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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【同一世界観・恋愛FT】こじらせ

拾って育てた弟子に襲われています。

 子どもを拾った。


 小雨の降る生暖かい夜のこと。

 家路を急いで通り過ぎた道の、建物と建物の壁が作る細い隙間に何かがいたのだ。

 一度急ぎ足で通り過ぎてから、立ち止まって、考えて、結局引き返してしまった。


(たしかこの辺。目が合った……)


 大きな瞳の印象的な痩せた顔。警戒心を込めて行き交う人の足元を見つめていた。

 声をかける義理などない。

 ただ、その日ラナンはたまたま一人では持て余す量のパンを持っていた。(かまど)の修繕を引き受けたパン屋で、謝礼ついでに渡されたものだ。時間をかければ食べられないこともなかったが、この気候ではすぐに(いた)んでしまうのは目に見えていた。

 つまりそれは、誰かに分け与えても、まったく困らないものだった。


 雨のせいでもともと人通りは少なかったが、ラナンは扉を閉ざした店の軒先で待った。

 いくらもしないうちに、見渡す範囲から人影がなくなる。頃合いと見て、先程生き物らしきものを目にした鋳物屋と道具屋の間の隙間をそっとのぞきこんだ。

 強い光を放つ翡翠色の瞳に、睨みつけられる。


「大丈夫、何もしないよ。その、おなかが空いていないかと思って」


 万が一、飛び掛かられても対処できるよう、距離は十分に置きながら声をかける。

 魔石灯の弱い光の下、向けられた顔は薄汚れていたし、すっぽりとかぶったフードからこぼれた金髪もどことなくくすんで見えた。

 しかし、それを差し引いても、凛として涼やかな目鼻立ちをしたうつくしい子どもであることがわかった。


(子ども……、いや、十四、五歳くらい? 綺麗な女の子……だよね?)


 長い睫毛、通った鼻梁、形の良い唇。そのどれもが甘さと凛々しさの奇跡的なバランスで、男とも女とも判じ難いうつくしさである。


「事情に立ち入るつもりはないんだけど。僕、今たくさんパンを持っていて。お腹空いていたらどうぞ。えーと……ここに置いて、すぐにいなくなる」


 自分から声をかけた割に、おどおどとしてしまって情けないのだが、それだけ少女の眼光は鋭かったのだ。


「それ、変なもの入ってない?」


 硬質に澄んだ声は、研ぎ澄まされた刃物の切れ味を思わせた。


「へ、変なもの……?」

「食べたら眠くなるようなものとか」

「そんなことはないと思う! 通り向こうのパン屋さんで焼き立てをもらってきたんだ。普通にお店で売っているもので……」


 瞬きもせずに、見て来る。

 正直、射殺されるかと。


「食べるかどうかは君に任せる。僕には少し多いから。それに、すぐいなくなるから、食べて寝てしまっても、手を出したりなんかしない」


 少女は無言のまま、何かを抱きかかえて立ち上がり、隙間から通りへと出て来た。

 腕の中にいたのは、少女よりも一回りも二回りも小さな子どもだった。


「熱がある。宿のあてはない。食べ物はありがたいが、もっと必要なのは屋根とベッドだ。そのパン、持て余しているなら受け取ってあげてもいいが、この雨だ。あなたの家へ行く」


 恐ろしくぶっきらぼうかつ高飛車に、少女は宣言する。


「ええと? 熱があるのはその子?」


 少女の手の中で、蜂蜜色の髪を乱してくったりとしているのは、見るも可憐な美少女だ。顔立ちはやや似ているようにも見えるので、姉妹かもしれない。


「そう。この子だけでも助けて欲しいと言いたいところだが、知らない人間に預けるわけにはいかないので、私も当然ついていく。あなたの家はどこだ」

「家……?」


(あれ……? 何か知らないうちに決定事項になっています?)


