ラストダンス
二人の母親視点の話となります。
公開後、誤字脱字修正及び、少し文を追加しました。内容に変更はありません。
令和元年8月28日(水)
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ばきっ。
また折ってしまった。この一年の間、何本の扇を折ったことやら。扇だけではない。カトラリーを何本も曲げ、使えなくさせたものも数え切れない。
それというのも……。
冷たい眼差しをフロアで踊っている、一組の男女へ向ける。
「あなた、フォルス。行きましょうか」
私の言葉を合図に、多くの者がラストダンスに興じる中、三人で会場を後にする。
そのまま城を出ることはせず、真っ直ぐ法務省の政務室へ行き、縄で捕縛されている男と対面する。
室内には他にも覆面を被った屈強な体つきの者たちが、部屋の片隅に集められた子どもたちを囲んでいる。覆面は全員が、その手に武器を持っている。
「法務大臣、今すぐこの書類に承認のサインをお願いしたい」
その光景に驚くことなく夫は二枚の書類を提出する。それを見て、法務大臣は目を見開いた。
「い、いや……。この書類にサインをする訳には……。我が国籍から離脱に婚約内定取消? そんなこと、私一人で決められることでは……」
「なにを悩む必要があるのかしら」
私は子どもたちの中で最も若い赤子を、奪うように取り上げ窓を開ける。
そして襟首を掴み、窓の外へ赤子を出す。
「書類にサインをしなければ、この子を落とします」
「ま、待て! 私の孫たちは関係ないだろう! それに……っ」
「それに、なんだ?」
ぴたり。息子のフォルスが抜刀すると、法務大臣の首元に刃を当てる。同時に覆面たちも抜刀し、切先を子ども達へ向ける。
「サインをするのかしないのか、はっきりしてもらおう」
普段はほんわかニコニコ笑っている温厚な夫もこの一年、今のように険しい顔を作ることが多かった。
一向に答えがないので、サインをする気がないと判断し、掴んでいた襟首を離した。
三階の窓から赤子が夜の庭へと落ちる。
直後、悲鳴と泣き声が部屋中に響き渡った。
「な、な、なんてことを‼」
「サインしなければ落とすと言ったはずです。さて、次はどの子にしようかしら」
覆面が一人私に近づくと、まだ抜刀されていない剣を渡してくれる。私は光る刃を見せつけるように、ゆっくりと鞘から出していく。
「お、お爺様ぁ!」
「おじいちゃま、た、たちゅけてぇ‼」
「わ、分かった! サインをする‼ だからこれ以上、孫に手を出さないでくれ‼」
縄を外すと、法務大臣は書類を奪うように手に取り、サインをすると最後に印を押した。
それを見た私たち親子は、部屋を後にする。
「安心なさい。先ほどの子は下で受け止められ、命に別状はないから」
足音もなく覆面たちは子ども達から離れると、慣れた手つきで再び大臣を縄で縛った。
それから急いで私たちは城を出ようとするが、それを止めようとされたので、覆面の部下に始末を任せ先を進む。
そして馬車に乗りこむと、私が生まれた国へ向け出立した。
私の母国は戦闘を得意とする、軍事国家。覆面の兵士たちは、秘密裡にこの国に来ると、一年近くも前から隠密に行動していた。
私たち家族はこの国を捨て、今この時より、私の母国の国民となった。同時に私は王族に名を戻すことになった。
私の娘ルリゼは、ラストダンスで『聖女』と踊っている第二王子との婚約が内定していた。それは正式に発表されていないが何年も前から周知となっており、周りもそのように娘を扱っていた。
去年、王子の誕生パーティーで正式に婚約がお披露目されるはずだった。
さあ、今から発表というタイミングで、庭が光ったと思うと一人の少女が姿を現した。
