ヒナ
国の南に位置する、小さな森を抜けた先の、シデア村。
王都から遠く、旅人もめったに来ないそのまさに田舎の村に、少女は住んでいた。
「今日も~、いい天気~♪」
ひよこ色の髪をぴょこぴょこ揺らして、背の小さい彼女は洗濯物をロープに掛けようと、手を目一杯に伸ばし、繰り返し跳んでいた。
少女の名前は、ヒナ。シデア村で暮らす、サクラ月生まれの一人娘だ。簡素なワンピースに、エプロンを付けて、立派に働いている。
「いい、天気、なのに、っもう!」
シーツはバサバサと風に揺れるだけで、木の間に渡されたロープには掠りもしない。ヒナはついにハミングを止めて、怒ったようにため息を吐いた。すべてこの、忌々しいチビボディのせいなのだ。ほぼ平面の上半身に文句をつける気は無いが、せめてもう十センチは伸びてもいいだろうに。
(そう、全部この小っさな……。)
その時、ヒナは思いついた。彼女に残された最後の手段だ。少女はエプロンを外しながら、辺りを見渡した。今ならまだ、母も来ないはずだ。健康的な肌に美しく映える、若々しい翠色の瞳が、いたずらっ子のように光る。
次の瞬間、そこにヒナの姿は無く――
ただ、一羽の鳥がシーツを嘴に挟んでいた。
白い羽毛は、生まれたてのようにふわふわで、その瞳は"若々しい翠色"。
シデア村の少女・ヒナは、変身術の使い手である。母を見るにどうやら遺伝らしいが、そう簡単にはいかず、彼女が変身できるのは小さな動物だけだが……。
(洗濯物干しちゃう分には、関係ないよね。)
小さな白い鳥は、パタパタと懸命に舞い上がり、ロープの上を越えた。シーツはふわりと宙に弧を描き、ぽすんと軽い音を立ててロープにかかった。少し裾を噛んで整えてやれば、完璧だ。
「ぴぃ(さすが私!)」
「こらっ!ヒナ!」
「ぴぴっ!?」
「あんたはまーたくだらないことに変身術を……あっ、こら!ヒナ!?」
そうして何故か、母にはいつもバレる。ヒナはパタパタと飛び上がると、屋根の窓から自分の部屋へ退避した。あわただしく人間に戻るヒナに、まだ階下から叱る声が飛ぶ。
「ヤバヤバっ、今度は鷲でも飛んでくるかも……!?」
ヒナの母は、相当の術が使える。ヒナとは違い、大型の獣にもなれるのだ。小さい頃からそれに見慣れてきたヒナでさえ、身の丈を超える白虎に見下ろされた時は、気を失いそうになったほどだ。
早く逃げよう。そうしてまた、ヒナはくだらないことに変身術を使うのだった。