「濡れたら熱が悪化する。早く」

「あの、君たちの家は?」


 急かされたので聞き返したら、少女はすうっと目を細めて冷ややかに言って来た。


「どう見ても訳ありに、そんなこと聞いてどうする。答えるわけがない」

「な……、なるほど?」


(いや、ここ納得している場合じゃない。何か言い返さないと)


 思ったそのとき、少女の腕の中で、小さな子どもが呻き声を上げた。目を閉ざしたまま、はあ、ともらした息がいかにも熱そうだ。耳を澄ますと、ぜぇぜぇという苦しそうな呼吸も聞こえる。


「わかった。たしかに、その子の容態は仮病じゃなさそうだ。家はそんなに遠くない。とりあえずの雨宿りにおいで。後のことはまた後で考えよう」


(男の家に、美少女が二人か。案外明日の朝になったら出て行っているかもしれないし。貴重品だけ隠しておけば)


 このとき。

 ラナンは二人の事情に特に立ち入る気はなかった。自分のような冴えない人間はいかにも利用しやすそうに見えただろうか、とは思ったが。


 取り急ぎの対応がその後、年単位の付き合いになるとは。

 この時点では一切、考えていなかった。



 * * *



 ラナンの仕事は、主に魔法を動力源とする家庭用器具の調整である。

 魔導士としての仕事が半分。

 あとは螺子(ねじ)をしめたり、高い天井の灯り用の魔石を交換したりと、何でも屋の技術者であった。


「今日も仕事に精が出るねえ。やっぱり、ああいう可愛い子と暮らしていると、違うんだろうねえ」


 出先の宿屋で、浴場の空調を見終わったところで、主人に声を掛けられる。


「自分だけじゃないっていうのはプレッシャーですよ、実際。三人分稼がないと」


 代金を受け取りながら、ラナンは人好きのする笑みを浮かべた。

 服の上から常に魔導士のローブを羽織っているラナンは、体の線を見せることはないが、はだけたフードからのぞく顔は小さく顎は細い。全体に華奢な印象で、たいていの男性より背が低く、後ろ姿などどうかすると子どものようにも見える。


「あんたが仕事を始めた頃は、正直大丈夫かと思っていたが……。さすがに腕は確かだし、うちの娘たちもあんたが来るって言うと喜んでいたんだがね」


 世間話を始めた主人に対し、ラナンの後ろに控えた背の高い美少女が、鋭い目つきをわずかに和らげてにこりと微笑んだ。 


「お師匠様。次の予定まで時間がありませんよ」


 完璧な笑みを浮かべたまま、腰からわずかに身をかがめてラナンの耳元で言う。


「あ、うん。そうだね。それでは、今日はこの辺で」


 まだ話し足り無さそうな主人に別れを告げて、ラナンは自分の身長を越えてしまった少女を見上げて「行こう」と笑いかける。


「おじさま、またね!」


 二人にまとわりつくように跳ねまわっていたいまひとりの少女が、愛嬌いっぱいの挨拶をしてぶんぶん手を振ってから背を向けた。


 去っていく三人組の後ろ姿が、通りの人混みに紛れて見えなくなっても、主人は長いことその場に立ち尽くして見送ってしまった。



 * * *



 ラナンがジュリアとロザリアの美人姉妹と出会ってから、二年が過ぎようとしていた。

 家に子ども二人だけを置いておくこともできず、仕事先に連れ歩くようになったのはある意味避けられない流れだった。

 ラナンが依頼を受けるのは、一般家庭や家族経営の小さな店が主なので、少女たちを連れ歩いて危険な場所ではないのが幸いした。



 あの雨の夜から幾日かたった頃。

 ロザリアの熱が下がらず、やむを得ず家に置いているうちに、姉のジュリアにはすっかり見抜かれてしまったらしいのだ。

 この魔導士は危険ではない、と。


『私は自分たちの容姿にどの程度の価値があるかは理解している。行く場所がないとはいえ、受け入れてくれる場所があるのも知っている。行きたくはないけれど、出て行けと言われたらそうする。私としては、判断力のある自分はともかく、妹は巻き込みたくないと思っている。だけど、体を売る場所に行って、この子には手を出さないで欲しい、というのはまず無理だろう』


 自分の価値を知っている。

 そんなことをさらりと口にするジュリアに、ラナンは言葉もなく圧倒されてしまっていた。 


(絶対、訳ありの訳は、すっごい「訳」だよね……。ただものじゃなさすぎるよね……!)


