのではないかとハラハラする私の傍らで、満が自分の記憶を整理しようと声に乗せて事実確認をするものだから、陽太の全身の震えはいよいよ無視できないくらいになってしまった。ちょっとどうすんのよ、もう。目で満に訴えると、震えていると思っていた陽太が突如として勢いよく顔を上げた。その瞳はなぜか涙ではない別種の輝きを含んでいて、デジャヴを感じた。


「俺、マジで好きになったかも」


 しかし、この時、私の目つきは自分でもわかるほどサッと鋭くなった。そして、自覚したからこそ直ぐさまそれを消すことができた。大丈夫、誰も気付いてない。


「……あんたってM気質?」


 怪訝そうな顔で満がポツリと呟いた。


「明ちゃん! 本当に、本気で協力して欲しい! 一生のお願い!」


 満の言葉どころか、周りが見えなくなっている陽太が一直線に私だけを捉えていて、思わずたじろいだ。見たこともないような真剣な目で訴える瞳がもう何度目かわからない一生のお願いの本来の意味合いを濃くさせる。あなたはだから何回人生を送るの、という茶化した言葉は脳裏に浮かぶだけで、とても言葉にならない。その視線に耐え切れず、つい、私はその頼みを呑んでしまったのだ。

 どれだけ後悔するとも知らずに。

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