光とともに現れる娘。それすなわち『聖女』なり。それがこの世界での認識となっているため、聖女の出現にパーティーは中断され、婚約のお披露目はされなかった。
聖女であるインシェンは別世界に住んでいた者。
この世界の住人は、使用できる魔法属性が定まっているが、聖女はどの属性の魔法も使用できる万能型。それだけに重宝する国が多い。それ故、神が遣わした『聖女』と呼ばれる。私の夫と子どもが生まれ育ったこの国も、その一つ。私の母国は違うけれど。
「私が暮らしていた国にも魔法は存在していました。だから魔法を使用することなど、簡単です」
明るい聖女様はこちらの世界で言う、男爵家の娘だったらしい。だから貴族令嬢のマナーも身についていた。
城で暮らすようになり、程なく娘と王子が通う学校に入学すると、周囲の者を魅了していった。
「この国の歴史は分かりませんが、数学などは共通の部分が多いです。文字の読み書き等も神の恩恵でしょうか、不思議と問題なくできます」
現にめきめきと学力を上げていき、わずか半年で学年上位の成績を修めるようになった。
さらにはそれまで女子生徒でトップの成績を誇っていた娘、ルリゼの順位を抜かした。
それがショックだったのか、娘は部屋に引きこもることが増え、学校を休むことが増えた。
そう思っている者が多いが、事実は違う。
聖女の力は万能。それ故、『魅了』魔法で校内の生徒を自分の虜にしていた。そして『遠視』魔法で成績の良い者の解答を盗み見て、点数を上げていた。
私は子ども達に魅了魔法が効かぬ守りを持たせていたが、多くの生徒は身に着けていなかった。だから簡単にインシェンの周りに人が集まり、それまで私の娘と親しかった者たちも彼女のもとへ行き、娘の居場所は失われていったのだ。
婚約者であるはずの王子は聖女を守る指揮を執る命令を受け、校内では自分の側近たちと彼女を守るため、インシェンと過ごす時間を増やした。王族には魅了魔法が効かぬ守りを持たされているのに、まるで効いているかのように彼女の側から離れず、私の娘は眼中にないようだと校内を監視させていた密偵から報告を受けた。
人が離れていき孤立した娘は、息子のフォルスと二人で昼食を共にすることが増えた。
だが誰もそれを気にしない。
そんな中で成績を抜かされ、娘は倒れた。
「私にはもう、なにも無い……。友人も、結婚も、学校生活も……。なにもかも、奪われていく……」
自信も食欲もすっかり失くし、痩せた体でベッドの上で泣く娘を見て、心を痛めない母親はいない。
インシェンの魅了魔法により、周りの人間が変わっているだけだと教えても、娘は信じなかった。自分は不要な人間だとも思いこむようになっていった。
そんな中、驚きの報告が届いた。
報告書を持つ手が震える。
娘の友人だったはずの者たちが、あろうことか、校内で娘を悪く言っていたのだ!
「魔法もろくに使えないし、成績もインシェン様に抜かされ……。それで王子妃になろうなんて、恥ずかしくないのかしらね」
娘の魔法は天候を操るもので、使えば魔力を膨大に使い体に大きな負担がかかるので、普段は使用を控えさせている。それを知っていながら……! 娘の力を疑っているとも言える発言に、怒りを覚える。
「ほら。顔だけは、ルリゼの方が美しいから」
「嫌だわ。顔だけの優秀でない王子妃だなんて」
「大丈夫よ。だって、まだ殿下との婚約は正式に発表されていないもの。今の調子だと、次の殿下の誕生パーティーで、インシェン様が婚約者だと披露される可能性が高いわ」
「そう言えば最近、ルリゼを見かけないわね」
「恥ずかしくて学校に来られないだけでしょう? だって、それまで誇っていた成績もなにもかも、インシェン様に劣っていると分かったのだから」
魅了魔法でインシェンに心酔しているから、余計に娘への思いに変化が生じたのだろうが、この発言の数々……。許せるものですか……!