 市井の魔導士である自分には、おそらくどうにもできない事情を秘めているに違いない。

 戸惑うラナンに対し、ジュリアは寝台に横たわったロザリアがよく寝ていることを確認し、言ったのだ。


『あなたが望むなら、私はあなたの相手をする。但しその場合、どこかへ行けとは言わせない。妹と二人でここで暮らす代価として私を与えると言っている。もちろん、妹に手は出すなよ』


 寝台の横の椅子に腰かけたまま、身に着けていたシャツに手をかけ、いまにも脱ごうとしていたジュリアに、ラナンは焦って声をかけた。


『いいから! そんなこと望んでないから、やめて! できれば訳ありの訳くらいは教えて欲しいけど、聞いたら引き返せないっていうなら聞かないし! とりあえず、出て行けとは言わないから。部屋も余っているし、二人増えても食べて行けるくらいの収入はあるから、ちょっと落ち着いて!?』


 言っている最中にもなぜか服を脱ごうとしたジュリアに対し、ラナンはしまいに騒ぎながら近づいて手首をぐっとおさえた。


『脱がないでよ!』

『いやしかし』

『何がしかし、なのかわからないんだけど!? いいって言ってるんだからやめて!! ここは僕の家で僕がやめてって言ってるんだからそういうのは』


 喚いたところで、立ち上がったジュリアに手を振り払われ、そのままの動作で口をふさがれた。

 ジュリアとラナンの身長はほとんど変わらず、間近な位置で見つめ合う形になる。


『ロザリアが起きるから、騒がないで。わかったよ、あなたは私の身体に興味がない』

『いくら美人でも、君はまだ子どもだからね……。僕だってそこまで落ちぶれちゃいない』


 そこで、なんとなく話がついてしまったのだ。


 古びてはいても居心地の良い家に住み着いた二人は、何かと家の中の仕事を覚えて手伝おうとしてくれる。姉のジュリアに至ってはラナンを「お師匠様」と呼んで、仕事先でも助手のように振舞うようになった。頼みこまれたので、少しずつ魔法を教えてもいた。

 しかし、それまで浮いた噂の一つもなければ、実際恋人もいたためしのないラナンのこと、当然のように、行く先々でちょっとした騒ぎになったり、冷やかされた。 


 金糸のような髪を長く伸ばした姉のジュリアはすらりと細身で背が高く、当初は十四歳でラナンとほぼ変わらない身長だったのに、半年から一年で追い越されてしまった。十六歳になろうという現在、その中性的な美貌はすれ違う者の足を止めさせるほどに際立っている。

 一方、癖のある蜜色の髪の妹・ロザリアは、きらきらと輝くエメラルドの瞳にばら色の頬でいつも愛くるしく笑っている。八歳という、絶妙にあどけなさを備えた年齢のせいもあり、見る者をどんどん虜にしてしまう凶悪なまでの可憐さだった。


 そんな二人を、魔導士のローブに埋もれるほど小柄で男性としては頼りないラナンが連れ歩いているのである。

 冷かしてくる相手はまだマシなくらいで、じっと昏い瞳で窺ってくる相手はおおいに警戒せざるを得ない。


(いろんな意味で良くないのは僕もわかっているんだよね……。二人は綺麗すぎるし、年頃だ。縁もゆかりもない僕と暮らしているというのは外聞も悪い。とはいえ、行く場所はないって言うし、素性も教えてくれないし。どうしたものか)


