09
それから陽太が無理矢理丸め込んだということは聞き及んでいる。
離脱したその日は宵から散々恨み言をぶつけられたが、その日以降、学校内ではよく二人が一緒にいるところを目撃されるようになった。付き合っているということはないらしいが、最初は本当に驚いた。付きまとわれてうんざりだと話す宵も、まんざらではなさそうに見える。相手にするはずもないと正直鷹を括っていたが、宵が陽太に心を開きつつあり、確実に惹かれているだろうことをなんとなく感じ取ってしまった。元来、感情表現が超直球であった宵が、言い訳するように渋っていることこそその証拠のように思える。
テスト期間も終わり、テストもほぼ全部返却された頃。今回も努力の甲斐なく宵にはことごとく僅差で惜敗しているわけだが、わざわざ自分から聞きに行って、わかってたくせにへこむ自分に嫌気がさす。しかし、それも含めどれだけ自虐的なんだ、と嘲笑するのもこれまた毎度のことだ。ケアレスミスの多い、完璧とは程遠い自分の回答用紙は否応なしに宵との差を知らしめてくる。
もう頑張るのを何度やめようと思ったかわからない。それでも、頑張ってこれたのは、もはや意地以外の何ものでもないだろう。
自分という人間のちっぽけさを痛感して、感傷に浸っていたものだから、反応が遅れた。
「メーイー! 行くよー?」
そういえば、次は体育だった。体操服の入ったショップバックを手に提げて慌てて後を追った。
「メイは今年は何出るつもり? やっぱリレー?」
「うーん、流石に運動部には敵わないから遠慮したいところかな」
「えー! もったいない!」
「満は狙ってるんだ?」
「当たり前! 現役ソフトテニス部エースさまの腕の見せ所!」
「リレーは脚だけどね」
「腕も振るもーん」
「もーん、とかやめてよ。気持ち悪い」
「ひーどーいー!」
期末考査が終わったら、体育祭だ。2週間先に控えた体育祭を心待ちにしている満は生き生きとしている。今日の六限のロングホームルームで競技の割り当てを決める予定だ。
「もう思いっきり体動かしたくて仕方ない!」
ヘアゴムで髪をくくる。顔の両サイドの髪だけ少し残し、低い位置で二つ結びをしていると、早々と着替え終えていた満がウズウズしているのが尻目に見えた。私は元々体育の授業でくらいでしか体を動かさないので、それほどでもないが、毎日クラブ活動をしている運動部にとっては、テスト期間というのはやはり相当窮屈であるらしい。
「今日何するんだっけ?」
「バレー」
「ッシャ! 気合入る!」
我が高校は偏差値的にもかなり賢く、全国でも進学校としてそれなりに名高い。みんな当たり前のように勉強するため、平均点も六十を切ることが少ない。それまでは宵の次点には着けていた私だが、高校に上がってからはそれもうかうかしてられなくなった。入学して一番初めの宿題テストでは、クラス平均が八十七点というとんでもない事態が起き、私は生まれて初めて平均点を取ることになる。それに危機感を覚え、塾に通うことも考えたが、塾に通っても宵に勝てない惨めな自分を実現させたくなくて、その選択肢を消去した。その代わりに、部活に時間を割くことを諦めた。
賢い人は運動が苦手だというのは、ほぼ迷信だと思っている。運動ができる人ほど、案外元々頭の回転が早く、そして何より効率よく時間を使う。そのため、文武両道を成立させている生徒は存外多い。宵が極端に異質であるだけで、私自身も非凡だと思っていた頃もあったが、上には上がいて、私の程度では所詮平凡に過ぎないという現実を知った。
しかし、その現実を踏まえてなお、宵はその頂点の座に泰然と君臨していた。上には上がいて、その上に私の妹は存在しているというのだ。当然、私が人並みに頑張ったところで足元に及ぶはずもない。世の中といのは、本当に不平等だ。
両膝を曲げて背中を壁に預けるとひやりとした。満が「ハイハイハーイ」なんて大声を上げて高く飛ぶのをぼんやりと眺める。隣にいたクラスメイトたちが可笑しそうに笑う。ボールが力強く床に叩きつけられ、強烈なスパイクが決まった。そして、満側のチームと外野がわっと一気に盛り上がる。ガッツポーズをしてハイタッチを交わす満は実に男前だ。
「ミツゥ! そんなの取れっこないって! 手加減してよぉ!」
スパイクが決まった位置に一番近かった吹奏楽部の子が泣き言を叫んだ。身を縮めて半ば怯えてしまっている。
「いざ、尋常に! 勝負!」
満は綺麗にスパイクが決まったことに気をよくして、もうノリノリだ。頭のお団子が乱れるのも、もはや気にした様子はない。