その頃王家もようやく校内の異常に対応を始めた。インシェンに魅了魔法を封じる魔法道具を身に着けさせた。
その数日後、娘の元友人たちが休学した娘を見舞うため我が家を訪れて来たが、もちろん断った。
魅了魔法の影響があったとはいえ、それだけが理由での発言と思えなかったからだ。
ルリゼが学校を休んでも、どれだけ痩せても心配しなかった者たちを、どうして今さら会わせることができよう。
「この一年近く音沙汰も無かったのに、なぜ今ごろ見舞いに来られたのかしら。なにか貴女たちのお父様方が言われたの?」
尋ねても彼女たちは俯くだけで、答えない。
「娘の誕生日会の招待状を送っても、返事を寄越さず無視したわよね。ああ、そこの貴女は出席すると言いながら、当日来なかったわね。しかも無断で。我が公爵家を侮辱しておきながら、今さら見舞いと誕生日プレゼントですって? 冗談にしても笑えないわ」
「公爵夫人、その節は本当に失礼なことを……」
「なぜかその頃、ルリゼ様のことが考えられず……」
「嘘を言わないでくれる? 校内で娘について好き放題言っていたくせに。私の娘の取柄は、顔だけ。だったかしら?」
途端に全員が顔を青ざめる。
「今さら媚を売り、取り繕う偽りの友情心で見舞いされても、余計にあの子を傷つけると分かってくれる?」
「そ、そんなことは……」
「あの……。せめて手紙を……」
その時現れた夫が手紙をひったくると、彼女たちの目の前でビリビリに破いた。
いつも柔らかい笑みを浮かべている夫が無表情に彼女たちを見下ろし、破いた手紙を投げつける。
「妻の言葉が分からなかったのか! 偽りの友など、娘には必要ない! 娘に構うことなく、お前たちが望む将来の王子妃様とずっと仲良くしていろ!」
「お、お待ち下さい‼」
必死に声をかけてくる彼女たちを無視し、夫は自ら戸を閉めた。そして使用人へ、すぐさま敷地内から彼女たちを追い出すよう命じた。
私は娘の部屋へ向かう。
がりがりに痩せ、骨と皮だけで、自力で歩くのも体が重くて大変だと言う娘は、今はベッドで横になっている。
すっかり会話をすることも減ったルリゼの頭を、優しく撫でる。反応はない。
同じころ、ようやく王子から見舞いの品や手紙が届くようになった。これは相手が格上の王家なので一応受け取るが、どれも開封することなく物置へと直行させる。
ちなみに本人は一度も訪れない。それが王子の娘への関心を物語っていやしないか。そのことにあの王子は気がつかないのか、馬鹿者が。
そして聖女が現れ、もうすぐ一年。王子の誕生パーティーが開催される数日前、王家から使者がやって来た。
「婚約についてですが……」
「言わずとも分かっております」
無表情で夫が答え、それだけ言うと使者を家から追い出した。一年近く放っておいてやっと使者が訪れたと思ったら……。詫びの言葉もなく、当然のような顔で婚約について話すだなんて……。
見舞いに来ることもなく、ただ品を届けるような男に、大切な娘を嫁がせるものですか。
しかも誕生パーティー当日。前年と違い、王家から迎えの使いが来ることはなかった。やはりそういうことかと、私たち親子は頷く。婚約内定を取り消したと捉えても良いだろう。
私の母国から派遣されてきた兵士に命じ、あらかじめ決めていた作戦を実行することとなった。
「コレール公爵、ルリゼ嬢はどうなさった⁉」
三人で現れたことに驚いた首相が、すぐさま飛んで来た。
「自宅におります」
「この一年の殿下の言動から、誰が婚約者として披露されるか分かり切ったことです。娘が会場に来ずとも、問題ありませんでしょう?」
笑顔で答える私たち夫婦の言葉を聞き、首相は見る見る顔色を失くすと挨拶もせず、走り去った。
◇◇◇◇◇
「大変です、女王陛下!」
もうすぐパーティーだというのに騒々しく首相が部屋にノックもなく、飛び込んできた。
「なんですか、騒々しい」
「ルリゼ嬢が会場に来ておりません! まだ自宅にいると‼」
「なんですって⁉」
髪を結っている途中だというのに、慌てて立ち上がる。
「最近体調を崩し休学していると聞いていたけれど、そこまで状態が悪いの?」
「いえ……」
ハンカチを取り出した首相は、額に当てる。
「会場に来る必要はないと考えているようで……」
「どういう意味?」
「……婚約者として披露されるのはインシェン様と、公爵夫妻はお考えのようです……」
「アンサンをすぐに呼べ!」
婚約披露の件については、息子である第二王子、アンサンに任せていた。去年中断した婚約者の披露を改めて自分の力でこなすと言い、信頼して任せていたのに……。
すぐに準備を終えている本日の主役、アンサンが現れる。
「アンサンよ。ルリゼ嬢と最後に会話を交わしたのはいつだ?」
問われ、すぐに逡巡する息子は沈黙する。やっと口を開いたと思えば……。
「聖女の護衛を優先し、最近は会うことがなく……」
「護衛の指揮を任せただけで、お前自身が終始守る必要はなかったのだぞ? ルリゼ嬢の見舞いに、一度も行かなかったとは本当なのか⁉」
「……はい」
アンサンはうなだれながら認めた。