 誰か信頼できる相手に預けるのが一番だよな……と考えて、思い浮かぶのは一つ。

 ラナンの生家。

 女傑と言われる母が取り仕切っている魔導士工房。家業は順調で、家族以外にも多くの徒弟が一緒に暮らしている。中には女性もいるし、仕事を覚えながら生活するにはうってつけの場所だ。

 いずれ話を通してみるのもいいかもしれない。

 そう思いながらも、二年近く踏ん切りがつかないのは、二人の素性がよくわからないせいだ。

 詮索する気はないが、訳ありの訳がおおごとだった場合、実家に面倒事を持ち込むことになる。それはラナンとしても本意ではない。

 独り立ちすると決めて、家を離れたのはラナン自身の決断だった。今さら迷惑はかけたくない。


(なんて、二人の処遇に関しては悩みながらずるずると来てしまったけど)


 いつか。そんな悠長なことを言っている場合ではないと気付いたのは、ある夜のこと。



 * * *



 皆が寝静まった深夜。


 妙な胸騒ぎがして起きたラナンは、寝台横の椅子にひっかけていた魔導士のローブを夜着の上からかぶって、共有空間であるリビングへと足を向けた。

 そこに、見慣れない男が数人入り込んでいることに気付いて息を呑んだ。


(泥棒……!?)


 驚いて後退った拍子に、ドア枠にがたんと足がぶつかって男たちの注意を引いてしまう。

 常夜灯にしている、灯りをしぼった魔石灯の光の下、ラナンの倍はあろうかという屈強な男が三人いるのは確認できた。


「おっと、噂の美少女か」

「よく見ろ、それは魔導士の方だ。男だぞ」

「んん~? いやしかし、ずいぶんと綺麗な肌してやがるぜ。顔もなかなか」


 じゅるっと舌なめずりの音が聞こえて、全身に鳥肌が立つ感覚があった。

 すぐに気になったのは、同居人二人のこと。


(この三人で全部か? 他にはいない? 僕がここで引きつけておけば、二人は逃げられるかな?)


「金目のもの、探している?」


 声が震えないように気を付けながら言うと、男たちはいっせいにどっと笑った。


「それはそれで出してもらうがな。他にも探しているものはある。この家、二階があるな。そっちか?」


 リビングから上へと続く階段に目を向けて、男の一人がにやにやと笑う。


「なんのことだ」


 精一杯その場で踏ん張って言うと、鳥の巣みたいなもじゃもじゃの黒髪の男が、のそっと一歩踏み出してきた。


「とびっきりの美少女がいるっていうんで来たけど、オレはあんたでもいいぜ。可愛い顔してやがる」


 目の前に立たれて、恐怖で足がすくんだ。いまにも膝が笑い出して立っていられなくなるのではという気がした。


(だけど、ここで僕ができるだけ引きつけておかないと。これだけ声を立てていれば、ジュリアなら何が起きているかわかるはず。二階から飛び降りてでもロザリアと逃げて……)


「ぼ、僕でもいいってなんだよ。僕はあんたなんか嫌だけどねっ」


 精一杯の強がりは、三人の大爆笑を引き起こしただけだった。


「まあ、そうつれないこと言うなよ。楽しもうぜ。いっぱい泣かせてやるからよっ」


 鳥の巣頭が、さらに近づいて手を伸ばしてくる。

 その瞬間を狙って、ラナンは腕を突き出して掌から炎を迸らせた!