「望月に触らせちゃダメ、絶対」
心得たように、一斉に頷いた。ついでに外野もそれに納得して頷いた。
皆がわーきゃー叫びながらバレーをする様は楽しそうで笑える。
「明ちゃん、明ちゃん」
体育は二つのクラスが合同で行われる。クラス別に試合しているわけだが、満の顔の広さが伺える。ふと、一つ飛んだ隣に座っていた子が顔を突き出して、話しかけてきた。隣のクラスの学級委員で、かつ中学が同じである天川壱子である。間に挟まれた子は自然と首を引っ込めた。
「今朝にさ、宵見たけど男と一緒だったね。遠目だったから誰かわかんなかったけど」
「ああ……、それ、陽太だよ」
中学が同じというわけで、宵とも面識がある。悪い子ではないが、人の事情にズカズカと土足で踏み込んでくるところがあるので、あまり得意ではない。野次馬というやつだ。
「えっ! あっ、でも、そういえば……金髪だった……小さかった……」
「それなら、最近学校内でもよく見るよね?」
間に挟まっていた、同じクラスの落合輝美も加わった。
「えっそうなの? なに、付き合ってるの? あの宵が?」
そういうふうに知ったかぶるところも好きではない。宵と面識はあっても、せいぜい知り合い、友人とは程遠いはずだ。そして、「あの宵」に含まれる意味合いが暗いものであることもわかる。大して宵のこと知らないくせに。他人に宵が悪く言われるのは面白くない。しかし、それを顔に出すことはない。そこらへん、私は器用なのだ。へらりと笑ってみせた。
「ううん。付き合ってはないみたいだよ」
「流石にないか……」
「でも、いい雰囲気じゃない?」
「まさか、あのハルタだよ?」
「可能性はあるって! そもそも、高校きてから宵が誰かといるのなんて見なかったし」
「あはは、徹底無視だからねぇ」
我ながら、何のフォローにもなっていないが、とりあえず愛想笑いを浮かべる。
「え、中学ではそうじゃなかったの?」
「全っ然違ったよ」
壱子が得意げに答えてみせた。
「全然喋るし、直ぐ怒るし。女子にはほんっと嫌われてたね」
「ええ? 想像つかない」
「いや、本気! 本当なんだってば! 空気読まないしさー、わがままだしー」
宵の悪口を聞くのも、陽太と宵の目撃情報を聞くのも、快くない。その理由も、もう自覚しているが、持て余すことしかできずに日々を過ごしている。なんてったって、相手が宵だ。鼻から勝ち目がない。付け入るにしても、陽太が振られないことには始まらない。
満が以前に言っていた通り、あれ以降は私の協力なんて必要とせずよろしくやっているようだ。協力しようが協力しまいが、どこからか滴り落ちる虚無感が止むことはない。
一先ず、このまま悪口が続くことを予想して、腰を浮かせた。
「へえ。でも、馬鹿と天才? 話合うの?」
「馬鹿といえば、ハルタってどうやってこの学校来れたのか本当に不思議でならない」
「確かに!」
しかしながら、私の予想は外れ、話は思わぬ方向に逸れていく。隣のクラスにまで、その馬鹿っぷりが轟いているらしい。一旦浮いた腰は再び沈んだ。
「私、去年も一緒のクラスだったけど、入学当初から馬鹿だったよ」
輝美は至って真顔である。
「よく受かったよねぇ」
思わず、しみじみと頷いてしまった。うんうんと大げさながら、賛同するように輝美も頭を縦に振る。
「いや、あの頭で普通に受けて受からないっしょ」
壱子が妙に含みのある言い方をした。更に、小さく手招きするものだから、二人して壱子の方に傾く。壱子は、もったいぶるように言った。
「……ハルタって、超お金持ちって聞いたことある」
「えっ? まじで?」
「なにそれ、じゃあ、裏入学的な……」
暗に言わんとしていることを口にすると、壱子は「あくまで噂だけどねぇ」と断りを入れた。しかし、その言葉とは裏腹に、口元は吊り上がっているので、その情報にいくらか自信があるらしい。
「えー、でも、そんなタイプ?」
輝美が素直に首を捻った。そこにすかさず壱子が口を挟む。
「あいつ高級マンションで一人暮らししてるらしい」
「ひぇー! 嘘でしょー!」
「陽太って、中学どこ?」
「ハルタ中学は東京だよ」
「ええっ! それも初耳」
「意外と謎に包まれてるねぇ。意外と」
「じゃあ、あのピアスもどっかのブランドで高かったりするのかなぁ?」
「かもね」
「へぇ、そうなんだ」なんて適当に相槌を打った。あまりに突拍子もない情報が本人と繋がらない。しかし、元来持っていた情報から考えても、真偽のほどはわからなかった。というのも、私は陽太に関して思いの外、無知であったということだ。