先ほどその報告を受け、耳を疑ったが……。まさか本当だったとは……。お前は昔から、ルリゼ嬢との結婚を望んでいたというのに……。
「どんなに手紙を出しても返事がなく……。だから、いつ会いに行けばいいのか分からず……。校内でも男女の学び舎は別のため、インシェン嬢や他の令嬢からは、登校しており変わりないと聞いていたので……。休学を知ったのも最近で……」
「学び舎は別でも、食堂は男女共同であろう‼ そこで姿を見かけないことに、気がつかなかったのか⁉ 今日の迎えはどうした!」
「使者から……。分かっていると言われたと報告を受けたので、家族と来ると思い用意していませんでした……。迎えについての手紙にも返事はなく、使者にもそのように言ったので……」
「自分の都合が良いよう、言葉を受け止めるな! 聞きようによっては、婚約内定取消の話は分かっているという意味でも、受け止められる発言ではないか!」
青ざめた息子から返事はなかった。私から指摘され、始めてその可能性に気がついたようだ。
なんてこと! これでは一年前に婚約内定を伝えたとはいえ、一方的に取り消されたと思われても仕方ない。
しかもルリゼ嬢の母親は軍事国家の前国王の娘。つまり、現国王の妹である。
侮辱を嫌う国だ。こんな形で姪の内定していた婚約を破棄されたと受け止められれば、開戦を申し込まれるかもしれない。そうなれば我が国は、多くの犠牲者を出した上、敗ける。それだけは避けなくてはならない。
いくらあらゆる魔法が使える聖女がいるとはいえ、一つの魔法に精通した魔法使いが束になって相手になれば、勝てるはずがない!
「今すぐ手の空いている者を、迎えに行かせなさい! ラストダンスまでに間に合わせるのよ!」
私の命を受け、すぐに側近が動いた。
婚約者の披露は、ラストダンスが終了してからが習わしだ。
ところがパーティーが始まってもルリゼ嬢は現れないし、側近も帰って来ない。パーティーに出向く気がなかったので支度を行っていなかったにしても、あまりに時間がかかり過ぎている。
最悪の未来が迫っており、私は震えながらも挨拶に来る臣下たちに笑顔を振りまいていた。
◇◇◇◇◇
「コレール公爵。ルリゼは……」
「殿下、お誕生日おめでとうございます」
王子の言葉を遮り、夫は祝いの言葉を述べた。
「婚約披露の件なのだが……」
「お気になさらずとも。おや、殿下。早速……」
王子が振り向くと、インシェンが向かって来る所だった。
「あなた、お二人のお邪魔をしては悪いわ。行きましょう」
わざと周囲に聞こえる大きな声で言うと、王子から離れる。
魅了魔法にかかっていなかったにも係わらず、一度も面会に来ず娘を放っておいた男が! 今さら何だという!
この小さな出来事から、やはり王子の婚約者は娘から聖女に変わったのだと、皆が噂を始める。
「あ、あの! 公爵! ルリゼ様は……。本日、ご出席されないのですか……?」
元友人たちが集団で尋ねてきた。
どうして全員一緒でないと行動できないのかしら。
冷めた思いは視線にも繋がったらしい。一瞥しただけで、彼女たちは震え上がった。
無視して素通りする。それ以上は、さすがに彼女たちも追ってこなかった。
パーティーが始まり、ついにこの国ではラストダンスで流れる定番の曲の演奏が始まると、王子は真っ直ぐインシェンの元へ向かう。心なしか、引きつっている笑みを浮かべているようだが……。
この国には、ラストダンスは婚約者か伴侶と踊るという習わしがあるため……。
「やはり殿下は……」
「あれだけ一日中側にいれば、情も湧きましょうからな」
「とにかくこれで、正式に婚約者は判明しましたな」
周囲からそんな会話が聞こえてきた。
◇◇◇◇◇
時間も時間だ。これ以上長引かすことはできない。いつもより長く演奏が続き、踊っている皆にも疲れが見えている。
先ほどから様子を見に何人もの使いをコレール邸へ向かわせているが、誰も帰って来ない。ルリゼ嬢もまだ到着しない。コレール邸でなにかが起きていると考えて、間違いないだろう。
本来ならこの曲でラストダンスとなるが、今年は主役である王子の希望で、特別にこの後にもう一曲……。アンサンとルリゼ嬢だけの為に一曲披露することが決まっていた。
しかし古くからの習わしのため、多くの者に誤解が広がり始めている。
焦りを感じながらルリゼ嬢の到着を待っている中、ラストダンスが始まるなりコレール公爵一家が会場を出て行った。
慌てて引き止めるよう命令を下す。事情を話せばきっと分かってくれると信じたい思いからだった。
アンサンはただ聖女を守る役目に全身全霊取り組んでいただけで、そこに恋愛感情はない。息子が愛しているのは、ルリゼ嬢だ。婚約内定が決まり、彼女との結婚は揺るがないと信じての一年だったのだと。
あれは一つの物事に集中すると、周りが見えなくなる性分がある。だからルリゼ嬢にまで、心が配れなかった。それは確かに息子の大きな誤りだ。
それでも私にとっては、大切な息子。遠視魔法でテストの点数を稼ぎ、魅了魔法で人々を虜にし、王子妃の座を狙うような娘とは結婚してほしくない。それなのに、なぜここでその女を選ぶか、この馬鹿息子が!