 じゅわっと肉の焦げる匂いと黒い煙が上がった。

 だが、それだけだった。


「おお、痛ぇ。痛ぇが、あんた魔導士のくせに攻撃系はろくに持ってないって噂は本当らしいな。こんな子ども騙ししか使えねぇの。可愛いねえ」

「やめっ」


 焼け焦げた手が、容赦なくラナンの手首を掴んで引きずり上げる。

 つま先が床にかする高さまで持ち上げられた。

 生温かく、酒の匂いのする息がふぅーっと顔にふきかけられた。


「力加減間違えたら、折れちまいそうだな。細っせぇ。ほら」


 ぎちぎちと力が込められて手首の骨がきしむ。

 掴まれていない方の手を伸ばしたらすぐに捕まってひとまとめにされ、さらに力が加えられた。


「あ……っ。は……」


 あまりの痛さに息が止まった。足をばたつかせることもできない。

 涙まで浮かんできた。

 それが男たちの目にはどううつったのか。

 なんとか空気を取り込もうと浅い呼吸を繰り返しながら目を向ければ、どの男も瞳に嗜虐的な光をぎらつかせていた。


「あの……っ、あああっ痛ッ」


 声を出した途端に力を強められ、呻きとともに目に溜まっていた涙がこぼれおちる。


「ん~、なんか言ったか? 聞こえねぇなあ」


 揶揄する声に、他の男の笑い声がかぶさる。


(ここで時間さえ稼げば……ッ)


 朦朧としながら室内に目を向けたそのとき。

 何か、予想もしなかったものが視界をよぎった。


 それは、うつくしい金糸の髪をなびかせた、ネグリジェ姿のジュリアであった。


(んん!?)


 動作には音が伴っておらず、誰も気付いていないが、髪がなびく程度の速さで移動しているのは確かで。

 ラナンの驚きが男たちに伝わるより、ジュリアの決断は早かった。

 下卑た笑い声を響かせる男二人は無視し、さっと移動してくると、手にしていたナイフを振り上げる。それは、ラナンをとらえていた男の喉元に後ろからあてられた。


「その手を離せ。殺すよ」


 涼しく硬質な声が響く。


「な……に?」


 くいっと喉にナイフがめりこみ、薄く血が浮かぶ。


「んーしろー!」


 後ろー! と、まともな声を出せないまま叫ぶと、ジュリアからは、一瞬何やら生真面目な視線を向けられた。明らかに「わかってますけど」と言う目だった。

 その通り、ジュリアの立ち回りは一切の無駄も淀みもなく、背後から迫って来た男二人を軽くいなしていく。繰り出された腕は外側から払って、返す下段の突きでナイフを腹部にめりこませ、もう一方の男には強烈な蹴りを叩きこむ。

 ラナンを拘束していた男が加勢に転じた際、ラナンは床に落とされたものの、咄嗟に力の抜けた手でなんとか男の足にしがみついた。


「邪魔だっ」


 一喝とともに、蹴り飛ばされて薬品瓶の並ぶ棚に突っ込み、降って来た瓶に身体を乱打される。そのまま落ちた瓶は次々と床で割れ砕けた。


「お師匠様!」


 乱戦の中にあったジュリアが叫ぶ。


「だいじょぶ、危険な薬品は、ない……」


 掠れた声でラナンは答えたが、ただでさえ激高していた様子のジュリアの瞳の温度が恐ろしく下がったのがわかった。

 凍てついた目で男たちを見回し、宣言する。


「この家で死人を出したくないから手加減していたが、気が変わった。全員冥府に送り届けてやる」


 結果的に。

 死者は出なかったものの、すれすれまでジュリア一人で三人を追い詰めることとなる。

 圧勝だった。

 引き渡した街の警備に正当防衛を疑われるほどに、それは完璧な戦いぶりであった。



 * * *


 騒動の翌日、仕事を休んで家の片付けをした。


「ジュリア、いつの間にあんなに強くなったの?」


 壊れ物が多いので、ロザリアは片付けの間、隣家に預けていた。

 何やらずっと厳しい顔をしているジュリアに、ラナンは笑みを浮かべて尋ねる。


「いつからと言えば元からですけど……、そうですね。この近所に住むシドさんという人に最近剣を教わっています」

「ああ、シドさん。なんか昔すごい剣士だったって聞いたな。そっか。そんなことしていたんだ。そういえばジュリアは一人で出かけることも多いし、知り合いもいつの間にか増えてるもんね。僕が頼りないばかりに、こんなことになっちゃったけど、今回は助かったなぁ」


