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厭世のルシファー  作者: 六日
朝露
4/10

03

 まさか渾身のラブレターを読まれた挙句に握りつぶされたなんて知る由もなく、昨日の約束通りパックのミルクティーを献上しに来た陽太を捕まえることに成功した昼休憩。ちょうどさっきの生物の授業で使った教材を、理科準備室まで運んでほしいとの面倒事を生物担当教師から頼まれていたので、それに付き合ってもらうことにした。えええ、とあからさまに渋る陽太を一瞬で黙らせたのは、自らが書いたはずの手紙の冒頭だ。


 てがとどかないほしみたい。誤字脱字をおそらく書きたかったのだろう形に訂正した冒頭を、すらすらと音読してやると、ピタリと全動作を停止させた。またたくきみのなまえは。次いで言葉にならない声をあげる。きらぼ。引きつりまくっているがおそらく精一杯と思しき笑みを貼り付けた陽太が驚異的なスピードで教材の入ったダンボールを抱えて廊下に飛び出した。


 今しがた受け取ったミルクティーを一先ず机に置く。満に向けて、頼まれたから持って行ってくるね、と声をかけると、その間にパン買ってくるー、との返事を聞いて、私は陽太の後を追った。


 教室を出たところで待機していた陽太と、理科準備室までの道を行く。廊下はそれなりに人通りもあり、談笑しながら往来する生徒の邪魔にならないように端に寄って歩く。

 さて、どこから駄目だししてやろうか。

 そう思っていたのに、申し訳程度にプリント類を持った私は、両手いっぱいに箱を抱えつつ俯きがちになって半歩後ろを着いてくる陽太を見て、流石に意地が悪かったかと少し罪悪感が芽生えた。やりすぎたか、と自らの行いをやや反省しかけていた頃、私の視線に気付いたらしい陽太が、顔を上げ、おそるおそるといった様子で口を開いた。


「……読んだわけだ?」

「……うん」

「……きらぼしさんは?」

「きらぼしさんって、どっちもきらぼしさんなんだよね。もっと言うと、私の家全員きらぼしさんなんだけどね……」


 苦笑いで誤魔化しつつ、遠慮がちに問題点を指摘してみた。


「いや、だって! 俺の中では明ちゃんは明ちゃんで、きらぼしさんはきらぼしさんだったから、さ、ああ……ああ……」


 歩みを緩めて相手が追いつくのを待ちながら、反応を伺う。目にうるさい金色が揺れた。しかしながら、弁明をすることで、どうやら自分の失態を自覚したらしい。言い訳は出だしから急速に覇気をなくして、やがて呻き声になった。

 クラスの子にだって、それこそ私にだって初対面で名前を呼んできたのに、言いようによっては長所であるその図々しさを、この男子はどうやら肝心な人には発揮できないらしい。


「お節介かもしれないけどね、あの手紙、宵に渡さない方がいいと思う」

「どーせ、俺には高嶺の花だって言いたいんだろ?」


 よく高嶺の花なんて言葉知ってたなぁ。心の内で密かにそう呟いた。そんなことに私が感心しているとはまさか夢にも思うまい。そんなことないよ、と否定してあげることも出来ずに曖昧に笑うと、陽太は不貞腐れた様子を一変させて、唇の両端を持ち上げた。


「まぁ、自分でも高嶺の花だとは思ってるけどな! あの手紙だって、七夕的な。短冊に願いごと書く的な? 叶わないことなんか承知しつつ書いちゃう的な? でも心のどこかでは期待してるんだろうなぁ、って感じ。はああ、だっさ。最悪。馬鹿じゃん」


 まるで何かに言い訳をするような。やけに弾んだ声は、その反動をもってして地に沈み込んだ。


「あの短冊、捨てといてよ」


 ハッと、嘲笑うと、あさっての方を向いて、そう言った。

 そこでようやく私は自分の仕出かしたことの大きさに気が付いた。私は、てっきり、もっと軽い、いつもの調子の延長上だと思ったのだ。


 重い空気。罪悪感が重くのしかかる。それらを払拭するように、とっさに口を開いた。


「陽太さ、宵と喋ったことないでしょ?」

「は、」

「宵は陽太のこと全然知らないよね? クラス違うし、多分認識してもないよね? でも、陽太だって宵のこと全然知らないんだよ。高嶺の花なんて言われて喜ぶような女子じゃない、宵は」


 励ましの言葉をかけるつもりが、思いのほか、本心がそのまま音になった。つい責めるようなやや尖った声色になってしまったのは、自分の後ろめたさを隠すためだ。自分の狡猾さに無視を決め込んで、目的地であった理科準備室を正面に捉えて足を早める。後ろは振り返らなかった。


 それから教材を運び込み、理科準備室を後にするまで、私たちはお互い口を利かなかった。相手の方を見ることもできずにいたが、教室に戻るまでには、流石にこの気まずい空気をどうにかしなければと、斜め後ろを振り返ったその時。