ルリゼ嬢を落胆させてからの、実は……。というサプライズを狙ったようだが、完全に失策だ。大切な可愛い息子だが、大馬鹿者と今すぐにでも罵りたい。
ひょっとしたら、聖女と約束していたから相手に選んだのかもしれない。約束を違えないのは良いが、状況を考えろ!
だが……。この光景を見ていると、思いが揺らぐ。
聖女との息はピッタリと合い、どう見てもお似合いの二人に見える。ラストダンスを二人が踊っているこの様は、皆が誤解するのも無理がない。
◇◇◇◇◇
国籍を抜ける書類。そして婚約者内定取消の書類にサインをもらえ、私はご機嫌だった。
私だけではない。夫も息子も笑顔だ。
「早く母上の母国へ行き、叔父様方に武術の手ほどきを受けたいです」
もともと騎士になりたい夢を持つフォルスは、早くも騎士団団長である叔父のもとで訓練を受けたいと熱く語る。
「ほほほほほ。貴方の到着を、叔父上も楽しみにしていてよ。それにあの抜刀のスピード。腕を上げたわね、私も鼻が高いわ」
「母上の訓練のおかげです」
「叔父上のもとで訓練を受ければ、貴方はもっと成長してよ。楽しみねえ」
「武人になるのはいいが、怪我には気をつけてくれよ」
やっといつもの調子に戻った夫が、ほんわりとした雰囲気で息子の体を気遣う。
今ごろもぬけの空となった屋敷で、最後まで潜んでいた覆面の兵士により、屋敷に来た者たちは捕らえられ縛られているだろう。
娘はラストダンスの相手を確認するなり、私の母国へ向け出立させた。
やせ細ったルリゼは、今ごろ馬車の中で横たわっているだろう。
この国を出て、あの王子たちのことなど忘れ、私の母国で幸せになればいい。それが母である私の願いだ。
◇◇◇◇◇
やっと様子を見に行った者から報告が届いた。
これまで送った全員は縄で縛られ気を失っており、邸内に他の者は誰もいないとのことだった。しかも城内の多くの警備兵は倒され、コレール公爵一家も姿を消したと。
そして解放されたと語る法務大臣からも、報告を受ける。
「……そう」
それを聞き、コレール公爵家はあちらの国民となり、婚約内定取消となった今、この場で勝手にルリゼ嬢との婚約発表を行うことはできないと判断する。
まだルリゼ嬢と結婚できる可能性を信じている息子は、フロアで踊っている。
あの国は、侮辱されることを嫌う。今回の件で、姪を傷つけたことで国王の怒りを買っただろう。
そしてついに私が合図を出し、ラストダンスを終えた。
「皆の者、ここで発表したいことがある。アンサン王子、インシェン嬢、檀上へ」
戦争を回避させなければ……。息子は大切だが、私が守るべきものは他にも沢山ある。
呼べばアンサンはうろたえ、会場内に目を走らせる。だがどこにもルリゼ嬢の姿はない。
なにも知らないインシェンは、ご機嫌な顔でアンサンを引っ張りながら檀上へ来る。
「今日この時、この二人は結婚をした! 皆の者、祝福せよ!」
拍手が起きるが、息子はちっとも嬉しくなさそう。それに『結婚』と言われ驚き説明を求める視線を送ってくるが、これがこの一年、お前が起こした結果だ。受け入れるしかない。許せ、アンサン。
「そして一方的に婚約が内定していたルリゼ嬢を裏切った罰とし、アンサン王子の王位継承権をこの時を以って剥奪する! 明日からは二人、城を出て平民として生きよ‼」
瞬間、拍手が消え静まる。
「え? どういうこと?」
世界情勢を知らないインシェンが、意味が分からないと言う。
それに返事をすることなく、ルリゼ嬢と親しかった者たちの家名を挙げる。