(元から強いっていうのは初耳だけどねっ)


 訳ありにはつっこまない約束だからいいけど、と思いつつ、かがんで割れた瓶や食器の欠片を注意深く拾い集める。

 ラナンが手を伸ばした先に、ジュリアが膝を折ってしゃがみこんだ。


「考えたんですけど。私、男の恰好をしましょうか」

「え……!? なんで!? あ、女子どもばかりで男がいない家だと思われるから?」


 やけに真っすぐ目をみてきたジュリアが「そうですね」と同意する。 


「頼りないけど……、僕も男なんですけどね」


 ジュリアのスカートの下に、大きな陶器片があるの拾いたいなぁ、だめだよなあ、と思いながらラナンは立ち上がる。

 無言のままジュリアも立ち上がり、ラナンを見下ろしてくる。


「何……? 背が高いぞアピール?」

「それもありますけど。お師匠様、可愛いから」

「……ん? え、なに!?」


 ジュリアはすうっと目を細めると、手を伸ばしてラナンのフードをはだけ、焦げ茶色の髪にふれてきた。指が耳をかすめた瞬間、ぞくっと震えがはしった。


「ほんとに、あの男たちに変なことされてないですか?」

「大丈夫だよ!? 手首がまだ痛いだけっ。でも治療師に頼むほどでもないっていうか」


 言っているそばから、ジュリアに手を掴まれた。優しかったが、振りほどけないほどにはしっかりと力が入っていた。


「……痕が残ったらどうしてくれよう」

「どうしてくれようも何も、ジュリアもう目いっぱい報復したよね……?」


 確認に答えはなく、指に指を絡められてしまった。


「えーと……? まだ何かある?」


 先程から何か不穏過ぎる気配だな、とラナンはとりあえず薄笑いを浮かべてみた。

 繋いでいた手をゆっくりとほどくと、ジュリアは「いま、お師匠様の部屋で何か物音がしませんでしたか」と涼しい顔で言ってきた。

 これ幸いとばかりにラナンは背を向けて、「確認してくるね!」と歩き出す。

 リビングから続く自分の部屋に足を踏み入れたところで、背後に人の気配を感じた。

 驚く間もなく、ドアを閉じられ、振り向こうとしたときには背中から抱きしめられていた。


「ジュリア……!?」


 押し殺した悲鳴を上げたが、ジュリアは抱きしめる腕になおさら力をこめてきた。


「他に怪我がないか確認させてください。お師匠様はすぐに無理をするから、確認するまで安心ができません」

「無理ってなに!? 嘘なんか言ってないし!」

「じゃあ、見せられますよね。私に。全部」


 ぎゅうっと一本の腕に締め上げられて、もう一本の腕にはローブの上から太腿を撫ぜられてしまった。


「全部ってなんだよ! 普通に恥ずかしいよ! 家族でもそんなことしないよね、まして若い男と女なんですけど! ていうかこの手はなに!」


 太腿の上をゆっくりと行き来する手に手を重ねて止めると、ふふっと背後から笑われてしまった。


「お師匠様、私が若い女であることが気になっているなら、ずっと隠していたこと打ち明けますね」


 耳元で囁かれる声が、一段低くなった。


(やばい。これは何かやばい)


 避けようもない何かを直感的に悟って凍り付いたラナンの耳に、ついには口づけながらジュリアが言った。


「男なんですよ、私」

「ああ……、そうなんだ……」


 何が「そうなんだ」かはよくわからなかったが、それ以外に言いようがなかった。


(耳、耳絶対食べられてる……!)


 息がかかっているし、唇がやわやわと触れているような気がするし多分気ではすまされないというか現実だし!?