 私は想定していたものとはまるで随分甚だ百八十度違う表情を見た。


 自分の予想との差異が、私の思考を一旦停止させる。そんな私に気付く気配もない、見るからにやる気に満ち溢れた様子の陽太が空気を振動させた。


「明ちゃんって、まじで女神?」


 ぽかーん、と間抜けな効果音がつきそうな程に、私は面食らっているに違いない。その証拠に声すら出なかった。あまりの脈絡のなさに理解が到底追いつかない。


「いや、え、なに? え?」


 落ち着こうと思っても、相手の思考回路がわからず、混乱の意を示すだけで精一杯だ。


「励ましてくれたんだよな! 協力してくれるんだろ? そうだよな。やっぱそれなりの努力はするべきだよな。なんかかっこ悪いことばっか言ってごめん。俺、明ちゃんの言う通り頑張ることにする! 決めた!」


 落ち着け。頼むから。

 どこから対処すべきかわからず、気付けば緩やかにそれでいて振り幅は小さく首を左右に動かしていた。何がどうして何ゆえにそうなった。目に優しくない金色が視界を刺激して、目の前がチカチカする。ようやっと発することができた声は弱々しく、その謎の極言に立ち向かえる気概は既になかった。


「なんか、わかんないけど、あの、説明、」

「明ちゃんが協力してくれるとか、俄然、勝機有りになったって!」

「ガゼン、がぜん……ああ、俄然ね」


 意識は完全に現実逃避を始めていた。持ち前の人懐っこいその満面の笑みに、軽い目眩を覚えた。

 上機嫌で手を振ってから食堂の方に駆けていく背中を見送った後も、困惑は消えなかった。むしろ、冷静になればなるほど意味不明だ。昨日、手紙を読んだ時もそうであったが、どうもあいつは人を疲労させる才能があるらしい。


「メイーおかえりー。お疲れさまーって、なんか本当に疲れてるね?」


 他のグループに顔を覗かせていた満が、私が戻ったことに気付くと、そこから離脱してきた。私の前の席に横向きに腰を下ろし、上半身だけをこちらに向けてくる。


「ただいまぁ。そう見える?」

「違うの?」

「ううん、正解」


 私はおもむろに鞄からお弁当を取り出していただけなのだが、よほど動きに覇気がなかったのだろう。


「ハルタに運んでもらったんでしょー?」

「うーん。そうなんだけど、完全に仇になったね」


 広げたお弁当から玉子焼きをつまみあげて、口に運ぶ。ほんのり甘みが広がって自然と頬も緩む。しかし、その一連の動作を食い入るように見つめられて観念した。もう一つの玉子焼きを満の口元に持ち上げてやると、満は迷いなく食いついた。んんん、と味を噛み締める満は幸せそうで少し笑えるが、机に並べられた本日のランチメニューはなかなか笑えない。


「フレンチトーストに、玉子サンドとプリン。それに卵焼きでしょ。どう考えてもコレステロール摂取しすぎ」

「朝は目玉焼き食べたけど」

「こわ」

「玉子好きすぎて」

「限度あるって」

「養鶏所に生まれるべきだったと思ってる」

「それはもう来世に期待するしかないね」

「で?」

「はい?」


 私がわざとらしくとぼけるなり、満の手が食後に飲もうと置いていたミルクティーに伸びたので、慌てて取り上げる。


「いや、ね、なんか私もまだいまいち理解できてないんだよね」

「ハルタ本気でバカだからねー。不思議と憎めないけど。でも、バカすぎてたまに本気で何言ってるわかんないから、適当に同意しとくことあるわ」

「なんか多分厄介事に巻き込まれたっぽいんだけど。私も自分で把握できてないから、説明しようがなくて。ていうか、私が陽太に聞きたいぐらいだって」

「顔は悪くないんだけどねぇ。頭がねぇ。まあ、ぜんっぜん! 好みじゃないけど!」

「長身で、ダンス上手で、爽やかで、」

「キラキラしてるんだけど子供っぽくなくてでもアイドルって感じで普段は結構クールなのに笑うと可愛くてほどよく筋肉質でぇ、」

「その理想追い続けてるうちに寿命迎えるんじゃじゃない?」

「いいの! いっそ本望! 一生アイドル追いかけて生きるんだから! 夢見て生きるの!」

「オシャレで顔も可愛くて、しかもモデル体型。でも中身は重度のアイドルオタク。満も陽太のこと全然言えないと思うけど」


 なんとなくいい予感はしていなかったが、この時は、まだどこか他人ごとのように感じていた。

 その予感が見事に的中して、我が身に突如降りかかった災難の厄介さを自覚し、かつ満に大笑いされるのは、この昼休憩からあまりに近い未来であった。

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