「これらの家々は己の子への教育を怠った罪、そして国を危機に陥れた罪で降格処分を下す! 侯爵家は子爵へ、伯爵家は男爵へ! そして各家の娘たちを王都から、永久追放とする‼」
場は騒然となる。
一部の家の者はこれを恐れ、すぐにルリゼ嬢へ謝罪するよう娘を促していたようだが、全ては遅かった。世界情勢を知りながら……。ルリゼ嬢のバックに誰がいるのか考えず、誰が聞き耳をたてているか分からぬ校内で、彼女を悪く言っていた娘たちが泣く。
王都を永久追放ともなれば、ろくな縁談が見こめない。いや、結婚すら叶わないだろう。そこには、すぐ気がついたらしい。
開戦を申し込まれる可能性も、開戦すればどうなるかも考えが及ばなかった、自分だけが可愛い愚か者どもが! 今さら泣いて許して下さいと言われても、許せるものか! 貴様らの愚行により、多くの国民が犠牲になる所だったのだぞ⁉ いや、今もその危険が迫っているのだ!
開戦を阻止するには、これしかない。これが最良の策なのだ。今もどこかで聞いている密偵が、彼の国へ報告を入れていることだろう。この報告を受け、あの国王がどのような判断を下すかは分からないが、これが現時点での我が国の最善策だ。
客人が帰り、物置から一度も開封されていない見舞い品と手紙が見つかったことを告げると、息子は絶望したのか言葉を無くした。
「婚約内定にあぐらをかいた結果だ。本当に愛していたのなら……。もっと彼女を気にかけ見ていれば、すぐに彼女の異変に気がついただろうに……」
反対に王子妃となり、贅沢な暮らしができると企んでいたインシェンは、大騒ぎだ。
「これじゃあこの男と結婚する意味がないじゃない! 私は聖女なのよ⁉ 平民に落とすとは、どういうことよ!」
「座学が得意なお前なら分かるであろう? ルリゼ嬢の母親の母国が軍事国家で、精鋭部隊を送られれば、あらゆる魔法を使える者でも太刀打ちできないと。彼の国を怒らせたのだ。怒りを静め、開戦を免れるにはこれが最善であると」
「……は? 軍事国家? 開戦?」
やはりこの娘、なにも分かっていない。
「ルリゼ嬢は、彼の国の国王の姪である。姪に恥をかかせたと知った国王は、今ごろひどく立腹されているだろう。なにしろ侮辱されることを嫌う国だからな。今後はこの城の警備をくぐり、易々と何人も侵入できる優秀な兵士を使い、お前たち二人の命を狙うであろう」
それを聞いた二人は青ざめ助けを求めてくるが、二人と数多の命。天秤にかければ……。言わずもがな。
二人は宣言通り、翌朝には城から追い出した。せめてもの情けで、少しばかりの金は持たせたが……。果たして二人は、いつまで生きられるか……。城を出るなり、どこからともなく現れた二人を追う男たちの背中を見つけた。
「……あの身のこなし、彼の国ではさぞ名のある兵士でしょうな」
「そうだな……」
この国の最高武人である軍務大臣の言葉に、そうとしか答えられなかった。
その後、開戦は免れたが、やはり完全に怒りを静めることはできなかった。高い関税を強いられることになり、彼の国からの輸入に頼っていた品々の入手が困難になる。また賠償金を請求され支払ったことにより、財政難となった。
城で開かれるパーティーは、当分予定はない。そんな金はもう、残っていない。
あれが本当に、ラストダンスだったのだ。
それでもこの困難に立ち向かい、乗り越えるしかない。それが女王としての、私の役目なのだから。
お読み下さり、ありがとうございます。