 静かに動転しているラナンに対し、ごく優しい声でジュリアが言った。


「で、この手はですね。確認させてもらいたいなと。お師匠様って、あるのかなってずっと思っていて」


(これ……「何が」って絶対聞いちゃいけないやつだ……!)


 太腿の上に置かれた手は、ラナンの手におさえられてそれ以上動く気配はない。ただし、ものすごく際どい位置にあるのは事実だ。


「あの、あるにしても無いにしても、こう、触って確認なんてかなり強引だよね……? ちょっと落ち着こうかジュリア」

「ああ、私が興奮しているの伝わってしまいました? だけどお師匠様も心臓の音、すごいですよ。私が怖いですか? でも、逃げようとはしていませんよね?」


 なんだろう。

 その疑問の一つ一つに答えると、絶対に追い詰められる気しかしない。 


「怖いわけじゃないけど……。まず離して。その……ええと……なんだ。これはどういう状況なんだ?」

「いいですよ、離してあげても。逃げたら追いかけますけどね」


 釘を刺すのは忘れずに、ジュリアはラナンを解放した。

 背中からぬくもりが離れるのを感じながら、ラナンは数歩進んで振り返る。


「ジュリア……えっと」


 声をかけてはみたものの、続けられない。

 相変わらずの白皙の美貌に、にじむような笑みを浮かべて、二年近くともに暮らした弟子は穏やかに言った。


「まあいいです。お師匠様の正体を暴いて一緒に暮らせなくなるくらいなら、このままで。時間はまだありますから」

「時間……?」

「私が成人するまで、ですね。お師匠様は一人暮らしの為に姿を偽ってきたのかもしれませんが。魔導士工房の長の末の娘さんが家を出て、この街で暮らしているという話までは調べがついていますので。あとはゆっくりじっくり攻めましょう」

「攻め」


 何か明らかにおかしなことを言っているし、こちらの素性はすでに調べられているらしい。

 ラナンが、ひるんだ表情で一歩後退すると、ジュリアは笑みを深めて言った。


「さて、早めに片づけてお昼ごはんにしましょう。家がこんなんだし、外で食べてもいいかもしれませんね。お師匠様がこのまま二人でここにこもっていたいというのなら、私は全然構いませんけど。むしろ願ったりかなったり」


 ラナンは急ぎ足で部屋を横切り、ジュリアの脇をすり抜けてドアを開け放った。


「さあ! ロザリア迎えてごはん食べに行こう!」


 声を張り上げて言うと、ジュリアはくすくすと上品な笑い声を立てる。


「ついでに男物の服も買いたいです。お師匠様のはサイズが合わないから借りられない」

「……っ」


 いろんな意味で涙目になりそうだね! と思いつつ、ラナンはダメ元で聞いてみることにした。


「なんで女装していたの……?」

「追手をまくため、ですね」


 訳ありの「訳」だ。


「追われている理由は……」

「お師匠様に危険が及びそうなときは話しますけど。差し当たりは大丈夫かなと。ああ、私がお師匠様に『確認したいこと』と交換条件でもいいですよ?」


 ラナンにはすぐには受け入れがたい条件を提示して、にこりと笑いかけて来る。

 これまでは、極め付けの美少女にしか見えなかったその笑みに、不意に男性を感じてラナンは笑みを凍り付かせたまま逃げ出した。


「ロザリア! ロザリア呼んでくるから!」


 まさに脱兎のごとく家から出て行ったラナン。

 後ろ姿が見えなくなってから、ジュリアはひっそりと呟く。


「ロザリアは完全に『俺』の味方ですけどね」


 唇に笑みを浮かべて、後を追うように歩き出した。


※この短編の続きにあたる連載版があります。→「こじらせ師弟の恋愛事情」

※連載作品「こじらせ騎士と王子と灰色の魔導士」と同じ世界観です。



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